◆「誠実本位」か「成功本位」か
【正論】文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
(産経-前半省略 2008/9/29)
≪■内村鑑三が記した心構え≫
この「成功の秘訣」は、大正15年(1926年)、内村鑑三、65歳のときに書いたものである。晩年、内村は夏を、信州の或る温泉宿で過ごすことにしていた。そこの、当時21歳だった若主人に、将来経営者になるにあたっての心構えを念頭に書き与えたのが、この「成功の秘訣」10カ条である。
ここでいう「成功」とは、もちろん世俗的な地位や名誉、あるいは金銭などを指したものではなく、「天職」を発見し、それに生きることが「成功」の根本なのである。テン職といえば、転職という言葉がすぐ思い浮かべられる今日、天職という大事な言葉をあらためてかみしめることは必要なことに違いない。
それはさておき、主なものを列記してみよう。
一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。
一、本(もと)を固(かと)うすべし、然らば事業は自(おの)ずから発展すべし。
一、成功本位の米国主義にならうべからず、誠実本位の日本主義に則(のっと)るべし。
一、雇人は兄弟と思うべし、客人は家族として扱うべし。
一、誠実によりて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。
一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。
一、人もし全世界を得るともその霊魂を失わば何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るにあらず、品性を完成するにあり。
この「成功の秘訣」の自筆原稿のコピーは、その温泉宿の売店で売られていたので、私はそれを買って、大事にしている。知人にコピーしてあげたこともある。というのは、今日の日本の、精神と倫理の総崩れともいうべき状態を思うとき、百万言を費やすよりも、この80年前に書かれた言葉を読み直す方がよほど有効だと考えているからである。
≪■倫理の崩壊止める気力を≫
かつての日本が、倫理的に崩壊するのを免れていたのは、この「成功の秘訣」にあらわれているような、根本的な倫理、商業道徳といったものが、例えば信州の一温泉宿の若主人の心にもたしかに届いていたからである。そのような「誠実」を重んじる気風が、司馬遼太郎の言葉を使っていえば、日本の背骨を「圧搾空気」のように支えていたのである。
「本を固う」することを怠り、事業を広げすぎたことによる失敗例を我々は数多く知っている。また、「雇人」を「兄弟」と思わず、リストラばかりして今日の社会不安の一因を招いた。
そして、何よりも問題なのは「成功本位の米国主義」(この場合の「成功」は、世俗的な方である)を良しとする風潮が蔓延(まんえん)した結果、人間と社会から「品性」が失われていったことであり、今や、「誠実本位」の価値観をとりもどさなくてはならない。
ところが、このような昔の倫理的な言葉をもちだすと、すぐ、時代遅れだ、現代のグローバリズムの世界では通用しないなどと訳知り顔に説く人がいる。そういう軽薄な心は、内村も引用した「生ける魚は水流に逆らいて游(およ)ぎ、死せる魚は水流とともに流る」という警句を前に反省すべきである。そういう時代の「水流」に、逆らって生きる気力を保持していることが、その人間がまだ「生ける」魂である証しではないか。(しんぽ ゆうじ)
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◆成功の秘訣10か条
http://www.h2.dion.ne.jp/~mulberry/sub4-5.htm
<資料>
内村鑑三氏が星野温泉の若主人に書いたものです。
=内容=
大正15年7月26日 星野温泉若主人のために草す
成功の秘訣
六十六翁 内村鑑三
1.自己に頼るべし、他人に頼るべからず。
1.本を固うすべし、しからば事業は自ずから発展すべし。
1.急ぐべからず、自動車のごときもなるべく徐行すべし。
1.成功本位の米国主義に倣うべからず、誠実本位の日本主義に則るべし。
1.濫費は罪悪と知るべし。
1.よく天の命に聴いて行うべし。自ら己が運命を作らんと欲すべからず。
1.雇人は兄弟と思うべし、客人は家族として扱うべし。
1.誠実によりて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。
1.清潔、整頓、堅実を主とすべし。
1.人もし全世界を得るともその霊魂失わば何のためあらんや。
人生の目的は金銭を得るにあらず。品性を完成するにあり。
以上