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2006年 06月 19日 ( 100 )

高崎経済大学助教授 八木秀次 またもや事実歪めるNHK番組

平成17年4月14日(木)産経新聞

《教員側に一方的な肩入れ》

 会長ほか幹部の交代があり全体の統制が取れなくなったのか、NHKの偏向報道が目につく。三月二十八日放映の『クローズアップ現代』はその典型であった。

 番組は都立高校の卒業式における国旗・国歌の取り扱いをテーマに、校長の職務命令に従うか否かに「苦悩」する四人の教諭の言い分を紹介した後、東京都の横山教育長のインタビューを流した。都教委が教員に国旗掲揚・国歌斉唱を「強制」していると印象付ける編集内容であった。

 この番組については既に都議会自民党が四月五日、「反対する教員だけの声を取り上げ、教職員と都教委が敵対しているかのような内容になっている」「公平公正を基本とすべき公共放送の報道姿勢として大変遺憾」とする談話を発表している。

 都教委も翌六日、取材協力依頼と番組内容が違うとしてNHKに「極めて遺憾」と申し入れている。番組では国谷裕子キャスターが、「都教委はなぜ強制してまで徹底を図ろうとしているのか」と繰り返し、都教委の姿勢を「強制」と難じている。

 しかし間違ってもらっては困るが、都立高校の教員は教育公務員である。学習指導要領は小・中・高ともに「特別活動」の項目で「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定しており、学習指導要領は法規としての性質を有している(伝習館高校事件最高裁判決)。

《非は法令守らぬ教職員に》

 法令を順守しない教職員がいるからこそ、都教委は平成十五年十月二十三日に「学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること」「国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること」とする通達を出したのである。

 批判されるべきは都教委ではなく、公務員でありながら法令を順守しようとしない教職員の方である。しかし番組はこれを不問に付す。

 国谷氏は「国旗国歌法が制定された際、国は教育現場では強制しないと答弁している」と横山教育長を難詰する。意図的な質問だが、これも事実に反する。都教委の姿勢は国旗・国歌法が制定された際の文部科学省の通知に沿ったものでもあるからだ。

 文部科学省は平成十一年九月十七日、初等中等教育局長と高等教育局長の連名で、国立学校長、都道府県知事、都道府県教育長、政令指定都市教育長に対し、一部の都道府県、指定都市では依然として国旗掲揚と国歌斉唱の実施率が低い状況にあることを指摘した上で、「管下の学校における実施状況等を的確に把握し、各学校の卒業式及び入学式における国旗及び国歌に関する指導が一層適切に行われるよう引き続きご指導をお願いします」と求めている。

《「内心の自由」という詭弁》

 それでも、教職員の「内心の自由」を理由に都教委の姿勢に反対する向きもある。しかし、これも国旗・国歌法が制定された当時の平成十一年七月二十一日、衆院内閣委員会文教委員会連合審査会での文部大臣答弁で明確に反駁(はんばく)されている。

 すなわち、「一般に、思想、良心の自由は、それが内心にとどまる限りにおいては絶対的に保障されなければならない」が、「それが外部的行為となってあらわれる場合には、一定の合理的範囲内の制約を受け得る」。

 また、「校長が学習指導要領に基づき法令の定めるところに従い所属教職員に対して本来行うべき職務を命じることは、当該教職員の思想、良心の自由を侵すことにはならない」。

 さらに、「学校において、校長の判断で学習指導要領に基づき式典を厳粛に実施するとともに、児童生徒に国旗・国歌を尊重する態度を指導する一環として児童生徒にみずから範を示すことによる教育上の効果を期待して、教員に対しても国旗に敬意を払い国歌を斉唱するよう命ずることは、学校という機関や教員の職務の特性にかんがみてみれば、社会通念上合理的な範囲内のものと考えられ」るのであり、「そういう点から、これを命ずることにより、教員の思想、良心の自由を制約するものではない」。

 以上の通り、今回のNHK番組の「強制」報道は明らかに事実に反している。これは放送法の求める「報道は事実をまげないですること」(第三条の二)にも違反する。この件については、ぜひ国会でも問題にしてもらいたい。



※そもそも公務員は国家に忠誠を尽くすという前提で、公務員になっているはずで、国家に忠誠を尽くさないのならば、辞職すれば言いだけの事だ。

内心の自由などとごねているが、職も賭けれない程度の、単なる我がままの自由を言葉を変えてごまかしているだけだ。

本当に内心の自由を守りたいのなら、それなりの覚悟を伴うと覚悟すべきだと思う。

内心の自由を守るという事をもっとも顕著に表したのは、やはりイエス様はじめキリスト教の伝道者たちではないだろうか。

彼らが守り通した、内心の自由に比べると、国旗・国家へ反対する教師の自由など、恥ずかしくて人に言えるものではない。

本当に信念があり、人にもこれを勧めるだけの価値観を持っているなら、職を賭けて、命を賭けてやってみろといいたくなる。

所詮、何をやってもちょっとした処分で、首になることもないと安心しながらやっている、甘ちゃんたちの戯言でしかないと思う。

しかし、NHKは本当に相変わらずだ。

最近の不払い現象は、職員の不正事件が理由だが、本来は、偏向報道に対して不払いをやるべきだ。

以前、NHKは日本ダービーの際の国旗掲揚の場面では、馬のお尻だけを映していた事があったと有名だが、この放送態度は全く変わっていないようだ。

放送法に則って、国民として不払い運動に参加してもらいたいと、心から念願する。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:25
嘆かわしい連休対策の日付移動  東京大学名誉教授 辻村明 平成16年12月23日(木) 産経新聞

《禍根残した祝日法の制定》

 十二月二十三日は天皇誕生日である。天皇誕生日は戦前には天長節といわれ、明治時代には十一月三日、大正時代には八月三十一日、昭和時代には四月二十九日が天長節であった。

 当日は学校は休みであったが登校はして、校長が厳かに読み上げる教育勅語を拝聴し、多くは紅白の記念まんじゅうをもらって帰宅したものである。そして各戸には「日の丸」の国旗が門や玄関の脇に掲げられ、「旗日」ともいわれた。全国津々浦々どこに行っても「日の丸」の旗がひらめき、祝意にあふれていた。

 戦前の暦には、この天長節の他、紀元節(二月十一日)、明治節(十一月三日)と四方拝(一月一日)の四大節と新年宴会(一月五日)が祝日とされ、他に祭日として、神武天皇祭(四月三日)や大正天皇祭(十二月二十五日)など七つのものがあった。そして祝祭日は休日であると同時に国旗を掲げるように指示されていた。

