人気ブログランキング | 話題のタグを見る

★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆古い信仰伝える修験道  神道、仏教、道教を融合



 (世界日報 2008/6/24)


民衆の素朴な心性に根差す/全国で90にも及ぶ修験の山
修験道の根本道場、奈良・吉野の金峯山寺

 西洋近代国家をモデルに新しい国造りを急いだ明治政府は、国民の心のよりどころである宗教の国家統制を強めた。明治元年の神仏分離令がその典型だが、続いて明治五年(一八七三年)には、神仏分離をさらに徹底させようと、修験道廃止令を出している。修験道は日本古来の山岳信仰に、渡来した仏教や道教、さらに陰陽道(おんみょうどう)を融合させて成立した日本独特の民俗宗教なので、原始的な神仏習合の最たるものと見なされたのだった。

 これによって多くの修験系の寺院が廃寺に追い込まれ、修験者たちは職を失った。修験系の講団体からは御嶽教、扶桑教、実行教、丸山教などのように、仏教色を薄めて教派神道(神道系の新宗教)になったものもある。しかし、民族の心性に根差した宗教は簡単には消えてなくならない。それに、明治政府の宗教政策は迷走を続け、徹底したものになり得なかったのも幸いした。

 例えば、修験道の本山の一つ、奈良県吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)は修験道側からの嘆願により明治十九年(一八八六年)に天台宗修験派として修験道の再興が許され、金峯山寺は仏教寺院として復興する。戦後の昭和二十三年(一九四八年)に天台宗から独立して金峯山修験本宗が立宗され、金峯山寺はその総本山となった。

 現在、修験道は真言宗系当山派と天台宗系本山派の二つに大別される。当山派は京都の真言宗醍醐寺三宝院を開いた聖宝理源大師に始まり、本山派は大津にある天台宗園城寺(三井寺)の増誉(ぞうよ)が、京都に熊野三所権現を祀る聖護院を建立して一派を形成した。平成十三年には、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の千三百年遠忌(おんき)を機に、醍醐寺と聖護院、金峯山寺の三大本山が一堂に会し、御遠忌合同大法要が吉野・山上ケ岳の大峯山寺本堂において営まれている。

 修験道を支えたのは山伏とも呼ばれる修験者の存在もあるが、大きいのは全国各地で講を作り、年に一度、山に籠(こも)っての修行を生きがいとしてきた人たちであろう。厳しい山での修行は、ある意味で死の体験であり、そこから蘇(よみがえ)ることで生命力を得ようとした。死と再生のイメージは人間の宗教性の根源であり、それが具体化したのが熊野のような霊場、聖地である。全国には役行者が開いた修験の山が九十にも及ぶという。弘法大師が発見したと伝わる温泉と同じで、人々の好むヒーロー伝説が生み出したものも多いだろうが、それだけ日本人の素朴な宗教性に合っていたと言える。

吉野・吉水神社の役行者木像。自由に操ったという鬼を引き連れている

 修験道の魅力は何といっても、その超人的な能力にある。役行者(役小角<えんのおづぬ>)の名前が最初に出てくる『続日本紀』には、文武天皇三年(六九九年)の条に次のように書かれている。

 「初めは葛城山に住み、呪術(じゅじゅつ)を思うままに使っていた役小角を伊豆に配流した。弟子の韓国連広足(からのくにのむらじひろたり)が師の能力をねたみ、人々を惑わすとして讒言(ざんげん)したためだ。噂(うわさ)によると、小角は鬼神を思うままに使い、水汲みやまき拾いをさせ、命令に従わないと呪術で縛り、動けないようにした」

 また、平安時代初期に薬師寺の僧・景戒(きょうかい)が書いた仏教説話集『日本霊異記』には、役行者が鬼神を使い、葛城山と金峯山の間に岩橋を架けようとしたため、一言主(ひとことぬし)神に朝廷に訴えられた話がある。母親が人質にされたので、やむなく捕らえられ、伊豆の島に流された役行者は、昼間は島で、夜は雲に乗って富士山に行き修行を続け、三年後に赦免されると、仙人になって空の彼方に飛び去った、という。

 役行者が使っていた鬼神は、縄文時代からの狩猟を主にする山の民だったのではないか。農地を耕す農民が定住するのに対して、山の民は山々を移動しながら自由に暮らしていた。彼らの中には特殊な技能を持つ集団もいただろう。さらに、比叡山麓(さんろく)の八瀬童子が天皇の輿(こし)担ぎとして奉仕したように、朝廷との深いかかわりもあった。京都の葵祭(あおいまつり)では八瀬童子会が子供を含む九十一人が行列に加わっていたから、その伝統は今に続いている。

 宗教対立が戦争にまで発展する今日の深刻な状況から、外来の諸宗教を比較的寛容に受容してきた日本の宗教が見直されている。一概にそうとも言えないのだが、新しい視点で見直すことは必要だ。さらに自然から離れ、人工的な環境で暮らすことの多い現代人にとって、自然との一体感や心身一如の体験は生きる実感、喜びを体験することになろう。修験道の側も、一般人が気軽に体験できる企画を立て、理解を広めようとしている。

(多田則明)
by sakura4987 | 2008-07-02 09:54

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987