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2006年 04月 09日 ( 17 )

 総務省が、4月1日付けで各都道府県知事に対し、総連関連施設の固定資産税の減免措置を見直すように通達する予定とのニュースを3月29日付けメールニュースでご報告したが、本日、4月3日、その内容が判明したので以下に報告したい。

 総務省は4月1日付けで、都道府県知事あて総務次官通知として、「地方税法、同法施行令、同法施行規則等の改正について」を通知し、そのうち、「Ⅴ 特記事項」の1として下記の内容が書かれている。以下はその全文である。

■総務省が固定資産税の減免につき知事に通知

1 地方税の減免措置については、地方税法の規定に基づき、条例の定めるところによって行うことができるが、各地方団体にあっては、当該措置が特別な事由がある場合に限った税負担の軽減であることを踏まえ、適正かつ公平な運用に十分配慮すること。とりわけ公益性を理由として固定資産税の減免を行う場合には、最近の裁判事例において、朝鮮総連関連施設に関する福岡高裁判決(平成18年2月2日)などのように、減免対象資産の使用実態やその公益性判断が問題とされたものがあったことも踏まえ、減免対象資産の使用実態を的確に把握した上で、公益性の有無等条例で定める要件に該当するかを厳正に判断すること。
by sakura4987 | 2006-04-09 12:25


MVPインタビュー松阪大輔

  -前略-

WBCはどんでん返しの連続だったけど、当初は日本代表の重みを分からない選手もいて、チームは決して一枚岩とは言えなかった。準決勝に進んでからですえ、ベクトルがビシッと揃ったのは、技術が均衡すれば、後は気持ちの差が出てくれる。2次リーグで韓国に負けたときに、国を代表する気持ちの差が出たと思った。

 イチローさんは「野球人生最大の屈辱」と言ったけど、僕はそんな言葉もでないほどショックだった。目の前でマウンドに韓国国旗を立てられた時は屈辱で震えそうになったけど、負けたんだから何も言えない。そんな自分が情けなくて悔しくて……。

 みんなも同じ気持ちだったんじゃないかな。そんな韓国に国の威信を掛けた闘いというか、命のやり取りをするような厳しさを教わったような気がする。だから準決勝で対戦した時は、最大の屈辱を味わった後だったので、日本の方が気持ちは上だった。完封までは想像していなかったけど、大差をつけて勝ちたいとみんな思っていましたからね。

 -後略-


イチローインタビューより

  -前略-

  「終わったあとの日の丸は、僕が持つしか絵にならないと思っていたので(笑)、願ったり叶ったりでした。監督は重かったですねぇ……僕は、世界の王選手を世界の王監督にしたかった。それがすべての始まりでしたから、その充足感はありましたよ」

 日の丸を手にしたまま、王監督のもとへ歩み寄ったイチロー。その時、風がイタズラをして、二人を日の丸がふわっと包み込んだ。ほんの一瞬、日の丸に包まれた中で、イチローは全てが報われる言葉を耳にした。「ありがとう、君のおかげだ」「最後にそう言ってもらったことが僕は何よりも嬉しかったです。日本ではあれほどのスーパスターでありながら、それでも選手を立ててくれる、本当に凄いと思いました」

 君のおかげだ―。

 この一言ですべてが報われた気がした。そう思うのも無理ないほどに、イチローは一ヶ月重荷を背負っていた。

  -中略―

 「ジャパンのユニホームを見る前kら、自分の中でイメージしていたんですけど、それがクラッシックスタイルだったんです。僕の中で、日の丸を背負うと言うのは日本の心を持って望むと言うことだと思っていましたし、意識の中から薄まっていく大事なものを思い返したいという気持ちはあったのかもしれません。それがあのスタイルであり、日の丸の重さだったんじゃないかと思います」

  11月21日の夜。イチローは王監督に電話をして、WBCへの出場の意志を伝えて。「それを聞いて、ホッとしたよ」「こちらこそ、光栄です」

 この瞬間から、世界にその名を知らしめた二人は、日の丸の重みを分かち合うことになった。それから119日後―イチローの一途な想いは結実したのである。


○王貞治・もっとも長き30日間
  密着ドキュメント

   -前略―

  五輪競技から野球が外れ、日本でも野球の人気に陰りが見える。現役の監督がシーズン開幕前の1ヶ月間チームを離れることに迷いはあったが、「泥をかぶる覚悟」で代表監督を引き受けた。少年野球の世界大会でもWBCも、野球を世界に広げるという意味では、理念は一緒と考えたのだ。

 「第1回だから引き受けるべきだと思った。問題はもちろんあるが、やりながら解決していくしかない。最初に誰かがやらなければ、次に進めないんだから」

  ただ取り巻く状況は厳しかった全面協力を約束していた日本野球機構は、12球団の支援を確たるものにできなかった。メジャーで活躍する松井秀喜の協力も得ることが出来なかった。しかし、王は恨み節を言わず、「日本メンバーの発表が早すぎた、メジャーのように2月になってからでもよかんたったんじゃないか」と庇うことさえした。

  日本代表といいながらアテネ五輪の時とは何もかもが違った。専属のコックは帯同できず、食事は選手個人任せだった。バッティングピッチャーも足りず、宮本が投げることもあった。

ー中略ー

 「王監督に恥をかかせられない」(イチロー)
 「王監督を胴上げしたい」(松中信彦)