 このうち明治天皇は特別扱いで、明治四十五年七月三十日に崩御され、大正時代になってからは、天長節が八月三十一日に移されたため、十一月三日は普通の日となった。しかし明治天皇の偉大な業績をしのぶ祝日として、昭和二年に明治節が制定された。

 戦前最後の祝祭日は以上のようなものであったが、全体的に天皇や皇室中心の国家主義的な性格が強かったので、敗戦後、GHQの占領下にあった昭和二十三年七月三十日制定の「国民の祝日に関する法律」によって、大幅に変更された。

 それは時代の趨勢(すうせい)からして自然なことであったが、新しく制定された戦後の「国民の祝日」には、制定後の変更をも含めて多くの問題がある。その一部については、「成人の日」に関連して、平成十三年五月十三日付の本欄『祝日の再検討を提案する』で指摘しておいた。今回はその続編ということになり、多少の重複はお許し願いたい。

《安易で怠惰な風潮を蔓延》

 まず第一に、「〇〇節」という名称はすべて排除されて、単に「〇〇の日」という名称になったことである。「天長節」などの「節」というのは、元来は竹の節(ふし)に由来していて、これは固くて動かし得ないものという意味合いがある。

 天皇にせよ一般市民にせよ、誕生日は誕生日で一回しかなく、一日といえども動かし得ないものであり、それが故に、季節や生活の区切りともなるものであった。

 その重みが失われたために、「国民の祝日」で新たに設置された「成人の日」は、最初一月十五日だったのが、平成十二年から一月の第二月曜日に移されて、土・日・月の三連休に組み入れられた。

 また「海の日」も最初は七月二十日であったが、同じく七月の第三月曜日に移されて三連休、「敬老の日」も最初は九月十五日だったのが九月の第三月曜日に移され、「体育の日」も最初は十月十日だったのが、十月の第二月曜日に移され、三連休が年に四回もできてしまった。

 この三連休は一方で「ゆとり教育」の方針から毎週土・日が連休になったことの延長線上にあり、かけがえのない特定の一日を平気で他に移して休めばよいという、安易で怠惰な風潮を蔓延(まんえん)させてしまった。

《祝日変更より国旗掲揚を》

 日付は忘れたが、この三連休制が国会で議論される直前、自民党と公明党の幹部が国会の廊下を歩きながら「三連休、よろしく頼みますよ」と話し合っている姿がテレビに映り、私はあぜんとした。

 第二に昭和天皇時代の天長節が「みどりの日」として残っているが、どうにも座りが悪いので、「昭和の日」にしようという声が起こりつつあるが、私は反対である。明治天皇でさえも「明治節」が「文化の日」に変えられたのだから、昭和天皇がどんなに在位が長く、高潔な人格者であったであろうとも、今更「昭和の日」を設けることもあるまい。

 それよりも国会議員や公職に在る者は、自宅で果たして祝日に国旗を掲げているのだろうか。漸く「国旗・国歌」法(平成十一年八月)も通り、既に五年も経っているのだから、祝日をいじるよりも自ら範を垂れて自宅に国旗を掲げ一般市民にもそのように働きかけていくべきであろう。

 私は祝日には努めて国旗を自宅の門柱に掲げるようにしているが、三連休にするために移動した祝日には掲げない。なお国旗はどこで売っているのか知らない人も多いようなので、デパートの和服売り場で売っていることを付記しておこう。



※世間ではクリスマス、クリスマスと猫も杓子もクリスマス。自国の祝日のお祝いはせずに、キリスト教でもないくせに、商売人に乗せられた根無し草の若者たちが彷徨しているが、もう一度、自国の基礎から徹底的に教え直さなければ、本当に我が国は溶解してしまう。祝日と言うのは、一年の中の一つの区切りであり、また、過去を偲び感謝する日ではなかろうか。そのような精神を忘れ去り、国旗も揚げずに、日曜日と同じ感覚で遊び回る事を推奨する政治家たちの精神のありかがどの程度なのかは、押して知るべしだ。我が国の政治は「革命」がなければ変わるのは無理だという結論を出さざるを得ない。  
by sakura4987 | 2006-06-19 17:24

 十月に入って、ワシントン・ナショナル交響楽団のシーズン・コンサートの初演奏を聞きにいった。ポトマック河畔のケネディセンターの広壮なホールは満員だった。人気の高いバイオリニストのジョシュア・ベル氏が登場することもあったのだろう。

 交響楽団の演奏が始まったのかなと思ったら、会場の全員がさっと起立した。米国国歌の演奏だった。見回すとだれもが立ち、しかも声を出して歌っていた。私も起立した。この国では訪問者なのだから、訪れた相手がこぞって敬意を表す対象はそれなりに認知するというのがいつもの心情である。

 そこでふと七月末の民主党全国大会の冒頭での国歌斉唱を思いだした。記者席には明らかに米国人ではない人間も多かったが、会場の代議員たちに合わせて、みな起立し、沈黙を保ちながら、斉唱に耳を傾けていた。

 ところが近くに一人だけ、座ったままの人物がいるのに気づいた。日本国内で国歌や国旗への敬意に留保をつける論調で知られる全国紙の日本人記者だった。なるほど自国の国歌に敬意を示さないならば、外国の国歌にも冷淡であるべきという理屈なのかなと思った。しかし訪問先の慣行は無視するのか、ともいぶかった。

 そのうち、交響楽団のクラシックの美しい演奏が始まった。(古森義久)

※朝日?毎日?日経?NHK?NHKは新聞社ではなかったか。その人間一人が笑われるのなら構わないが、「日本人は」になることが分からない、公の立場などない最近流行の「猿」なのだろう。タイタニック号のただ一人の日本人乗客、細野正文さんは船の異変に気付いた時、「日本人の恥になるまじき」と死を覚悟したという(タイタニック号の便箋に書かれた手記より)。「人間」と「猿」とはこんなに違う。 
by sakura4987 | 2006-06-19 17:24
平成16年9月29日(水)産経新聞

 来月二日に創立記念式典などを行う都立高校二校の校長が全教員に対し、生徒が起立して君が代を歌うことを指導するよう職務命令を出した。当然のことだと思われるが、NHKと一部全国紙はこれを問題視する報道を行った。

 この職務命令は都教育委員会が今月上旬に校長を集めた席で行った指示を受けたものだ。新聞は「生徒の内心に立ち入るもので、認められない」などと批判する都高校教職員組合の談話を載せた。NHKは二十七日昼のニュースで、校長の談話も紹介したが、「生徒の思想・信条の問題など人権侵害に及ぶ危険性をはらんでいる」とする都高教組の批判で締めくくった。

