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2006年 06月 26日 ( 14 )


 ヒマラヤ山中のナツラ峠は、四十年余り封鎖されていたが、ついに七月六日再び開通する。武力で対峙(たいじ)していた関所は、新しく友好交流の道に生まれ変わる。中国とインドの友好協力はまた着実に一歩を踏み出した。

 ナツラはかつて、古い文明を持つ二大国間の経済・文化交流において積極的な役割を発揮した。インドが植民統治から抜け出し独立を実現すると、ナツラ峠を経由した中印相互貿易は一段と飛躍的に発展した。

 旺盛な国境貿易は経済成長を促進し、辺境住民の生活を便利なものにし、双方の伝統的友誼(ゆうぎ)も増進した。

 しかし一九六二年の国境紛争で、峠は突然封鎖された。このことが中印両国を傷つけたのは疑いない。これは双方の根本的利益に合致せず、親しく行き来したいとの辺境住民の願いにも合致しない。

 固い氷を打ち破り、峠を再び開通させることは、双方住民の共通の声である。今、この願いはついに実現する。

 ナツラは生きた縮図である。ナツラ経由の相互貿易は必ず、新たな段階へと飛躍するだろう。というのも、中国とインドのどちらも、驚天動地の変化を経験し、どちらも経済が成長持続の高速道を走っているからだ。

 険しい山間の古道でさえ、新たに高速道路へと建設し直すことは、一種の必然である。

 ナツラは典型的な例である。現在、中印の商品貿易の大部分は海運によって行われているが、中国西部から東部沿海に行き、さらに東南アジアを迂回(うかい)すると、七千-八千㌔にもなる。

 一方、チベットのラサからナツラを経由し、インドのカルカッタなどの港までは一千㌔余りにすぎない。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:18

◆北朝鮮人権法

◆拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律案


 (目的)

第一条 この法律は、二千五年十二月十六日の国際連合総会において採択された北朝鮮の人権状況に関する決議を踏まえ、我が国の喫緊の国民的な課題である拉(ら)致問題の解決をはじめとする北朝鮮当局による人権侵害問題への対処が国際社会を挙げて取り組むべき課題であることにかんがみ、北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、及びその抑止を図ることを目的とする。


 (国の責務)

第二条 国は、北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題(以下「拉致問題」という。)を解決するため、最大限の努力をするものとする。

2 政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民の安否等について国民に対し広く情報の提供を求めるとともに自ら徹底した調査を行い、その帰国の実現に最大限の努力をするものとする。

3 政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努めるものとする。


 (地方公共団体の責務)

第三条 地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努めるものとする。


 (北朝鮮人権侵害問題啓発週間)

第四条 国民の間に広く拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題についての関心と認識を深めるため、北朝鮮人権侵害問題啓発週間を設ける。

2 北朝鮮人権侵害問題啓発週間は、十二月十日から同月十六日までとする。

3 国及び地方公共団体は、北朝鮮人権侵害問題啓発週間の趣旨にふさわしい事業が実施されるよう努めるものとする。


 (年次報告)

第五条 政府は、毎年、国会に、拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する政府の取組についての報告を提出するとともに、これを公表しなければならない。


 (国際的な連携の強化等)

第六条 政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民、脱北者(北朝鮮を脱出した者であって、人道的見地から保護及び支援が必要であると認められるものをいう。次項において同じ。)その他北朝鮮当局による人権侵害の被害者に対する適切な施策を講ずるため、外国政府又は国際機関との情報の交換、国際捜査共助その他国際的な連携の強化に努めるとともに、これらの者に対する支援等の活動を行う国内外の民間団体との密接な連携の確保に努めるものとする。

2 政府は、脱北者の保護及び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする。

3 政府は、第一項に定める民間団体に対し、必要に応じ、情報の提供、財政上の配慮その他の支援を行うよう努めるものとする。


 (北朝鮮当局による人権侵害状況が改善されない場合の措置)

第七条 政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による日本国民に対する重大な人権侵害状況について改善が図られていないと認めるときは、北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する国際的動向等を総合的に勘案し、特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法(平成十六年法律第百二十五号)第三条第一項の規定による措置、外国為替及び外国貿易法(昭和二十四年法律第二百二十八号)第十条第一項の規定による措置その他の北朝鮮当局による日本国民に対する人権侵害の抑止のため必要な措置を講ずるものとする。


附 則

 この法律は、公布の日から施行する。

理 由

 現下の北朝鮮の人権状況等にかんがみ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題について、国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつその実態を解明し、及びその抑止を図る必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:17

【一筆多論】石川水穂

 戦犯釈放の願いを込めて故渡辺はま子さんが歌った「ああモンテンルパの夜は更けて」の作詞者、代田銀太郎さんが今月7日、92歳で亡くなった。

 モンテンルパは、マニラの軍事法廷で裁かれた日本のBC級戦犯が収監されていた刑務所がある場所だ。

 憲兵少尉だった代田さんも死刑を宣告され、ここに収監された。そこで代田さんが作詞し、同じ死刑囚の元陸軍大尉、伊藤正康さん(後に自衛隊陸将)が作曲した。このことを知った渡辺はま子さんは昭和27年暮れ、モンテンルパを慰問し、この歌を歌った。