ー中略ー

  決勝戦を前、王は別れを惜しむかのように、出番の少なかった選手たちに声をかけた、病後で苦しんだ和田一博、ベテランの宮本、谷繁。若手の新井貴浩には打撃理論まで語っている。ここまでこれたのは、それぞれのチームに帰れば主力選手でありながら、代表では控えに甘んじてくれた選手たちの貢献があればこそと思うようになっていた。

 優勝を決めても、口をつくのは選手を讃える言葉ばかりだった。

 「最初どこでもそうかもしれないが、ごたごたしていたと思う。だが、戦って勝つうちに、チームは一丸となってきた。私は国際試合の経験が少ないので、メジャーにいるイチローと大塚に投打を任せていたが、チームをよく引っ張ってくれた。この大会を通じて、野球って、素晴らしいなとみなさんにわかって
もらえたのがうれしかった」


○大塚
メジャーの意地とジャパンの誇り

  「野球選手をやっていると家族と過ごす時間はどうしても少ない。でも父親の仕事を誇りに思ってもらいたいし、何より父親が日本代表だということをみてほしかった」

 「海外に出れば、日本を余計に感じるんです」

 決勝戦の試合前、大塚は王監督にこう言われている「2回投げてもらうかもしれない」

 「大和魂です」と即答した大塚。


ー中略ー

9回裏、1点を失ったものの、世界一まであと一死、王監督がタイムをとる。マウンドに来ると「あと一人だからな」

 大塚が、最後の打者をスライダーで三振にとり、日本の優勝が決まった。

 「このメンバーと別れたくなかった。少しでも長くジャパンでいたかったから、最後までロッカーにいました、いいチームでした」


○松中信彦

  「野球人として自分を追い詰めていく選手は少ないのかもしれない。その必要もないのかもしれない。でも、自分の一番身近にそういう王監督がいらしゃる。監督はそういう野球人生を歩んできたんじゃないかと思うんです。9年間身近にいて、いろんなことを教えてもらった。最初は監督を雲の上の人だと思っていたんですが、だんだん身近な存在に思えるようになりました。

 そういう気持ちになってみると、王監督みたいな人間、野球人になりたいという思いがどんどん大きくなる。監督はもっと大きなプレッシャーの中でやってきた。ぼくのプレッシャーなんて大したことじゃない。もっともっと追い込んで、もっと成長して監督に近づきたい。監督の域に近づけばわかることも多いと思う。だから自分を追い込んでいるところもあります」
by sakura4987 | 2006-04-09 12:24
MVPインタビュー松阪大輔

  -前略-

WBCはどんでん返しの連続だったけど、当初は日本代表の重みを分からない選手もいて、チームは決して一枚岩とは言えなかった。準決勝に進んでからですえ、ベクトルがビシッと揃ったのは、技術が均衡すれば、後は気持ちの差が出てくれる。2次リーグで韓国に負けたときに、国を代表する気持ちの差が出たと思った。

 イチローさんは「野球人生最大の屈辱」と言ったけど、僕はそんな言葉もでないほどショックだった。目の前でマウンドに韓国国旗を立てられた時は屈辱で震えそうになったけど、負けたんだから何も言えない。そんな自分が情けなくて悔しくて……。

 みんなも同じ気持ちだったんじゃないかな。そんな韓国に国の威信を掛けた闘いというか、命のやり取りをするような厳しさを教わったような気がする。だから準決勝で対戦した時は、最大の屈辱を味わった後だったので、日本の方が気持ちは上だった。完封までは想像していなかったけど、大差をつけて勝ちたいとみんな思っていましたからね。

 -後略-


イチローインタビューより

  -前略-

  「終わったあとの日の丸は、僕が持つしか絵にならないと思っていたので(笑)、願ったり叶ったりでした。監督は重かったですねぇ……僕は、世界の王選手を世界の王監督にしたかった。それがすべての始まりでしたから、その充足感はありましたよ」

 日の丸を手にしたまま、王監督のもとへ歩み寄ったイチロー。その時、風がイタズラをして、二人を日の丸がふわっと包み込んだ。ほんの一瞬、日の丸に包まれた中で、イチローは全てが報われる言葉を耳にした。「ありがとう、君のおかげだ」「最後にそう言ってもらったことが僕は何よりも嬉しかったです。日本ではあれほどのスーパスターでありながら、それでも選手を立ててくれる、本当に凄いと思いました」

 君のおかげだ―。

 この一言ですべてが報われた気がした。そう思うのも無理ないほどに、イチローは一ヶ月重荷を背負っていた。

  -中略―

 「ジャパンのユニホームを見る前kら、自分の中でイメージしていたんですけど、それがクラッシックスタイルだったんです。僕の中で、日の丸を背負うと言うのは日本の心を持って望むと言うことだと思っていましたし、意識の中から薄まっていく大事なものを思い返したいという気持ちはあったのかもしれません。それがあのスタイルであり、日の丸の重さだったんじゃないかと思います」

  11月21日の夜。イチローは王監督に電話をして、WBCへの出場の意志を伝えて。「それを聞いて、ホッとしたよ」「こちらこそ、光栄です」

 この瞬間から、世界にその名を知らしめた二人は、日の丸の重みを分かち合うことになった。それから119日後―イチローの一途な想いは結実したのである。


○王貞治・もっとも長き30日間
  密着ドキュメント

   -前略―

  五輪競技から野球が外れ、日本でも野球の人気に陰りが見える。現役の監督がシーズン開幕前の1ヶ月間チームを離れることに迷いはあったが、「泥をかぶる覚悟」で代表監督を引き受けた。少年野球の世界大会でもWBCも、野球を世界に広げるという意味では、理念は一緒と考えたのだ。