 全体として、都教委や校長が職務命令を盾に、生徒の内心の自由を侵そうとしているかのような印象を与える報道である。しかし、この職務命令のどこに問題があるというのだろうか。

 学習指導要領は「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と教員の指導義務を定めている。平成十一年には、「国旗は日の丸、国歌は君が代」とする国旗国歌法が成立した。これらの法規を守るよう、校長が教員に改めて指示したものである。

 都教委は昨年十月、「国旗を壇上正面に掲揚する」「起立して国歌を斉唱する」などの通達を出し、今春の卒業式や入学式で国歌斉唱時に起立しなかった教員ら二百余人が処分された。学校によっては、式の前に「立っても立たなくてもよい」といったあいまいな説明を行った教員もいたが、処分より軽い厳重注意などにとどまった。

 今回の職務命令は、教員の指導をさらに徹底させようという趣旨である。これからは、式での教員自身の不適切な態度だけでなく、式前の不適切な指導も処分の対象になる。いまだに国旗・国歌の指導に反対する教員が多い東京都などでは、当たり前の措置だ。文部科学省も「指導要領に基づく指導を徹底させる職務命令は、何の問題もない」としている。

 これを問題視したマスコミの中で、組合の立場に立って報道したNHKは、その公共性を疑われよう。校長は一方的な報道に惑わされず、毅然(きぜん)として教員を指導してほしい。



※NHK職員の不祥事以降、不払いが3万件を超えたらしいが、当たり前の話だ。今後も手綱を緩めず、せめて中立にまで持っていくことが我々の近々の目標になるだろう。その後も手綱を緩めずに、保守側からの圧力をかけ続けるのは当然だが。アメリカの大手マスコミも国民から見放されつつあるが、その記事を垂れ流す日本のマスコミはつまらん仕事をやっている。独自で記事を集めることをしない哀れな姿だ。いずれマスコミはインターネットで恥をさらすことになっていくだろう。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:23
「読売」04/07/03

学校に国旗…豪で義務化法案、補助金の条件に

 【シドニー=樋口郁子】豪州政府が全国の学校に対し、連邦政府の補助金を受ける条件として、国旗掲揚を義務づける法案を下院に提出した。豪州では日常的に国旗掲揚を行う学校も多く、実質的には大きな変化はないが、突然の義務化法案に、「なぜ今」ととまどいも広がっている。

 ハワード首相は6月22日、向こう4年間で実施する教育改革法案の説明の中で、補助金を受ける条件の一つとして「学校に国旗掲揚台を設置し、豪州国旗を掲げなければならない」と発表した。法案の概要は今春明らかにされていたが、国旗掲揚が条件として打ち出されたのは初めて。ネルソン教育・訓練・科学相はその理由として、「我々の子供たちが誇り高きビクトリアやクインズランドの州民であるのは素晴らしいことだが、今後はオーストラリア国民、地球市民としての意識を育てていきたい」と話した。

 発表直後、野党やメディアからは「時代錯誤」との批判が出たが、首相は「若い世代は国旗掲揚を普通のことと受け止めている」と一蹴(いっしゅう)した。

 法案提出の背景には、学校教育への影響力を強めようとする政権の思惑があるとの指摘がある。連邦政府は州への補助金を含め、直接間接に各小中高校に多大の補助金を出しているが、教育行政は基本的に州政府の管轄。そこで、連邦政府の意向を教育現場に反映させようとし、その象徴として国旗掲揚義務付けを打ち出したというものだ。

 イラク戦争の影響を指摘する声もある。ハワード政権はイラク戦争で対米追従路線を鮮明にしたが、イラク情勢が悪化すれば、今年後半にも行われる連邦総選挙への悪影響が懸念される。「国家としての一体感」を強調することで保守層の支持を固めようとしているというわけだ。

 豪州教育組合のパット・バーン会長は「国旗の掲揚は多くの学校で行われているが、どのような場合に行うかは個々の学校が決めること。義務付けは学校運営への不当な干渉だ」と批判。オーストラリア国立大のマイケル・マッキンリー博士(政治学)は「一部の国粋主義者に向けたパフォーマンス」と指摘している。

◇豪州国旗=1953年の国旗法で定められ、英連邦の一員として、英国のユニオンジャックに星をあしらったデザイン。もはや時代にそぐわないとして、共和制に移行し、国旗も独自のデザインに変えるべきだとの声もあるが、国旗には愛着があるという国民も多い。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:22
主権回復の日に寄せ憲法を考える 東京大学名誉教授・小堀桂一郎

平成17年4月27日(水) 産経新聞

≪占領要項にすぎぬ現憲法≫

 四月二十八日といふ日は、日本対連合国の平和条約の効力発生による真の終戦が実現し、「被占領国」日本が晴れて独立国家主権を回復した記念日である。

 この事についての認識は、現在どの程度広くゆきわたつてゐるであらうか。それが成就した昭和二十七年以来、本年で五十三年の歳月が経過してをり、且つこの日に同志の人々と相諮つて催してゐる「主権回復記念国民集会」も平成九年の初回以来本年で九回目になるのだが、例年の盛会のわりには、上記の認識の普及効果については、なほ未だしの心細い思ひを禁じ得ない。

 本年は殊に、この集会の連年の基本主題である、総理の靖国参拝貫徹問題、被拉致同胞奪還問題、領土問題、歴史教科書をめぐる隣国の内政干渉問題等々の他に、本来の「主権」の認識に関はる憲法改正問題が浮上して、我々に真剣な思索と考察とを促してゐる。今は甚だ重大な決断の秋(とき)である。

 而して自民党案を始めとする既発表の複数の改正試案につき、憂慮に堪へない疑問がいくつかある。いま「主権」に関はる脈絡でのみその一を言ふとすれば、所詮「占領政策施行要項」にすぎない現憲法の裏面に存する基本原則の如きものをいつたいどう扱ふのか、といふことである。

 その基本原則とは、①に国民主権、②に基本的人権の尊重、③に平和主義の三項目だといふのがほぼ共通の理解に立つ公論の様である。

 つまりこれが日本占領方針三原則なのだから、先づこの原則の持つ誤りを払拭(ふつしょく)しなければ現憲法の改正は基本理念の面で発進し得ないのだが、官製の諸試案はいづれもこの占領三原則を廃棄するどころか、逆にそれを固定化しようとの意図が明白に看て取れる。これはいつたいどうしたことか。現立法府の人々は、旧敵国による日本占領をなほ続行してもらひたいのでもあるか。