 さらに、刑務所に派遣されていた加賀尾秀忍教戒師らが当時のフィリピンのキリノ大統領に戦犯の減刑を嘆願し、この曲の入ったオルゴールを贈ったところ、キリノ大統領はそのメロディーにも心を打たれ、戦犯の特赦を決めたと伝えられている。

 フィリピンでは、それまでに14人の戦犯が処刑されたが、代田さんら108人の戦犯は昭和28年7月22日、白山丸で帰還した。約半数の死刑囚は終身刑に減刑され、巣鴨に収監された後、その年末に全員が自由の身となった。

 当時の日本では、フィリピンでの戦犯を含め、すべての戦犯の赦免が国民の悲願だった。

 サンフランシスコ講和条約発効後の昭和27年6月、日弁連が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に出したのをきっかけに、戦犯赦免運動が全国に広がり、署名は4000万人に達した。

 日本政府もこうした世論を受け、A、BC級戦犯の赦免、減刑などを米国など関係各国に要請した。

 昭和28年8月、衆院で全会一致で可決された「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」は、日本の戦犯赦免要求にこたえた各国への謝意をこう記している。

 「中国(中華民国)は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フィリピン共和国はキリノ大統領の英断によって、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得た…」

 代田さんは巣鴨から釈放された後、故郷の長野県で地元の建設会社に勤めた。「父は戦犯時代のことを家族にほとんど話さなかった。父がどんな罪に問われたかは詳しく分からない」と長男、和信さん(50)は話す。

 今月10日、同県飯田市で行われた告別式には、モンテンルパの元戦犯らでつくる「モンテンルパの会」のメンバーや「奇跡の歌姫『渡辺はま子』」を上演した女優の五大路子さんらが参列した。

 同会の事務局を務める植木信良さん(85)は「マニラの軍事法廷では、ゲリラ討伐で住民虐殺に問われたケースが多く、冤罪(えんざい)もかなりあった」と話す。植木さんは当時、厚生省復員局でモンテンルパの戦犯の帰還に尽力した。

 マニラの戦犯14人の死刑執行が日本の新聞で報じられたのは、昭和26年2月1日。翌2日、残る死刑囚の家族が駐日フィリピン代表部を訪れ、死刑執行の延期を求める陳情書をキリノ大統領あてに出した。「これを機に、戦犯の赦免を求める機運が高まった」と植木さんは話す。

 マニラ、シンガポール、ラバウルなどアジア各地の軍事裁判で処刑されたBC級戦犯は1000人を超える。その3分の1は明らかな冤罪だといわれる。これらの軍事裁判の膨大な資料は未公表のまま、法務省に保管されている。

 今年は、いわゆる「A級戦犯」を裁いた東京裁判が開廷されてから60年にあたる。東京裁判に加え、BC級戦犯を裁いた軍事裁判も再検証が必要である。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:16

【新国語断想】塩原経央

 漢字が読めない、書けないという青年が増えている。ある大学教授が嘆くことに、小学3年程度の漢字を読み書きできない学生が珍しくないという。それで、どうすれば彼らが普通の国語力を身につけられるのか、悩み事相談を持ちかけられたのである。

 漢字が使えない青年は何もその教授の大学に限らない。満足に文書の一つも書けない新入社員に小学生並みの国語教育を施している企業もあるという。

 国語の惨状は極めて深刻な安全保障の問題なのだが、それが頭の上のミサイルのような明示された脅威ではないため、多くの人が非常事態に気づかないでいる。

 かつてケルト語はヨーロッパ中央部の広い範囲で用いられていた言語だが、歴史の興亡とともに強勢な言語に同化させられ、あるいは辺境の地に追いやられ、今ではアイルランドなどで細々と生き延びるのみだ。

 歴史に学ぶとすれば、このままでは伝統的な純粋日本語は遠からず離島や山間地の集落などにひっそりと息づくという事態が招来しないとも限らない。いや、インターネット時代の今日では、そんな保存のされ方さえも怪しいかしれない。

 国語が滅びれば国語によって書かれた文献、つまり先人の知恵の集積が後代に継承されなくなるわけだから、その文化も時間の砂に埋もれて忘れ去られる。

 国語も滅び、文化も滅ぶとは、国家も滅び、民族も滅ぶということだ。これをして安全保障の問題といわずして何といおう。

 国語力衰微の元凶は知識の大衆化、情報の民主化というお題目の下、漢字制限など国語平易化を進めた戦後国語政策にある。平易化という言葉にだまされてはいけない。

 実態は表記の曖昧(あいまい)化、語意識の粗雑化に過ぎなかった。

 例えば、看護婦の看は〈みる〉だが、この訓は常用漢字では認められていない。

 だから、看護婦はカンゴフという音声集合によって記憶することになる。語を意味でなく音声で覚えると、看病、看視、看守、看破のような語の看とのつながりが見えなくなり、知識が断片化してしまうのである。

