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◆【君に伝えたい、日本。】「武士の娘」が物語るもの



                  ジャーナリスト 櫻井よしこ

 (産経 2008/9/19)


 中学、高校時代をすごした新潟県長岡市は、長岡藩の城下町である。戊辰戦争でお城も町も焼かれた。多くの長岡藩士が討ち死にした。

 賊軍と見做(みな)され、明治新政府の厳しい施政の下に置かれた同藩の家老、稲垣家に明治6年、鉞子(えつこ)が生まれた。鉞子は後に結婚して杉本姓になる。貿易商の夫との米国での暮らしのなかで2人の女児に恵まれるが、夫は病死する。

 夫没後に、鉞子が著したのが『武士の娘』である。同書は当初、英語で書かれ、その後、日本語、ドイツ語、フランス語など7カ国語に訳された。鉞子の著した原文の英語は、これも最初は英語で書かれた岡倉天心の名著『茶の本』にも劣らぬ、格調高くも美しい文体である。

 自伝ではないと鉞子は語り残しているが、『武士の娘』には、鉞子をはじめとする武士の娘たち、稲垣家の人々が生きた武士たる者の一生が活々(いきいき)と綴(つづ)られている。鉞子はまさに日本人の真髄を描いた女性なのだ。

 武士たる者がどのような価値観を体現していたか。鉞子が描いている。

 戊辰戦争に敗れた家老、鉞子の父は捕らわれて江戸送りになる。ある雨の夜、1人の若侍が訪ね来て、真夜中に家老を乗せた駕籠が城外を通る、その際に奥方、つまり鉞子の母に会見が許されると告げる。見も知らぬ使いの者に、母は問う。「御身は武士か」と。武士であると確認した母は、その者に従って、単身、暗夜の道に出ていくのだ。

 「武士である」ことが、どれほどの重い意味を持っていたかが、伝わってくる。卑怯(ひきょう)な言動、振る舞いはしない、武士であれば騙(だま)しはしないとの揺るがぬ価値観が見えてくる。それがかつての日本人の生き方だった。

 もうひとつ、日本人はこんなふうに生きた人々だったと鉞子が行動で示したのが、母と娘の晩年のすごし方だ。

 母の寿命が尽きようとする月日を、鉞子は2人の幼い娘、そして嫁ぎ先からそのために戻ってきた姉と合流して、母を囲んで穏やかにすごす。母子3世代が共にすごす日々は思いやりと尊敬に満ちている。家族の物語を語りつたえ、心を通い合わせながら、母を看取るのだ。

 これが日本人の生き方だったと、鉞子は教えてくれている。高貴で思いやりに満ちた日本人の価値観を、私たちに残してくれた鉞子に、私は尽きない興味を抱き続けている。
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by sakura4987 | 2008-09-29 15:11

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