≪日本になじまぬ概念導入≫

 上記の三原則が如何に独立主権国家としての日本国の面目を毀傷(きしょう)する妄誕(ぼうたん)であるか、その所以を簡単に記す。

 先づ国民主権の概念についてだが、これは現憲法中でも悪名高き「前文」を注意して読んでみれば明らかな如く、アメリカ南北戦争に於けるリンカーンのゲッティスバーク演説の、しかも誤解(乃至誤訳)を含んだ焼直しに他ならない。

 とすれば、それはアメリカ東部十三州連合といふ植民地の住民が本国に対して独立を宣言した時のあの闘争的な教条に起源を有する思想であつて〈人類普遍の原理〉どころか、近代世界の異端者的反抗思想の所産にすぎない。日本の千古の国体とは到底相容れない代物なのである。

 人権などといふのも亦米国独立宣言といふ一時の譫妄(せんぼう)から採つて占領方針中に強引に挿入した概念であつて、二千年来君民一如の国体を保持してきた我国にとつては、わざわざ口に出すまでもない余計な思想である。

 余計なものである故に、最近の人権擁護法案にその最悪の発現例を見る如く、実は大衆の私的強欲や怨恨の情念を正当化する危険な暴力装置として悪用されるであらう毒をひそめてゐる。

 平和主義も一見無害で結構な思想の如くに見えるが、実はこれの端的な表現が現行の九条2項なのだから、これは国家の自然権としての自衛権の否定であり、即ち日本は主権国家ではない、と宣言してゐるに等しい。この占領基本法施行当時、確かに我国は占領軍の管理下=保護下にあり、現実に主権国家ではなかつた。然し今こそこの軛(くびき)を投げ棄てなければ、我々は主権国家の実を回復し得ない。

 もし改正自主憲法の制定に当り、やはり基本三原則の如きものが欲しいとならば、我々は当然明治維新の鴻業(こうぎょう)に際して我等の父祖が定めた国是三則に立返るべきである。

≪一に国家安全保障の確立≫

 即ち、①に国家安全保障の確立で、これは外敵の侵寇(しんこう)に対しては領土と人民を護り、内に向かつては社会秩序の安定を通じて民生の康寧(こうねい)を確保するといふ、国家から国民に対しての約束を国憲化することである。

 ②に国家主権の尊厳で、これは国民の信仰、教育、歴史観、習俗、市民的諸権利等の内政問題には外国の干渉を許さぬ毅然たる姿勢をいふ。

 ③に積極的国際貢献の思想で、これは徳川幕府の多年に亙る一国平和主義的閉鎖的姿勢からの転換を意味した。即ち我国を国際社会の一員として、世界秩序維持のために国力に相応した貢献を為し得る国とせんとの宣言だつた。

 約百四十年の昔に我等の父祖が採択したこの三条の国是こそが、新世紀の日本国憲法の基本理念たるべきである。

※まず、人権擁護法案だが、まだまだ自民党の法務部会を通過できていないようで、反対派が良く頑張っていただいている事に、深謝したい。

また、民主党の中に反対する会も出来たようで、何とか希望が継続できている。とにかく阻止しなければならない。

ところで、上記の4月28日の「独立記念日」については、国内的にほとんど知られていないと思う。私もこの世界に入っていっとき経ってから知った。

考えてみれば、国民にとっては本当に重大な日であり、あげてお祝いと感謝と決意を新たにする日であるが、政治的にもほとんど無視され、忘却の彼方になってしまっている。

戦後すぐから基礎が出来ていない証拠だが、もうひとつ、すっかり忘れられているものがある。それは、「五箇条の御誓文」だ。

これは、明治を作るはじめにあたって、基本指針だが、実は戦後の日本を作る際の基本指針でもあるのだ。

マスコミは、昭和21年元旦の昭和天皇の詔-「新日本建設の詔」を「人間宣言」という風に取り上げているが、これも詐欺的な行為で、このときの昭和天皇のお気持ちは全く違っておられた。

「新日本建設の詔書」の冒頭には、「茲(ここに)に新年を迎ふ。顧みれば明治天皇、明治の初め、国是として五箇条の御誓文を下し給へり。曰く、一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。……」。という具合に五箇条のご誓文が全部そのまま引用されており、最後の五箇条目の「一つ知識を世界に求め大いに皇基を振起すべし」とすべて引用された上で「叡旨公明正大またなにおか加えん。朕は茲に誓いを新たにして国運を開かんと欲す」と書かれてある。

つまり、戦後も「五箇条の御誓文」から我が国は出発したのであり、この時の詔は、別に「人間宣言」をされるために出されたのではない。

それから言うと、国民全てが丸暗記しておかなければならないのだが、その様な事は学校では教えているわけがなく、これもどこかに忘れ去られている。

現在の我が国の状況は、危機迫り、まさに「国家存亡の秋」だが、それを回避するには、過去を良く見直してみると、答えがそこにあるのだが。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:21

「頭脳」争奪戦 世界舞台に激化 平成17年2月22日(火) 産経新聞

 ≪研究生活するなら米国≫

 三年前の秋、立木和也(27)=仮名=は悩んでいた。日本の大学に戻るべきか、このまま米国にとどまるべきか。いずれも、コンピューター科学の博士課程に進学するという選択だが、どちらにするかで人生は大きく変わる。

 日本で在籍していたのは有名国立大学。修士課程の一環として、米インディアナ州の大学に約十カ月間、単位交換留学をしていた。米国での研究生活を体験し、「戻ることが最良の選択とは思えなくなった」。母校は日本でこそ最高峰だが、世界で超一流として名前が通用するとはいえない。米国で学んだ大学は日本でこそ無名だが、屈指の研究者がいて世界に広く名が通っている。

 それ以上に、学究生活と企業活動が一体となったインターン制度が充実し、チーム一丸で研究する米国の環境が気に入っていた。「教授の多くも外国人。外国人であることがハンディにならないことを実感した」

 立木は結局、米国を選んだ。

 ≪流出で労働力に打撃≫

 昨年一月、産業界を震え上がらせる判決が東京地裁で出た。青色発光ダイオードの開発者、米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授、中村修二に対して、元勤務先の化学メーカーが二百億円の発明対価を支払うよう命じたのだ。

 企業と企業内研究者のあり方に一石を投じた係争は結局、今年に入って六億円の和解金で落着した。だが、すでに日本に失望して米国に新天地を求めていた中村は「米国は実力主義。やる気のある人は行くべきだ」と日本全国の研究者に呼びかけた。中村と親交が深い山形大教授の城戸淳二は「ノーベル賞級の頭脳が海外流出した。企業経営者は研究者の気持ちを理解していない」と指摘する。

