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◆【持論時論】生誕400年、中江藤樹に学ぶ



        /中江藤樹記念館前館長 中江 彰氏に聞く

 (世界日報 2008/11/15)


「孝」があらゆる徳目の根本

孝経で道徳心を涵養/戦後教育に欠落した敬の心

学問の目的は徳の修得

 今年は江戸時代初期の儒学者で「近江聖人」と称された中江藤樹(一六〇八-四八年)の生誕四百年。滋賀県高島市などゆかりの地で、遺徳を顕彰し、その精神に学ぶさまざまな記念行事が展開されてきた。藤樹思想の神髄や今日的意義などについて、藤樹研究家で中江藤樹記念館前館長の中江彰氏に聞いた。(聞き手・池田年男)

 ――四百年祭を総括してください。

 昭和三十三年の生誕三百五十年祭以来、五十年ぶりの大祭です。藤樹先生の誕生日に当たる三月七日から九月二十八日まで、行政と市民の企画が両輪のようになって、合計五十近いイベントが行われました。市民挙げての四百年祭が実現したのは何よりです。

 皮切りは「日本を美しくする会」の創設者・鍵山秀三郎氏の記念講演で、これが非常に反響が大きく、「高島掃除に学ぶ会」が発足してトイレ掃除を始めました。トイレ掃除は心を磨くことにつながり、藤樹の教えと合致します。会期中に五回実践し、四百年祭の大きな成果として根付いた格好です。

 そのほか、日曜日には地元の有識者らを講師に招き、藤樹書院講座を行いました。毎回、藤樹が最高の経書として重んじた「孝経」を拝読し、その後、講話を聞くのです。

 ――藤樹思想の今日的意義は何でしょうか。

 現代の日本は価値観が多様化していて、安定した社会様相ではない。藤樹が生きた江戸初期もそうでした。きちっとした社会にするには道徳を確立しなければいけない。藤樹は孝経に説かれている教えが日本人の道徳心を涵養するのに一番ふさわしいと考えたようです。藤樹は日本陽明学の祖とされていますが、孔子が説いた孝経を「大学」「中庸」と共に大切にしました。

 ――孝経について、もう少し詳しく。

 「孝」があらゆる徳目の根本だという教えです。「愛」と「敬」の両方が大切で、子に対する親の愛の心、親に対する子の敬の心、これが合わさって孝になるということです。

 ところが戦後の日本は敬の心を忘れてしまった。例えば、今の教師と生徒の姿はまるで友達関係です。あれでは教育の体を成していない。やはり先生というものは威厳と信念を持って、子供に対すべきものです。

 生徒も先生に対して敬愛の念が出てこないでしょう。戦後教育の中で一番欠落したのは敬の心だと思います。そういう点でも、藤樹の教えは大いに見直されるべきです。

 ともあれ、藤樹が範を示した有徳の人とは、日常の行住坐臥において孝の道を実践している人にほかなりません。孝経のような二千五百年前の古典を封建的と決め付けてしまうのではなく、これを生かす知恵が現代の私たちに求められていると思います。

 ――陽明学には、よく知られた「知行合一」とともに「致良知」という考えがありますが。

 「良知」は良心のことと思えばいいでしょう。王陽明は「良知を致す」と解釈し、自らの良心に基づいて行動するよう説きましたが、藤樹は「良知にいたる」と読み替えました。陽明学の教えが左派と右派に分かれるような感じで、前者は、ある意味で過激性、危険性を伴う。

 藤樹はこの言葉の解釈をめぐって考え抜いたはずです。門人は若いから、ストレートに正しいことを実践しようとしますが、結果的に藩や幕府に対する体制批判になる。しかし、それはかえって、学問のマイナスになる。それを藤樹は恐れたのだと思います。

 まず自分の心を磨き、正し、そこから始めることが先決。社会を批判するのではなく、自分自身の心を正すことから出発しなければいけない。そうすれば思慮深くなり、短兵急で軽率な行動に出ることもないだろうというのが藤樹の考え方です。

 何よりも、自分自身の心を覆う利欲を除去し、太陽のように良知を輝かすことが学問の目的だと説き、すべての人間に備わった「明徳」を曇らせないよう慢心と利欲を戒めたのです。

 ――今の教育は知育偏重ですが、藤樹はそうではないのですね。

 何よりも藤樹が大事にしたのは徳を修めることであり、難しい言葉を学ぶことではありません。学問とはわれわれの徳を修めるためのもの。四書五経がどうのこうのと、そんな細かいことは覚えなくてもいい。自分自身の徳を毎日の生活の中で養うことが肝要だと強調しました。

 しかも藤樹の教えは原理原則というか基本、根幹になることしか説いていないので、どんな時代にも通用する内容です。江戸時代にとどまらず、今の時代にも通じる教えです。

 ――ただ、今の若い人たちの間ではその名も業績も知られていません。

 戦後、占領軍の指示で、修身の教科書に載っている人物は一切教えるなという方針になった。その結果、藤樹の名は忘却の彼方に追いやられたわけです。

 考えてみれば明治維新の時も江戸期の教育を廃して、近代教育を採り入れました。しかし、内村鑑三の著書『代表的日本人』によって藤樹は復活しました。だから、戦後六十数年たった今、同じように藤樹をきちっと世に出す人が現れないかなと思っていたら、童門冬二さんが小説『中江藤樹』を書いて、藤樹が再び世に出る大きな機縁になりました。

 ――同姓なのは偶然とのことですが、中江さんは藤樹のどういうところに引かれますか。

 十五歳で祖父の家督を継ぎ大洲藩士になったのに、二十七歳の時、老母に孝養を尽くすため脱藩して無一物になって郷里の琵琶湖畔に帰ってきました。その後は私塾を開きながら、こんな田舎で生涯を終えました。

 でも不思議に、全国からしかるべき人がちゃんと集まってきて門人が増え、江戸にまでその名声が伝わっていく。博識の故に人が集まってきたわけでなく、徳行故に引き付けたのです。村人を感化したのも高い徳の力です。

 世の中は不思議なもので、自分の方に財や肩書を欲しがる人には人が逃げていく。藤樹は自分を捨て切った生き方を身をもって示した。こういう人を真の師、真の学者というのでしょう。

 ――地元に受け継がれている伝統にはどういうのがありますか。

 立志祭という伝統行事があります。これは毎年三月七日に、昔から地元の小学校三年生が行っていますが、今後は高島市内全域に広げて各校で催すことになりました。藤樹の副読本を前もって読んで、その感想文を書いたり、自分の志や夢を発表したり、史跡巡りをしたりします。

 ――その教育効果はどうですか。

 まず藤樹のことを話せるようになるだけでもいい。郷里の偉人について子供たちが語るということが大切です。自分の町のことを紹介するように言われた時に、「藤樹の里です」と自信を持って言えるようになることが大きい。子供に徳の種を植えることになりますから。


 なかえ・あきら 昭和28(1953)年、大阪府生まれ。同50年、佛教大文学部史学科卒。同大歴史研究所研修員、中江藤樹記念館館長補佐などを経て、平成16年から昨年まで同館館長。現在はびわこ成蹊スポーツ大外部講師、孝経普及会代表。著書は『中江藤樹入門』『鑑草ものがたり』『中江藤樹人生百訓』『中江藤樹一日一言』など。
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by sakura4987 | 2008-11-15 10:19

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