 「第1回だから引き受けるべきだと思った。問題はもちろんあるが、やりながら解決していくしかない。最初に誰かがやらなければ、次に進めないんだから」

  ただ取り巻く状況は厳しかった全面協力を約束していた日本野球機構は、12球団の支援を確たるものにできなかった。メジャーで活躍する松井秀喜の協力も得ることが出来なかった。しかし、王は恨み節を言わず、「日本メンバーの発表が早すぎた、メジャーのように2月になってからでもよかんたったんじゃないか」と庇うことさえした。

  日本代表といいながらアテネ五輪の時とは何もかもが違った。専属のコックは帯同できず、食事は選手個人任せだった。バッティングピッチャーも足りず、宮本が投げることもあった。

ー中略ー

 「王監督に恥をかかせられない」(イチロー)
 「王監督を胴上げしたい」(松中信彦)


ー中略ー

  決勝戦を前、王は別れを惜しむかのように、出番の少なかった選手たちに声をかけた、病後で苦しんだ和田一博、ベテランの宮本、谷繁。若手の新井貴浩には打撃理論まで語っている。ここまでこれたのは、それぞれのチームに帰れば主力選手でありながら、代表では控えに甘んじてくれた選手たちの貢献があればこそと思うようになっていた。

 優勝を決めても、口をつくのは選手を讃える言葉ばかりだった。

 「最初どこでもそうかもしれないが、ごたごたしていたと思う。だが、戦って勝つうちに、チームは一丸となってきた。私は国際試合の経験が少ないので、メジャーにいるイチローと大塚に投打を任せていたが、チームをよく引っ張ってくれた。この大会を通じて、野球って、素晴らしいなとみなさんにわかって
もらえたのがうれしかった」


○大塚
メジャーの意地とジャパンの誇り

  「野球選手をやっていると家族と過ごす時間はどうしても少ない。でも父親の仕事を誇りに思ってもらいたいし、何より父親が日本代表だということをみてほしかった」

 「海外に出れば、日本を余計に感じるんです」

 決勝戦の試合前、大塚は王監督にこう言われている「2回投げてもらうかもしれない」

 「大和魂です」と即答した大塚。


ー中略ー

9回裏、1点を失ったものの、世界一まであと一死、王監督がタイムをとる。マウンドに来ると「あと一人だからな」

 大塚が、最後の打者をスライダーで三振にとり、日本の優勝が決まった。

 「このメンバーと別れたくなかった。少しでも長くジャパンでいたかったから、最後までロッカーにいました、いいチームでした」


○松中信彦

  「野球人として自分を追い詰めていく選手は少ないのかもしれない。その必要もないのかもしれない。でも、自分の一番身近にそういう王監督がいらしゃる。監督はそういう野球人生を歩んできたんじゃないかと思うんです。9年間身近にいて、いろんなことを教えてもらった。最初は監督を雲の上の人だと思っていたんですが、だんだん身近な存在に思えるようになりました。

 そういう気持ちになってみると、王監督みたいな人間、野球人になりたいという思いがどんどん大きくなる。監督はもっと大きなプレッシャーの中でやってきた。ぼくのプレッシャーなんて大したことじゃない。もっともっと追い込んで、もっと成長して監督に近づきたい。監督の域に近づけばわかることも多いと思う。だから自分を追い込んでいるところもあります」
by sakura4987 | 2006-04-09 12:24


平松茂雄(軍事評論家、元杏林大学教授)著(講談社インターナショナル発行)の著作を読み終わっ

ところですが、日本の将来に愕然とせずにはおられませんでした。
訪問者の皆様においては、日本のおかれている軍事大国・中国に目を向けられ、この著書の
購読をお奨めする次第です。

「日本併合」の中国のシナリオの要旨は次の通りです。

1.国家目標は、1842年(アヘン戦争)以前の「中華帝国」の再興にある。

2.知らないうちに格段に進んだ軍事力
 核の威嚇を受け続けたことから、国家目標として軍事力に目覚め、水爆、弾道ミサイル、
 原子力潜水艦を完成させ、更に宇宙ステーションの建設に取りかかっている。

3.東シナ海資源開発に隠された中国の真意
 中国には国境という概念はなく、南シナ海では、ベトナム、フィリピン、マレーシアの
 管轄する海域を軍事力で西沙諸島、南沙諸島などを侵略し、自国の領土とした。
 その進め方は、領有権問題の「棚上げ」「平和解決」「共同開発」を主張しながら、海軍力
 による実力行使である。
 1968年国連アジア極東委員会によって実施された東アジア地域の海洋調査によって
 尖閣列島周辺の大陸棚に「中東に匹敵する」石油資源が埋蔵されているとの調査結果が
 翌年公表された。
 1995年以降、中国は「日中中間線」の日本側海域の奄美諸島から尖閣諸島まで海洋調査と
 称して資源調査と軍事調査を行った。
 2004年11月の中国の原潜の先島の領海を潜行したまま通過したのは、この海域の調査を
 終わっていたからこそ可能だった。
 こにように中国は東シナ海の総ての海域の調査を終えている。

4.中国の「他国侵略」の歴史
 1950年代、ウイグル族(トルキスタン)、カザフ族などの 13の民族の地であった中央
 アジアは新彊開発と称して漢族を大量に入植させ、当初人口 7% だった漢族が91年
 には 40% になり、ウィグルでの最多民族は漢族になってしまった。
 チベットへも、1950年、「チベットの平和解放」と称して侵略と占領を行った。
 