 有機EL(次世代ディスプレー)の世界的権威である城戸も米国に五年間留学した経験を持つ。「欧米では研究者に応分の評価を与える。日本は、企業も大学も『好きな研究さえできれば文句ないだろう』という態度。このままでは中国などアジア諸国にも追い越される」

 海外で研究活動を経験した日本の研究者は、文部科学省の平成十四年度の調査では35%。三年前から9ポイントも上昇した。

 医療ベンチャー「アンジェスMG」(本社・大阪)取締役の森下竜一(大阪大大学院教授)は血管再生による遺伝子治療の権威だが、米スタンフォード大への留学で才能を開花させた。森下は、日本独特の“下積み”の長さが若い研究者の意欲を奪う、と言う。「米国なら三十代後半で助教授になれるが、日本は助手にもなかなかなれず生活も大変な人が多い。研究者として最も脂の乗った時期なのに、研究に集中できる環境にない」

 ≪大学推薦枠を撤廃≫

 ソニーは昨年から、技術系の新卒採用で大学教授による推薦枠を撤廃した。「既得権」を失う大学側から反発されたが、「日本の常識は世界の非常識」(採用担当部長の中田研一郎)と踏み切った。

 人事政策の転機は五年前に始めた中国での採用活動だった。日本の大手電機メーカーでは一番乗り。意気揚々と乗り込んだ中田らに、現地の大学関係者が告げた。「やっとおいでになりましたね。ずっと待っていたんですよ」

 現地ではソニーとしのぎを削り合う欧米の大手メーカーだけでなく、サムスン電子(韓国)など台頭著しいアジア企業も乗り込み、熾烈(しれつ)な人材争奪戦を展開していた。「ショックでした。ビジネスでグローバルな競争をしているくせに、肝心の人材確保で遅れていた」と中田は言う。

 北京大学の学生など中国の理系エリートのレベルの高さにも目を見張った。「英語も堪能で、優秀な学生は米国などにどんどん留学する」

 ソニーは来年度から、入社試験も年四回実施する。春先に就職活動が集中する学生の負担軽減がねらいだが、少子化とグローバル化が進む時代の行方を見据えている。「少子化で優秀な人材は量としては減るが、採り方によっては十分カバーできる」

 ≪バックアップ体制整え≫

 発明報奨制度をめぐって、「中村ショック」をきっかけに企業側に変化が生まれつつある。武田薬品工業やマツダは今年度から、報奨金の上限を撤廃した。NTTグループは平成十一年から、国際的にも評価の高い社内研究者に「R&Dフェロー」という肩書を贈り、好きなことを存分に研究できるバックアップ体制を整えた。R&Dフェローは現在九人。

 「まじめな姿勢といい、日本の研究者は一番優秀だと思う。そのポテンシャルを引き出す環境さえ整えば、世界と勝負しても負けないはず」

 人一倍の「愛国者」を自任する森下からのメッセージである。それができるか否かに、人口減少時代の日本の将来もかかっている。=敬称略



※現在の経済界の切迫した状況が良くわかる内容になっているが、我が国は様々な分野において、いわゆる「たがが外れてしまった」という状況だ。民主主義といって喜んでいるが、自由主義の嵐の真っ只中に漕ぎ出してしまっていることが、あまり意識されていない。  

そこから来る油断とも言うべき精神の緩みから、雨漏りだらけの国家になってしまっていて、事が起きて慌てふためく状況ばかりが見られ、一つ一つを丁寧に、そして確実にという姿勢がなくなっているように感じられる。  

その象徴とも言うべき事件が、今回の「ライブドアVSフジ」だろう。ニッポン放送の事や村上ファンドの事などはずいぶん前から言われていたことだし、昨日、前トヨタ社長で、現経団連会長の奥田氏も、フジの油断について「対応の緩いところがあったと思う」と言ってあった。  

この件でも、問題が表面化して政界も慌てている様だが、改めて隙だらけの国だなあと、ほとほと嫌気がさしてくる。「治において乱を忘れず」という格言など、風前の灯という感じだ。  

さて、今回の件で不思議なのが、保守と思われているブログがほとんどこの件に触れていないことだ。私の周りでも、これに関して危機感があまりないように思う。なぜ???だろう。

今回の事は、産経新聞という、保守にとっては根幹を揺るがす事件であるのだが、これをしつこくやっているのは、ほんの少数のブログだけだ。どうも不思議でならない。

自由主義の観点から言えば、堀江氏がやっていることは非難できないと思うが、ひょっとすると「産経新聞」がなくなる危険性もあるわけで、私としては何も出来ないが、せめて「フジ」を応援している事だけは伝えたいと思っている。

これまで「産経新聞」が掲載してきた報道やそれに対するコメント、また国を思う姿勢には、心から感謝したいし、今後もこの姿勢を貫いていただきたいと思っている。この中核があったればこそ、私のような人間でも、少しはコメント出来るようになったのであって、ある意味、産経新聞に育てられた面があると思っている。拉致事件でも、「産経新聞」がなければここまで大きくならなかったのではないだろうか。

今後の成り行きだが、先日書いたように、金融庁などはなりふり構わず、法の網に引っ掛けようとしているようだし、ライブドアの最年少重役によるインサイダー取引の疑いも出てきた。また、「堀江さんの負け」とライブドアに投資したリーマン顧問の慶大教授で元大蔵省財務官の榊原英資氏が断言したらしい。

が、まだまだ油断は出来ないと思っている。ライブドアの懐具合なのだろうが、もし仮に、50%を越すような事になれば、どう転ぶか分からないと思っている。また、堀江氏が退場したとしても、その株の行方や黒幕登場という事になるかもしれない。最悪は、ニッポン放送を倒産させれるかどうかというところまで、もつれるかも知れないと思っている。事実、フジはそこまで考えて事に当っているようだ。

「殷鑑(いんかん)遠からず、夏后(かこう)の世にあり」と言うように、自分の行動を省みる戒めの事例は、すぐ手近な所にあるというが、今回のフジの件では、様々な事を教訓として学んだし、政治家はこれを「他山の石」として、緊張感ある国作りに邁進してもらいたい。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:20

平成15年06月07日(土) 産経新聞  京都大学総合人間学部教授  中西輝政氏

≪なぜ英国が衰退しているか本当の原因がわからなかった≫

 イギリスは近代史のパターンとしては日本より六十年から百年先を進んでいます。世界の工場としての地位を確立して、化学、電気工業、そして金融、保険、情報通信の分野に経済成長の主要な焦点が移った第二次産業革命の時期、一八九〇年代にイギリスは初めて衰退の徴しを経験します。日本のバブル崩壊の百年前に初めて屈曲点に達したわけです。世界で最初の近代型衰退です。

