★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆佐藤将棋の心は「意自如」



      【土・日曜日に書く】論説委員・石井英夫

 (産経 2008/9/13)


 ≪■羽生マジックなのか≫

 ひぐらしが鳴いて夏が去っていく8月末の夕べ、将棋の佐藤康光棋王(38)の“お疲れさん会”を東京・大手町のすし屋でささやかにやった。

 しがない一将棋ファンの強引な申し出にも、こうして気さくに(本当は大迷惑だろうが)応じてくれるところが佐藤さんの人間性のすばらしさである。

 佐藤棋王はすでに永世棋聖の称号の主だが、この7月、激闘の末に現職の棋聖位を羽生善治4冠に奪われた。僭越(せんえつ)ながらその戦いを慰労したかったのだ。2勝2敗のあとをうけた最終局(7月18日)、われわれ素人にはどうやっても佐藤優勢と見えた局面があった。飛車と銀の両取りに角を放ったからである。ところが羽生さんは“両取り逃げるべからず”で、△8六歩というあやしい一手を指した。妖手(ようしゅ)である。

 もとより私などにはその8六歩がいかなる意図と意味を持つものかわからなかった。ところがそこで佐藤さんの指し手がハタと止まり、39分の長考に沈んだ。そしてそれを境に局面の明暗がくっきりと分かれだした。羽生優勢になったのである。

 一体、佐藤さんに何が起きたのか。長考の意味は何だったのか。酒の席で失礼なことは百も承知して、どうしても尋ねてみたかったのである。

 「あれはいわゆる羽生マジックというやつですか。本紙の観戦記にもそう書いてありましたが…」

 ≪■私の見落としです≫

 すると佐藤さんは杯の手を止めて、あっさりと否定した。

 「いや、うっかりですよ。この棋聖戦の4、5局ともだらしないことでした。あれは私の見落としです」

 佐藤さんはあくまで羽生マジックを認めなかった。見落としで、自分のミスだという。敗局の原因をすべて自分のだらしなさに帰そうとする。そこに勝負師の自負と意地を覚えてゾクリとした。名棋士のすごさを感じないではいられなかった。

 佐藤将棋は「だれもまねのできない」新構想の大胆さで知られている。それでいて、コンピューターが1億手を読むとしたら、佐藤さんは1億3手を読むともいわれている。それゆえ“緻密(ちみつ)流”の異名もあった。しかしただの“緻密流”ではない。

 この正月の本紙で“ネットの伝道師”梅田望夫氏と対談した佐藤さんは、こんな話をしている。

 「コンピューターはしらみつぶしに次の一手をさがしますが、人間には読まない強さというのか、大局観というのがあります。人間の感性の素晴らしさというものですかね。コンピューターにはまだないものです」

 なんという力強い言葉かと感心した。

 ≪■緻密だが頑固≫

 佐藤さんの好きな言葉に、「意自如」というのがある。このごろ好んで色紙に書くことも多いという。

 「“意自らの如く”ですかとよく聞かれますが、それだと自分の行くままという意味になってしまいます。そうではなく“意自如たり”、自分の心のなかにしっかりした、そしてどっしりしたものがあるという意味です」

 佐藤さんはそう説明する。自分のなかにも変えられるものと、変えられないものがある。変えられないものは絶対変えてはだめだ。その不変の部分を大切にしていきたいと考えるのだ。佐藤将棋の強さは、この「絶対変えない」ところにあるらしい。緻密だが、しかし頑固なのである。

 松尾芭蕉は「不易流行」といった。それが蕉風(しょうふう)俳諧(はいかい)の理念の一つだった。「千載不易の句、一時流行の句といふあり。これを二つに分けて教へたまへども、その元は一つなり」(『去来抄』)。その一つの元が「風雅の誠」なのだった。

 世の中には変えていいものと、変えられないもの、変えてはいけないものとがある。しきたりとか伝統というものがそれだろう。礼に始まって礼に終わる将棋道もそうかもしれない。

 この日もひどい残暑の夜で、ごく内々のささやかな会だったにもかかわらず、佐藤さんはきちんとスーツにネクタイ姿で現れたのには恐縮してしまった。「いや、将棋界はこういう服装を好まれる先輩が多いもので…」と佐藤さんは舌を出し、すぐシャツ姿で酒を飲んでくれた。

 頑固だが、柔軟。こういうところが佐藤将棋の心「意自如」かと感心した。
[PR]
by sakura4987 | 2008-09-18 15:20

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987