 1989年3月、中国史上初めての戒巌令が敷かれた。その当時のチベット自治区の最高責任者が、
 実は今の胡錦濤国家主席なのです。
 チベットでは、120万人以上の命を失い、6,000あった僧院、寺、聖地の99%が略奪されたうえ、
 破壊された。
 インドは、中国の武器供与の国、チベット、イラン、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、
 ミャンマーに包囲されている。

5.日本は海からの侵略に耐えられるか
 2001年12月以降、我が国の排他的経済水域(=EEZ。自国の沿岸から 200海里(約370km)。

 日本の国土・領海・EEZ面積は世界6位の約489万km2)の海洋調査を行い、2002年12月、

 中国海軍測量部隊は周辺海域の測量調査を完了したことを明らかにした。
 海洋調査の目的は、台湾統一の軍事行動に備えて、我が国および台湾に近い太平洋地域に
 潜水艦を展開し、機雷を敷設するための海洋調査である。
 米国の空母が台湾近海に接近することの阻止を狙っている。
 中国海軍の西太平洋への進出は、第一列島線(千島列島からフィリピンまで)の「中国の海」
 を守るという意味を持って実施されているのである。
 2004年には、我が国の最南端の島・沖ノ鳥島の周辺でも海洋調査を強行している。
 台湾は日本の南西諸島およびフィリピン諸島とともに、中国の沿海海域を事実上半封鎖
 の状態においており、中国の太平洋への出口を塞いでいる。
 もし、中国が台湾を統一できれば、中国は太平洋に面した国となり、台湾海峡、バーシー
 海峡、という日本のシーレーンの重要な拠点を押さえることになる。
 我が国は、石油の 90%を中近東から輸入し、そのタンカーはマラッカ海峡、南シナ海、
 バーシー海峡を通過して、日本の港湾へ到達する。
 従って、中国の台湾統一は、シーレーンという生命線の要であり、決して他人事ではない。

6.2010年、日本の運命が決まる
 我が国は、1979年から2004年までに、ODAを含め総計6兆円を超える援助を中国へ供与
 してきたが、この時期は中国の宇宙と深海への拡大「戦略的辺疆」を拡大していく時期と
 符合する。
 強大な軍事国家へと成長する中国の国家戦略を後押ししてきたのである。
 相手の軍事力の強化を助長し、自国の安全を危機に曝すという愚行を犯してきた。
 米国においては、共産主義には原則としてODAを与えないという大前提があるのに

 比べると日本のODAは非常に脇の甘い根本の問題をはらんでいたことが分かるだろう。
 1995年、李鵬首相はオーストラリアの首相との会談で「日本などという国は、このまま
 いけば、20年後(2015年)には消えてなくなる」と非常に刺激的な発言をした。
 米韓を分断して、北朝鮮と韓国を融和させ、米国を排除し、中国が主体となる「東アジア
 共同体」を形成することは、我が国が中国に呑み込まれるに等しい。
 2008年、北京オリンピックが開催されるが、この年は台湾にとって「独立」のリミットで
 あり、台湾が「日本の生命線」である我が国にとっても、国家の存続に関わる重要な年と
 なる。
 2010年代に入ると台湾海峡の軍事バランスは、中国側に有利に傾くと見られている。

 それは、海軍、空軍が充実し、更に宇宙軍が運用を開始するという計画があるからである。
 我が国は、台湾の独立を支援しつつ、米国海軍と協力して、台湾周辺の広大な海域を防衛
 することがより重要な国家戦略の意味を持つ。
 残された究極の選択肢は、①日本が危険を感じて中国に屈服する。 ②米国と強固な同盟を
 誇示することによって中国に手を引かせる。 のどちらかである。

この事態は、日中共同声明(1972年9月)の田中角栄首相以来の歴代政権が我が国を中国へ
売った結果であり、政界、財界、官僚は、この事を真摯に受け止めなければならない。


繁栄している日本に残されている時間は、日々刻々「中国独裁政権の牙に曝されようとして
いる」。

従って、小泉政権の次期首相には、「国防」、「国家財政の再建」、「教育」に熱意を持つ
政治家に政権を担当して頂くよう国民は声を大にして叫ばねばならない。

間違っても、中国の対日政策責任者が「七人の侍」と呼んで頼りにしている現役の自民党
議員7人の、①河野洋平 ②福田康夫 ③野田毅 ④二階俊博 ⑤加藤紘一 ⑥山崎拓

⑦高村正彦 を絶対に選んではならない。

更に、官僚、財界、マスコミの動静には、目を見張り、我が国の国益に適った意見を今こそ
、主張すべき時期となったことを国民一人一人が自覚すべき重要な時期であることを自覚
すべきである。
by sakura4987 | 2006-04-09 12:23


平松茂雄(軍事評論家、元杏林大学教授)著(講談社インターナショナル発行)の著作を読み終わっ

ところですが、日本の将来に愕然とせずにはおられませんでした。
訪問者の皆様においては、日本のおかれている軍事大国・中国に目を向けられ、この著書の
購読をお奨めする次第です。

「日本併合」の中国のシナリオの要旨は次の通りです。

1.国家目標は、1842年(アヘン戦争)以前の「中華帝国」の再興にある。

2.知らないうちに格段に進んだ軍事力
 核の威嚇を受け続けたことから、国家目標として軍事力に目覚め、水爆、弾道ミサイル、
 原子力潜水艦を完成させ、更に宇宙ステーションの建設に取りかかっている。