 そのとき、イギリスはあせって、あれもこれも改革しようと、火のついたような「改革論の季節」を迎えるのですが、優先順位が決められない。なぜ衰退しているか、本当の原因がわからないからです。ある人は経済構造の近代化、ある人は財政再建、ある人は教育改革だと主張しますが、どれひとつ実現しませんでした。第一次大戦でイギリスは辛うじて勝ちますが、古い体質を持ったまま歴史の大嵐の中に漂いつづけ、戦後、二流国家になってしまいました。これは改革の道筋を誤り二十世紀初頭の最後に残ったチャンスを生かせなかったためです。

 当時のイギリスは、豊かな社会を達成し、世界一の生活水準を誇りました。「勤勉な文化を維持してきた国が、あるときを境に妙に騒がしく楽しい国になってくる。そのようにみえたときこそ衰退の脅威が迫っている」。これは二千年前のローマ人の言葉ですが、当時のイギリス人は若者の価値観の崩壊に懸念を深めていました。若者が仕事のために海外へ出たがらなくなったからです。イギリス商船の船乗りも外国人が主流になりました。議会が一九〇五年に出した調査報告書では、国内でぜいたくが可能になり、洗練された生活ができるようになったからだと分析しています。当時は、グルメブーム、さらに大変な旅行ブームで、大衆が楽しみのために海外へ団体旅行するようになりました。

 ストレス解消のため健康産業が流行し、雑誌や新聞には健康食品などの広告でいっぱいでした。この国の国民はいつから虚弱体質になったかと、お年寄りが投書しているのですが、健康ブームは繁栄が頂点に達したときに必ず起きます。若者が活字でいっぱいの本を読みたがらなくなる。これはイギリスだけの現象ではありません。

≪生活水準が下がる衰退期を経験し、再生した国こそ先進国≫

 先進国の定義をすれば、親よりも子、孫の世代の方が生活水準が下がる衰退期を経験し、そこから再生した国のことです。近代型衰退を一度も経験したことのない国は一人前ではありません。日本は、まだ半人前の先進国です。先進国には長期の経済成長を続けた後、必ず歴史的な屈曲点がきます。そのときの共通現象を四つ挙げましょう。

 一つは衰退期に直面したとき、必ず人口問題が関心を集めます。

 一九五〇年代のフランスは実際に人口が減り始め、将来への悲観論が増幅しました。当時の長期予測は五十年後の二〇〇〇年にフランスの人口は七割以下に減る、と予測したのです。

 今のフランスの人口は五〇年代より増え、当時の予測の十七例中、十四例は間違いました。なぜ長期予測がはずれるのか。歴史には必ず予測できない決定的な前提条件の変化があるからです。ですから三十年を超える長期の人口予測を今のトレンドを投影する形でやっても何の意味もないのです。歴史は変化に満ちています。今の延長に未来はない。これは何よりの教訓です。

 二つ目は必ず財政の構造的破綻(はたん)が起きます。財政の根本は税制です。国の収入と支出の基本構造は三十年もたてば必ず時代に適応できなくなります。しかし、抜本改革できないのが先進国の財政構造です。昔は戦争とか大恐慌でご破算になった。今は自分からご破算にしなければならず、ある種の革命が必要です。

 それと関連して、三つ目に政治のリーダーシップが大きく衰退し、政治が何も決められなくなる。硬直した財政構造をどうご破算にするか、これがサッチャーさんやレーガンさんの問題意識だったのです。破壊を起こすには政治にすごい活力が必要です。ところが衰退期の先進国は内閣がいくつも交代する。人口減少期のフランスは十年間に十一回内閣が交代しています。当時は大統領制ではなく、日本と同じ議院内閣制で、連立政権が続き、政治が何も決められない。結局、最後はドゴールが登場し、従来の憲法を廃棄して全く新しい憲法をつくり、第五共和制という大統領がすべてを決めるフランス型の独裁制をはじめました。これでフランスは外交も経済も安全保障も価値観も変わり、フランス人は保守化し、家族の価値の再生が唱えられ、七〇年代以降、出生率が上昇に転じました。

 最後の四つ目が、洗練されすぎた生活に若者が浸り、国民としての活力が失われ、モラルが崩れます。今の日本人は、恵まれすぎているがゆえに停滞を打破できない。では、どうしたらいいか。日本は今、非常に大きな国としての歴史的な選択の分かれ道にきています。戦後の制度、価値観、生き方を見直し、憲法、安全保障、教育といった問題を含めた「国家として構造改革」をやらねばなりません。

 今、日本という国の歴史的な構造改革、革命、つまり完全に行き詰まった戦後の清算をやらなければ、この国の地下水脈として国民に脈々と流れている活力を再生し、くみ上げることはできないと思います。


※「国家としての構造改革」。小泉首相の口から何度も出たような言葉だが、何かできたという感じがしない。と言うのも、真に国民が渇望している部分での価値観がまったくズレていたように思う。意外と国民のほうが健全で、ここ数年で国内の政治的な雰囲気は明らかに変わってきた。国民は明らかに「保守」を待ち望んでいる。この空気を掴める人が、次のリーダーになるのだろうが、さてどなたの出番だろうか。民主党でないことだけははっきりしているが、自民党の批判票が民主党へ流れた時が恐ろしい。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:19

平成15年06月07日(土) 産経新聞  京都大学総合人間学部教授  中西輝政氏

 日本が世界の歴史から学ぶべきものを探る「新・世界学講座(第三期)」(産経新聞社/関西2100委員会主催)第三回が五月十三日、大阪市内で開かれ、京都大学総合人間学部の中西輝政教授が「大英帝国の衰亡と日本」を講義した。中西教授は、百年前のイギリスを例に「近代型の衰退を経験しない先進国は一人前でない」と指摘。同時に「今の日本人は恵まれすぎているため、停滞を打破できない」としたうえで、「日本再生」には憲法や教育を含む「国家としての構造改革」断行が不可欠と強調した。

 イギリスを知ることは近代の世界を知ることといわれます。イギリスが私の勉強の中心的なテーマになったのは、アメリカ人が国際秩序や安全保障を議論するとき、イギリス的なるものを非常に意識して勉強していることがわかったからです。

 日本の学者や知識人は大陸ヨーロッパ的な考え方に明治以来、何か奇妙な影響をうけて、逆に世界がわからなくなってしまっていると私は感じています。大陸ヨーロッパ諸国は芸術、文化、哲学など非常に深い蓄積がありますが、世界をどう運営するかになるとドイツやフランスは世界の田舎者です。ヨーロッパとその周辺ぐらいしか興味がなく、徹底したヨーロッパ中心主義です。ヨーロッパにおける自国の優位や発言権を確保できれば世界がどうなろうとかまわないわけです。ドイツやフランスは、われわれが一緒に行動する国ではありません。

