◆【次代への名言】11月27日・松下幸之助
(産経 2008/11/27)
■艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす、という言葉がありましょう。心をしぼませ投げたらおしまいですわ。最後の最後までがんばらないけませんな(松下幸之助)
その名前はついに社名から消えたが、わが国を代表する家電メーカー、パナソニックの創業者、松下幸之助は明治27(1894)年のきょう、和歌山県和佐村(現・和歌山市)の旧家に生まれた。父が相場に手を出し、家運が傾いたために、10歳を目前にして大阪へ奉公にやらされたが、戦前にすでに大企業を立ち上げ、戦後、活動の舞台を世界へと大きく広げた「経営の神様」であり、「今太閤」-とは言わずもがな、だろう。
冒頭のことばは『松下幸之助の予言』にある。もともと体が強い方ではないにもかかわらず、苦難や困難な選択が彼を待ち受ける。しかし、そこから創意に富んだ活路を見いだし、一歩一歩、力強く前進してゆく。いくつかの自叙伝を読むと、彼の一生はその繰り返しだった。
この立志伝中の人物は「経営は芸術である」と言っていた。しかし、昭和7年に胸に浮かび、終生、抱き続けていたであろう、「宗教道徳の精神的な安定と、物資の無尽蔵な供給とが相俟(あいま)って、始(初)めて人生の幸福が安定する。ここに実業人の真の使命がある」(『私の行き方考え方』)ということばを想(おも)うとき、彼は芸術家というより、「経営の哲人」と呼ぶにふさわしい。