3.東シナ海資源開発に隠された中国の真意
 中国には国境という概念はなく、南シナ海では、ベトナム、フィリピン、マレーシアの
 管轄する海域を軍事力で西沙諸島、南沙諸島などを侵略し、自国の領土とした。
 その進め方は、領有権問題の「棚上げ」「平和解決」「共同開発」を主張しながら、海軍力
 による実力行使である。
 1968年国連アジア極東委員会によって実施された東アジア地域の海洋調査によって
 尖閣列島周辺の大陸棚に「中東に匹敵する」石油資源が埋蔵されているとの調査結果が
 翌年公表された。
 1995年以降、中国は「日中中間線」の日本側海域の奄美諸島から尖閣諸島まで海洋調査と
 称して資源調査と軍事調査を行った。
 2004年11月の中国の原潜の先島の領海を潜行したまま通過したのは、この海域の調査を
 終わっていたからこそ可能だった。
 こにように中国は東シナ海の総ての海域の調査を終えている。

4.中国の「他国侵略」の歴史
 1950年代、ウイグル族(トルキスタン)、カザフ族などの 13の民族の地であった中央
 アジアは新彊開発と称して漢族を大量に入植させ、当初人口 7% だった漢族が91年
 には 40% になり、ウィグルでの最多民族は漢族になってしまった。
 チベットへも、1950年、「チベットの平和解放」と称して侵略と占領を行った。
 
 1989年3月、中国史上初めての戒巌令が敷かれた。その当時のチベット自治区の最高責任者が、
 実は今の胡錦濤国家主席なのです。
 チベットでは、120万人以上の命を失い、6,000あった僧院、寺、聖地の99%が略奪されたうえ、
 破壊された。
 インドは、中国の武器供与の国、チベット、イラン、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、
 ミャンマーに包囲されている。

5.日本は海からの侵略に耐えられるか
 2001年12月以降、我が国の排他的経済水域(=EEZ。自国の沿岸から 200海里(約370km)。

 日本の国土・領海・EEZ面積は世界6位の約489万km2)の海洋調査を行い、2002年12月、

 中国海軍測量部隊は周辺海域の測量調査を完了したことを明らかにした。
 海洋調査の目的は、台湾統一の軍事行動に備えて、我が国および台湾に近い太平洋地域に
 潜水艦を展開し、機雷を敷設するための海洋調査である。
 米国の空母が台湾近海に接近することの阻止を狙っている。
 中国海軍の西太平洋への進出は、第一列島線(千島列島からフィリピンまで)の「中国の海」
 を守るという意味を持って実施されているのである。
 2004年には、我が国の最南端の島・沖ノ鳥島の周辺でも海洋調査を強行している。
 台湾は日本の南西諸島およびフィリピン諸島とともに、中国の沿海海域を事実上半封鎖
 の状態においており、中国の太平洋への出口を塞いでいる。
 もし、中国が台湾を統一できれば、中国は太平洋に面した国となり、台湾海峡、バーシー
 海峡、という日本のシーレーンの重要な拠点を押さえることになる。
 我が国は、石油の 90%を中近東から輸入し、そのタンカーはマラッカ海峡、南シナ海、
 バーシー海峡を通過して、日本の港湾へ到達する。
 従って、中国の台湾統一は、シーレーンという生命線の要であり、決して他人事ではない。

6.2010年、日本の運命が決まる
 我が国は、1979年から2004年までに、ODAを含め総計6兆円を超える援助を中国へ供与
 してきたが、この時期は中国の宇宙と深海への拡大「戦略的辺疆」を拡大していく時期と
 符合する。
 強大な軍事国家へと成長する中国の国家戦略を後押ししてきたのである。
 相手の軍事力の強化を助長し、自国の安全を危機に曝すという愚行を犯してきた。
 米国においては、共産主義には原則としてODAを与えないという大前提があるのに

 比べると日本のODAは非常に脇の甘い根本の問題をはらんでいたことが分かるだろう。
 1995年、李鵬首相はオーストラリアの首相との会談で「日本などという国は、このまま
 いけば、20年後(2015年)には消えてなくなる」と非常に刺激的な発言をした。
 米韓を分断して、北朝鮮と韓国を融和させ、米国を排除し、中国が主体となる「東アジア
 共同体」を形成することは、我が国が中国に呑み込まれるに等しい。
 2008年、北京オリンピックが開催されるが、この年は台湾にとって「独立」のリミットで
 あり、台湾が「日本の生命線」である我が国にとっても、国家の存続に関わる重要な年と
 なる。
 2010年代に入ると台湾海峡の軍事バランスは、中国側に有利に傾くと見られている。

 それは、海軍、空軍が充実し、更に宇宙軍が運用を開始するという計画があるからである。
 我が国は、台湾の独立を支援しつつ、米国海軍と協力して、台湾周辺の広大な海域を防衛
 することがより重要な国家戦略の意味を持つ。
 残された究極の選択肢は、①日本が危険を感じて中国に屈服する。 ②米国と強固な同盟を
 誇示することによって中国に手を引かせる。 のどちらかである。

この事態は、日中共同声明(1972年9月)の田中角栄首相以来の歴代政権が我が国を中国へ
売った結果であり、政界、財界、官僚は、この事を真摯に受け止めなければならない。