 私のヨーロッパ認識の一番中心にある考え方は、ヨーロッパは決して一つではないことです。ヨーロッパは一つでありながら永遠に一つにはなれない。一つというのは精神文化、宗教、ローマ帝国の遺産の継承者という意味です。ヨーロッパは一九五〇年代から五十年間、ひとつの国になろうと一生懸命坂を登って統合を進めてきました。ようやく通貨統合まではきたのですが、軍隊や政治、議会、政府制度までひとつにできるかというとこれはできない。

 可能な目標に一生懸命がんばって自転車をこいでいる間はいいのですが、壁にぶつかってペダルをこぐ足をゆるめると一瞬にして後ろにずりさがる。これがヨーロッパ統合の運命です。二十一世紀の世界をみていくときの大事な仮説は、「ヨーロッパは永遠に一つになれない」と「中国は一つでありつづけることができない」、この二つだと思います。

 二十一世紀の世界と日本を考えるときに非常に大事なことは、われわれの未来を見る目、歴史観だと思います。過去を見る、未来を見るのは同じです。現在は絶えざる過去です。歴史観は、未来をみるわれわれの足掛かりです。

≪日本人は戦後、歴史が絶えず変化するという感覚を失った≫

 歴史観がいかに大事かに触れましょう。

 第一は、日本人が戦後失ってしまったのは非常に大事な歴史の感覚、「歴史は絶えず変化してやまない」ということです。戦後の日本人の思考は、現在の流れをそのまま将来に投影して未来を考えるものです。例えば、今の日本の人口は減り始め、二一〇〇年になれば、人口は半減以下になるという議論をまじめにしています。これは戦後日本人が歴史を忘れたことを物語っています。

 だが、日本や世界の歴史は決して現状が将来に投影される格好で進んでこなかったことを教えています。あるとき、突然に、ほんの二-三年ぐらいの間に、過去何十年のトレンドが大きく入れ替わっています。三十年から五十年でそれまで不変と思われた流れも全部変化するという断層的な変化が起こるのが普通です。

 戦後日本も、昭和三十五年の池田内閣発足から高度成長が始まりましたが、ちょうど三十年でバブルが崩壊しました。価値観も根本的に変わります。ある時代の非常にはっきりとした価値観が、次の時代にはあってはならないというふうに変動するのです。つまりすべての前提は変わりうる、ということで、変わらないものは何もない。これが「歴史の真実」だと思います。

 第二のポイントは、歴史は必ず繰り返すということです。歴史は、二度とおなじところに戻ってこない、という直線史観の考えを歴史家と称する人々はよく口にします。しかし、われわれが胸に刻んでおくことは、歴史は人間が作るということです。人間の本質が変わらなければ、結局どこかで同じようなパターンをくりかえすのです。今日のような大転換の時代には、循環史観という、振り子を振るような歴史の見方が大事です。

 最後のポイントは、人間の精神が歴史を動かしているということです。二十世紀を動かしたのは、物質的条件が歴史を動かすというマルクス主義の考えでしたが、八十年かけてうそだったことが分かりました。

≪人間の精神が世界を動かしているという歴史観こそが必要≫

 しかし、われわれの頭の中にはその余波がまだ残っています。精神的なものが世界を動かすという歴史観を育てなければ、過ちをもう一度繰り返してしまいます。一つの国が興隆し衰退する、しかしある時、そこからある種の再生、あるいは根本的な変形をして、さらに発展ないし大きく変容するという盛衰後のパターンがあります。そこでは意識・精神の問題が決定的な要因となります。 衰亡史として一番有名なのは、エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」です。西洋の歴史学は、興隆衰退が必然のプロセスなら、そのメカニズムを解明して、衰退を先にのばし、繁栄を長く続かせる必要があると考えたわけです。

 ローマ帝国、イスパニア・スペイン帝国、オランダはそれぞれ長い興隆がありますが、いったん衰退期に入ると元に戻りませんでした。これらは近代以前の古典的な大国の衰亡ですが、われわれが興味をもつのは近代以後です。大英帝国の衰退は、まさに最初の「近代型の衰退」であり、いろんな点で示唆に富んでいます。イギリスを最初の近代型社会に押し上げたのは産業革命と議会政治の発達です。近代社会というのは、いわばドッグイアーで変化する、犬は人間よりも六倍早く年をとるということで、つまり近代とはそれまでの変化よりもずっと短い時間で変化を繰り返します。近代社会が三十年か五十年で非常に大きく変わるのはそのためです。急速に発展するが、衰退し、またうまくすれば再生へと、このサイクルを頻繁に繰り返すのが近代工業社会です。

 大英帝国は一九二〇年代、世界の四分の一の陸地、世界の人口の五分の一を支配していました。サイズ的には、今のアメリカと比べてもイギリスの方が一大世界大国でした。ただイギリスの海軍力が世界を圧倒していたのは十九世紀の終わり頃までで、一九〇二年、日英同盟を結んだ時点で海軍力の覇権に限界がきました。大英帝国が世界で最も大きな影響力を持った時代は一八五〇年ごろです。一八五一年、ロンドンで第一回の世界万国博覧会が開かれ、最新の先端技術やイギリスの領土にいる珍しい動物や民族が展示されて世界文明の心としての存在をはっきりと示しました。それが二十世紀に入って衰退の兆しが出てきて、一九四七年にインドを独立させたことで大英帝国はほとんど意味がなくなりました。終わったのは一九六四年、イギリス通貨、ポンドが世界通貨としての交換性を放棄したときです。翌年ウィンストン・チャーチルが亡くなり、その葬儀で、アナウンサーは繰り返し、われわれは過去の帝国を今見送っていると語りました。同じ年にビートルズが登場し、「ポスト大英帝国」の時代に入ります。八〇年代半ばのサッチャーの時代までの二十年間、イギリスは帝国を失い、新しい方向を見いだせないまま漂流していると言われました。

 しかし、今日のイギリスは立ち直って新しい世界の中でイギリスがどういう位置を占めるべきか方向感覚を取り戻しました。かつてのようではないが、世界の主要国としての地位を保ち、経済競争でも最先端グループで走り続ける方向を選び取りました。イギリスには「晴れた日のリベラル、雨の日の保守」という言葉があります。国の具合が悪いときには、保守政党にかじ取りをまかせナショナリズムをもって多くの問題を改革し、新しい出発を用意する。

