★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆昭和の203高地、嘉数高台



 (世界日報 2008/8/16)


 二○三高地といえば、日露戦争の際、乃木希典司令官率いる帝国陸軍がロシア軍と死闘を演じた激戦地だ。この戦いでの日本軍の勝利により旅順港が配下となり、日本側の優位が決定的となる。

 その二○三高地に例えられた沖縄戦における戦いが、本島緒戦の地となる宜野湾市の嘉数高台だ。昭和二十年四月一日、本島中部太平洋側に上陸した米軍は本島を南北に攻め上った。南部攻略の緒戦が嘉数高台であったのである。

 迎え撃つ日本軍は、京都府民を中心として組織された原大佐率いる第十三大隊。千人の将兵と千人の防衛隊で構成されていた。地形を変えてしまうほどの米軍による艦砲射撃によって十六日間の激闘はついに「矢尽き、刃折れ」た日本軍の敗退、米軍の勝利に終わるものの、彼らは嘉数高台を「忌まわしい丘」と呼んだ。その丘に戦後、建てられたのが「京都の塔」。嘉数高台で亡くなった京都府民二千五百三十余人の冥福を祈っている。

 嘉数高台は普天間飛行場を眺望するには絶好の地。政府関係者が来沖して同飛行場を視察する場合、必ずといっていいほど訪れる場所となっている。

 しかし、南部の摩文仁の丘と違い、公式の戦跡観光ルートではないこの地を訪れる人は少ない。ただ、地元の人々や民間ボランティア団体が毎年慰霊祭を欠かさず、六十三年の年を刻んでいる。今年もたくさんの千羽鶴が京都から寄贈された。

 付近にある嘉数区公民館に今年は、いつもと違った垂れ幕が掛かっている。「伊波翔悟君、甲子園出場おめでとう…嘉数子ども会」。甲子園で大活躍の浦添商業高校のエース伊波翔悟君は嘉数区の出身だ。グランドに立つ彼の背景には、嘉数区を死守しようとした人々の思いもあるに違いない。
[PR]
by sakura4987 | 2008-08-29 12:21

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987