繁栄している日本に残されている時間は、日々刻々「中国独裁政権の牙に曝されようとして
いる」。

従って、小泉政権の次期首相には、「国防」、「国家財政の再建」、「教育」に熱意を持つ
政治家に政権を担当して頂くよう国民は声を大にして叫ばねばならない。

間違っても、中国の対日政策責任者が「七人の侍」と呼んで頼りにしている現役の自民党
議員7人の、①河野洋平 ②福田康夫 ③野田毅 ④二階俊博 ⑤加藤紘一 ⑥山崎拓

⑦高村正彦 を絶対に選んではならない。

更に、官僚、財界、マスコミの動静には、目を見張り、我が国の国益に適った意見を今こそ
、主張すべき時期となったことを国民一人一人が自覚すべき重要な時期であることを自覚
すべきである。
by sakura4987 | 2006-04-09 12:22
 (産経 06・4・8)

■「日露戦争も侵略」…外交当局に当惑

 【ソウル=黒田勝弘】韓国の盧武鉉政権の「対日強硬外交」がエスカレートする一方だ。日本の高校教科書の竹島記述に対する撤回要求に続き、今度は日本の外務省の韓国情勢に関する分析資料に対しても抗議し、「厳重に対処」などと、興奮の度を高めている。

 すでに、靖国問題でも「首相参拝を中止しない限り首脳会談はやらない」と公言しているが、いずれも国際的な外交常識からは、異例の強硬ぶりだ。このため「対日強硬姿勢は青瓦台(大統領官邸)主導で外交当局は終始、戸惑っている」(ソウルの外交筋)のが韓国側の実情だ。

 しかし「盧政権の対日外交は、これまでの対日外交の暗黙のルールを完全に破壊している」(同)かたちになっているため、外交当局同士で呼吸を合わせた“調整機能”は失われたも同然という。日本側としても、これまでのような配慮優先の外交姿勢では対応できなくなっており、対韓外交の見直しを迫られている。

 韓国側が問題視している外務省の資料というのは北東アジア課が作成したとされる内部資料で、竹島問題などにかかわる盧政権の対日外交を分析したもの。内容は、民族感情を高める反日政策は政権の支持率を高めており、政権のレームダック(死に体)を防ぐため任期中は反日強硬策は維持されるだろうといったもので、分析としては常識的なものだ。

 ところが、韓国側はこの内容が韓国の対日政策を「歪曲(わいきょく)している」などと激しく反発し、外相の日本非難会見に続き、七日には抗議書簡(外交通商省アジア太平洋局長名義)が日本側に伝達された。韓国マスコミが報道した非公式の内部資料さえ、その内容が気に入らないといって外交問題化させているのだ。

 一方、これに先立つ日本の高校の教科書問題では、歴史的に日韓が領有権を争っている竹島(韓国名・独島)問題で、日本の文部科学省が検定過程で日本の領有権を明確にするよう指導したことがケシカランといい、日本非難の声明が発表されている。日本の教科書に、日本が国際的に表明している公式立場が記述されることさえ認めないというのだ。

 盧武鉉政権の対日強硬姿勢は「歴史認識」にも拡大しており、盧大統領は今年の「三・一独立運動記念日演説」で竹島問題に関連した日本非難で「侵略戦争で独島を強占した」と述べている。先の声明でも「侵略戦争時に強奪したことのある独島」としている。

 竹島の日本編入は日露戦争中の一九〇五年だったが、その日露戦争を「侵略戦争」と規定したことになる。誰が誰を侵略した戦争なのかは明らかにしていないが、韓国政府は日露が戦った日露戦争まで侵略戦争と言い出しているのだ。
by sakura4987 | 2006-04-09 12:21
 (産経 06・4・8)

■「日露戦争も侵略」…外交当局に当惑

 【ソウル=黒田勝弘】韓国の盧武鉉政権の「対日強硬外交」がエスカレートする一方だ。日本の高校教科書の竹島記述に対する撤回要求に続き、今度は日本の外務省の韓国情勢に関する分析資料に対しても抗議し、「厳重に対処」などと、興奮の度を高めている。

 すでに、靖国問題でも「首相参拝を中止しない限り首脳会談はやらない」と公言しているが、いずれも国際的な外交常識からは、異例の強硬ぶりだ。このため「対日強硬姿勢は青瓦台(大統領官邸)主導で外交当局は終始、戸惑っている」(ソウルの外交筋)のが韓国側の実情だ。

 しかし「盧政権の対日外交は、これまでの対日外交の暗黙のルールを完全に破壊している」(同)かたちになっているため、外交当局同士で呼吸を合わせた“調整機能”は失われたも同然という。日本側としても、これまでのような配慮優先の外交姿勢では対応できなくなっており、対韓外交の見直しを迫られている。

 韓国側が問題視している外務省の資料というのは北東アジア課が作成したとされる内部資料で、竹島問題などにかかわる盧政権の対日外交を分析したもの。内容は、民族感情を高める反日政策は政権の支持率を高めており、政権のレームダック(死に体)を防ぐため任期中は反日強硬策は維持されるだろうといったもので、分析としては常識的なものだ。

 ところが、韓国側はこの内容が韓国の対日政策を「歪曲(わいきょく)している」などと激しく反発し、外相の日本非難会見に続き、七日には抗議書簡(外交通商省アジア太平洋局長名義)が日本側に伝達された。韓国マスコミが報道した非公式の内部資料さえ、その内容が気に入らないといって外交問題化させているのだ。

 一方、これに先立つ日本の高校の教科書問題では、歴史的に日韓が領有権を争っている竹島(韓国名・独島)問題で、日本の文部科学省が検定過程で日本の領有権を明確にするよう指導したことがケシカランといい、日本非難の声明が発表されている。日本の教科書に、日本が国際的に表明している公式立場が記述されることさえ認めないというのだ。