 これはサッチャーがやったことで、サッチャー改革によって九〇年代、非常に調子がよくなりました。


※トインビーやシュペングラーなどの文明史家によると、一つの文明衰亡が衰退する時には、似通った特徴があるそうだ。その一つは人びとが精神性や宗教性を冷笑したり、ないがしろにするようになる。二つは人びとが本来の居場所から切り離され、根なし草のようになる。とくに農業を嫌うようになる。三つはメトロポリス(大都市)に人間が群がり、刺激的生活から離れられなくなるようになる。四つは自らの文化に背を向けて、すでに滅んでしまった異文明の遺産のようなものをわけもわからずありがたがるようになる…などなど。さていまの日本がそれに該当するかどうか、胸に手をあてて考えてみるとしよう。明治の日本を訪れた多くの西洋人は「日本人は確かに貧しいが、しかし精神の世界をしっかり持った国民だった」と書き残していた。それから百年、この国の国柄と人の気持ちはどうやら変わってきた。 続きは明日。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:18
平成10年02月23日(月) 産経新聞  社会評論家 伊部英男 

 ◆名前も性、名の順で

 日本という国名は、ユーラシア大陸の東部にあることと太陽神の崇拝を意味し、「日出づる国」を象徴し、よい名前であるが、外国では日本をJapanという傾向がある。日本人も国名には日本というせっかくの名前を無視して外国人の言うJapanという名を用いている。姓名も日本人は、姓、名の順で書くのに、英語でサインするときは、名、姓となる。しかし、日本人は橋本龍太郎であって、けっしてRyutarou Hashimotoではない。あたかも毛沢東であって、沢東毛ではないのと同じである。この二つの俗を終わりにすべきである。

 某国のサッカー監督に、サッカーには国家の威信がかかっているという発言があったが、コミュニティ・スポーツとしてのサッカーには特別の意味があるようであって、サッカーの試合にはサポーターの乱闘が少なくない。我が国のサッカーが厳しい道を通りぬけ、世界大会に出場できたことに岡田監督他の選手諸君に敬意を表する。

 日教組教育によって日章旗と断絶したはずのサポーターたちが、「頑張れ日本」と共に大日章旗を振り、中には軍艦旗までかつぎだす人がいて旧海軍としては大変うれしく思った。誠に普通の国になった印象があってすばらしい。健全なナショナリズムだと思う。そもそも国際試合は、すべて国家の威信がかかっているのであって、オリンピックの場合のように参加すればよいということで、この気迫が感じられないのは遺憾である。三百名行って、金メダル三個といった結果は誠に嘆かわしい。参加するということは貢献するということであり、予選に落ちるようでは最初から参加していないのである。

 ◆大戦で見失った歴史と伝統

 それにしてもこの際、日本の英語名のJapanをNipponに変更してはどうであろうか。Japanという言葉には日本人には何の責任もない。昔、マルコポーロが日本をジパングと聞き間違えて以来のことであって、ジャパンは邪班、蛇班に通じ、いかにもコスカラシイという印象もある。英語のjaにもあまりよい語感の言葉はないようである。Japanという名前があるためにJapという蔑称ができたり、タイタニックの際の日本人のような話ができたのではないか。現在のタイ国もかつては、Japanと同様シャムと言われていた。現在のスリランカも以前は、セイロンと言われていた。Japaneseにあたる言葉はどうするか。それは、Nipponeseでもよいが、本当はNipponoまたはNippon jinでよいのではないか。

 第二次大戦で日本人は、その歴史と伝統を見失っている。明治維新は王政復古のスローガンのもとに行われた。その後の発展も、その線で行われ、その究極の姿が敗戦であり、敗戦の結果、過去の歴史がすべて否定される一方、明治時代は、今日もなお支持者が多く、アンビバレンスの心情を日本人にもたらしている。しかし、明治時代の体制は、当時の内外情勢がもたらした危機管理体制であり、本来の復古であったかどうか疑問である。歴史的に見ると我が国の支配体制は、天皇と将軍の二本立てとなっていて、中国のように神政府体制ではなく、この間を運動する自由があった。福沢諭吉が唱えているとおりであって、明治憲法は神政府体制をとったことでむしろ伝統に反していたのである。

 この意味で言うと、戦後の天皇制論争は実態のないものであった。さらに神道を国家宗教としたのも明治以降であった。その前は、むしろ仏教が国教であった。

 ◆安保理入りをきっかけに

 推古天皇の御代に十七条憲法が次のように定められた。「しかれども上和らぎ下睦びて、事を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、事由自づからに通ふ。何事か成らざらむ」、「事独り断(さだ)むべからず。必ず衆と論ふベし。少き事は是軽し。必ずしも衆とすべからず。唯大きなる事を論ふに逮(およ)びては、若(も)しは失(あやまり)有ることを疑ふ。故、衆と相弁(あいわきま)ふるときは、辞則ち理を得」

 古代において朝鮮に出兵したことがあるが、それは国家、民族の観念もなく、百済という母国ないし兄弟国を守るためのもので、今日の植民地主義と同一に見ることはできない。しかし白村江の戦いに敗れたあとは、全く半島への進出はない。従って天皇制も将軍も外征や植民地に関係はない。秀吉の朝鮮出兵はあるが、秀吉は関白であって天皇でも将軍でもない。日本は列強が世界支配に狂躁した大航海時代に鎖国して全く海外と関係を持たない。

 日本が戦争したのは一八九四年から一九四五年の約五十年間だけであった。しかも朝鮮独立と満州の保全と開放を唱えた日清日露戦争は、国際的にも支持された。その後の大陸政策の結果、両戦争の大義まで見失われたのははなはだ残念である。日本はそのもつ民主主義と平和主義の伝統に誇りを持たなければならない。

 JapanからNipponへの切り替えの時期は安保常任理事国になるあたりが適当ではないか。日出づる国と武士道と平和主義の国の常任理事国入りである。NipponとNihonについては、概ねNipponで勝負があったと見てよいであろう。



※現在の大勢は「Japan」のようで、オリンピックなどではこの名称が全てのようである。しかし考えてみれば、上記のようにおかしなもので、「日本」には「Nippon」しかないのではなかろうか。次のオリンピックの際、中国に対して、「Japan」ではなく「Nippon」と書けと抗議するとどんな反応が返ってくるのだろうか。考えただけでもわくわくする。一度中国にそして全世界に対してこのようなことを言ってみたいものだ。「これから日本は変わるんだ」、「今までのように弱々しい国とは決別するんだ」と宣言してみたい。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:17

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987