 盧武鉉政権の対日強硬姿勢は「歴史認識」にも拡大しており、盧大統領は今年の「三・一独立運動記念日演説」で竹島問題に関連した日本非難で「侵略戦争で独島を強占した」と述べている。先の声明でも「侵略戦争時に強奪したことのある独島」としている。

 竹島の日本編入は日露戦争中の一九〇五年だったが、その日露戦争を「侵略戦争」と規定したことになる。誰が誰を侵略した戦争なのかは明らかにしていないが、韓国政府は日露が戦った日露戦争まで侵略戦争と言い出しているのだ。
by sakura4987 | 2006-04-09 12:20
▽ソース:オーマイニュース(韓国語)(2006-04-06 15:21)

http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?at_code=321987

ヨルリン・ウリ党の金元雄(キム・ウォンウン)議員は6日、日本政府の相次ぐ独島妄言について、「我が国の外交部は独島問題について、内部的には確固たる立場を通してきたが、これまでは静かな外交という表現をしているために対外的に韓国政府が弱腰ではないかという印象を与えている」として、独島問題に対する我が国政府のこれまでの対処方式を強く批判した。

6日、平和放送(PBC)のラジオ時事番組に出演した金元雄議員は、日本政府の独島妄言に対する対応策の一環として、対馬島(テマド)を国際法上で領土紛争地域化する戦略を提案した。

金議員は、「対馬島は、世宗大王の時代に征伐して慶尚道に編入され、壬辰倭乱(訳注:文禄の役)で豊臣秀吉が朝鮮を侵略する際にも対馬島を朝鮮領土と明示しており、歴史的根拠が明らかだ。歴史的根拠が明らかな対馬島問題の検討に我が政府が無関心であること自体が、非常に消極的・守勢的な姿勢であり、これこそまさに日本から我が国が軽視される理由だ」として、政府の消極的な姿勢を叱咤した。

金議員は 、「対馬島の領土紛争化の必要性を、今度の国会で外交通商部長官に公式に提起するつもりだ」と表明して、対馬島の領有権主張を実際に行わなければ(独島主権に対する)防御的役割にもならないと強調した。<後略>



◆対馬も朝鮮(造船)の土-中古地図発見 (聯合ニュース 05・3・16-翻訳)

1400年代製作,日も1717年筆写

http://www.yonhapnews.co.kr/news/20050316/040301000020050316142911K3.html

(釜山(プサン)=聯合ニュース)ミン・ヨンギュ記者=日本,島根県議会が16日'竹島の日'を決める条例案を制定して,社会的な公憤を買っているなかで独島だけでなく対馬も朝鮮(造船)の土地であることを見せてくれる中国の古地図が発見された。

釜山(プサン)外国語大金ムンギル教授はこの日1488年当時明国使節董越が皇帝(英宗)の命を受けて,朝鮮(造船)の土を振り返った後作成した見聞録の'朝鮮賦'の4-5ページに出ている'朝鮮八道総図'を公開した。

この地図には鬱陵島(ウルルンド)と独島(于山島)だけでなく対馬(対馬)が朝鮮(造船)の領土で詳しく表記されている。

特に金教授が最近日本某大学の古文書室で発見した'朝鮮(造船)部'という1717年日本が漢字に日本音を付けて,製作した筆写本と明らかになった。

金教授は"独島はもちろん対馬まで私たちの土地であったという事実を立証する古文書が発見されたのに日本はいったい何か考えで独島の領有権を主張するのか分からない"としながら"我が国が対馬の領有権を主張したら日本がどのように出てくるのか気になる"と話した。



◆対日外交に尽力した李芸の功績碑、対馬に建つ (連合 05・11・23)

http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=572005112300800

【蔚山23日聯合】慶尚南道の蔚山出身で、朝鮮時代に対日外交の中枢的な役割を担ってきた李芸(イ・イェ、1373~1445)の業績を記録した功績碑が、日本の対馬に建てられた。

 李芸宣揚会は23日、宣揚会関係者や李芸の子孫らが出席する中、21日に対馬の円通寺で功績碑の除幕式を行ったと明らかにした。昨年12月に李芸が文化観光部の「2月の文化人」に選定されたことを機に、宣揚会は功績碑を建てることを決め、数回対馬を訪問し建設敷地や功績碑の規模などを日本側と協議してきた。

 碑の建てられた円通寺は、李芸が対日外交の中心として活躍していた当時の1408年に建てられたもので、対日外交の場となっていた。
by sakura4987 | 2006-04-09 12:20

◆竹島問題 (外務省)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html

1.我が国の一貫した立場 (1) 竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土である。


(2) 韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではない。

(注:韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていない。)


2.竹島領有権に関する我が国の主張

(1) 竹島領有に関する歴史的な事実

 以下のような歴史的事実に照らして、我が国は、遅くとも17世紀半ばには、実効的支配に基づき竹島の領有権を確立していたと考えられ、1905年(明治38年)以降も、閣議決定に基づいて近代国家として竹島を領有する意志を再確認した上で、同島を実効的に支配してきた。

(イ) 日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文献、地図等により明白である。
(注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年)では現在の竹島を位置関係を正しく記載している。その他にも明治に至るまで多数の資料あり。)

(ロ) 江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。

(ハ) 1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。

(ニ) 日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。その後、竹島は官有地台帳に掲載され、また、竹島でのアシカ漁は許可制となり、第二次大戦によって1941年(昭和16年)に中止されるまで続けられていた。


(2) 1905年の日本政府による竹島編入の有効性

 1905年(明治38年)の、閣議決定及び島根県告示による竹島の島根県への編入措置は、日本政府が近代国家として竹島を領有する意志を再確認したものであり、それ以前に、日本が竹島を領有していなかったこと、ましてや他国が竹島を領有していたことを示すものではなく、また、当時、新聞にも掲載され、秘密裡に行われたものではないなど、有効に実施されたものである。
(注:領土編入措置を外国政府に通告することは国際法上の義務ではない。)


(3) 日本占領及び戦後処理のための諸文書の中での竹島の扱い

 対日平和条約前の一連の措置(1946年1月29日付連合軍総司令部覚書第677号が、日本が竹島に対して政治上又は行政上の権力を行使すること及び行使しようと企てることを暫定的に停止したこと、及び、1946年6月22日付連合軍総司令部覚書第1033号が、日本漁船の操業区域を規定したマッカーサーラインの設置にあたり、竹島をその線の外においたこと)に関する文書は、いずれもその文書の中で日本国領土帰属の最終的決定に関するものではないことを明記しており、竹島を日本の領土から除外したものではないことは明白である。また、もとより我が国固有の領土である竹島は、1943年のカイロ宣言にある「日本は、暴力及び貪欲により略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」の「暴力及び貧欲により略取した」地域には当たらない。

(注:1951年のサンフランシスコ平和条約において、日本がその独立を承認し、すべての権利、権原及び請求権を放棄した「朝鮮」に竹島が含まれていないことは、米国記録公開文書等で明らかである。)


3.国際司法裁判所への提訴

(1) 1954年(昭和29年)9月、我が国は口上書をもって本件問題について、国際司法裁判所(ICJ)に提訴することを韓国側に提案したが、韓国はこれに応じなかった(ICJの強制管轄権を受諾することにあらかじめ同意しているか、または、別途同意の意向を表明すること等がない限り、ICJの管轄権は設定されない)。

(2) 1962年3月の日韓外相会談の際にも、小坂善太郎外務大臣より崔徳新韓国外務部長官に対して、本件問題を国際司法裁判所に付託することを提議したが、これに対しても韓国側から前向きな反応は得られなかった。


【参考】竹島の現状

1. 地 誌

(1) 島根県隠岐島北西85海里(北緯37度14分、東経 131度52分)に位置する。

(2) 東島(女島)、西島(男島)と呼ばれる二つの小島とその周辺の数十の岩礁からなり、総面積は約0.23平方km(日比谷公園とほぼ同面積)。


2. 韓国の不法占拠の状況

(1) 韓国は、昭和29年7月から現在に至るまで、竹島に警備隊員(警察)を常駐(昭和29年)させるとともに、宿舎、灯台、監視所、アンテナ等を設置、年々強化されている模様である。

(2) 平成9年11月、我が方からの累次にわたる抗議にもかかわらず、500t級船舶が利用できる接岸施設を完工させた。更に、平成10年12月には有人灯台を完工させた。

【韓国本土からの竹島入域自粛について】
 我が国固有の領土である竹島に対する韓国による不法占拠が続いている状況の中で、我が国国民が韓国本土から竹島へ入域することは、我が国国民が竹島において韓国側の管轄権に服し、竹島に対する韓国の領有権を認めたとの誤解を与えかねません。この点につき、国民の皆様の御協力をお願い致します。
by sakura4987 | 2006-04-09 12:19
(産経 06・4・8)

http://www.sankei.co.jp/news/060408/sha025.htm

 韓国紙「中央日報」が7日、拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の夫とされるキム・チョルジュン氏が韓国人拉致被害者だと日本政府が確認したと報道したことを受けて、安倍晋三官房長官は同日午前の記者会見で、「DNA鑑定の作業を鋭意進めているが、現時点では結果は出ていない」と述べた。

 政府は2月、めぐみさんと同時期に韓国から拉致された男性5人の家族から血液や毛髪の提供を受け、めぐみさんの娘のキム・ヘギョンさん(18)との親子関係の確認作業を進めている。

 安倍長官は「横田さんの家族の意向もあり、できるだけ早いタイミングで結果を出せるよう作業中だ」と強調した。

 ただ、正式な鑑定結果が出る時期に関しては「日程が何日とまだ決まったわけではない。しばらく時間がかかる」との見通しを示した。

 一方、麻生太郎外相は閣議後の会見で、「結果は出ていない。まだ正式に学者などプロの間でこれだということはない」と語った。

 めぐみさんの母、早紀江さん(70)は「日本政府からそういう話は聞いていない。正式な報告を待って対応を考えたい」と語り、父、滋さん(73)も「政府は11日以降に発表すると聞いているので、それを待ちたい」と話した。


◆横田めぐみさんの夫とされる人物に関するDNA鑑定について (外務省 06・4・7)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/18/rls_0407c.html

本7日、一部マスコミにより、横田めぐみさんの夫とされる人物に関するDNA鑑定につき、キム・ヘギョンさんと韓国人拉致被害者1名が親子関係にある可能性が高いといった内容の報道がなされた。

現在、外務省は、御指摘のDNA鑑定について、鋭意作業を進めているが、現時点では結果は出ておらず、政府として横田めぐみさんの夫とされる人物は特定していない。したがって、政府関係者がDNA鑑定結果につき確認したり、既に報告を受けているといったことはあり得ない。

以上のとおり、上述の報道は事実無根である。
by sakura4987 | 2006-04-09 12:18

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by sakura4987