 また、「見る」と「看る」の微妙な相違を概念分けする分析力を失い、思考力も大雑把になる。

 漢字制限は漢字語彙(ごい)の制限だから、その分仮名が増え、読みにくく理解しにくい文にする。

 漢字を知らないために先人の文章が読めなくなるだけでなく、読みにくさが読書離れを助長し、かえって知識や情報から大衆を疎外する結果をもたらしたのだ。

 一方、新しい概念を漢字で表す知恵を失ったために、片仮名語が増大した。現に「てにをは」以外はみな英語語彙というような話し方をする官僚や政治家、学者などが増えた。

 片仮名語は読むことはできても原語を知らない大衆には理解するのが難しい。意思疎通の道具としても国語を劣化させたのである。

 かくて、何のことはない、国語の平易化は知識や情報の知識層による壟断(ろうだん)を招いたのだ。

 そればかりではない。坂道を転がるように国語が混成語(植民地語)化した。日本及び日本人にとって許すべからざる戦後国語政策の罪状である。堂々たる国語の再生のために残された時間はあまりない。

 早く漢字制限をやめなければ、日本人はそれこそ先祖の戒名も読めないようなバチ当たりだらけに成り果ててしまうであろう。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:15

世界一の米と拮抗

 ロシアの武器輸出がここ数年で急速な伸びをみせ、世界一の武器輸出大国・米国と比肩する水準に到達したと、ロシアのメディアが伝えた。

 大口顧客の中国やインドに加え、石油マネーで潤うシリアやイラン、ベネズエラ、ミャンマーなど「反米諸国」との契約が伸びているためだ。ロシアは今後も攻勢を強めていく姿勢を示しており、欧米との摩擦も一層高まるものとみられる。

 ロシアの日刊紙、独立新聞によると、ロシアは2000~04年の5年間で227億ドル(約2兆6105億円)の武器を売却し、米国に次ぐ武器輸出大国となった。輸出高は毎年増大しており、05年は最終的に、当初予定より約20%増の61億2600万ドルを輸出したという。

 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計では、00年から05年の武器移転総額はロシアが330億4600万ドルに対し、米国は352億9300万ドルと拮抗(きっこう)している。

 ロシアの武器輸出の90%以上を牛耳る国営武器輸出公社ロスオボロンエクスポルトの試算では、この数年でロシアの武器輸出額は、米国と武器輸出高で競ったソ連時代をしのぐまでになったという。

 ロシアの主要な顧客は、中国とインドだが、イランやシリア、ベネズエラ、パレスチナ、マレーシアなど、反米もしくは米国と何らかの問題があって、武器の取引ができない国が多いのが特徴だ。

 ロシア側は、国際的なルールを順守し、禁輸措置が出ている国には武器を輸出していないと主張するが、人権擁護団体などから人権違反が行われている国に輸出していると批判されている。

 プーチン大統領の出身母体である旧ソ連国家保安委員会(KGB)時代からの朋友(ほうゆう)とされるロスオボロンエクスポルトのシェメゾフ社長は、ロシア誌とのインタビューで「幻想を抱くのはやめよう。われわれが売らなくても、誰か別の者が売る。世界各国は、あまりの利益の大きな武器貿易をやめることはできない。ロシアは幸運にもこの現実を理解し、現実主義で対応している」と言ってはばからない。

 ロシアの軍事専門家には、ソ連崩壊以来、設備投資を怠ってきたロシアの武器生産は限界に達したとの見方もあるが、ロスオボロンエクスポルトは、国営自動車製造会社アフトバスを傘下に収め、特殊トラックメーカーのカマズや戦略金属チタンメーカーへの統制の強化を狙っており、武器輸出の一層の増大をもくろんでいる。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:15


世界一の米と拮抗

 ロシアの武器輸出がここ数年で急速な伸びをみせ、世界一の武器輸出大国・米国と比肩する水準に到達したと、ロシアのメディアが伝えた。

 大口顧客の中国やインドに加え、石油マネーで潤うシリアやイラン、ベネズエラ、ミャンマーなど「反米諸国」との契約が伸びているためだ。ロシアは今後も攻勢を強めていく姿勢を示しており、欧米との摩擦も一層高まるものとみられる。

 ロシアの日刊紙、独立新聞によると、ロシアは2000~04年の5年間で227億ドル(約2兆6105億円)の武器を売却し、米国に次ぐ武器輸出大国となった。輸出高は毎年増大しており、05年は最終的に、当初予定より約20%増の61億2600万ドルを輸出したという。

 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計では、00年から05年の武器移転総額はロシアが330億4600万ドルに対し、米国は352億9300万ドルと拮抗(きっこう)している。

 ロシアの武器輸出の90%以上を牛耳る国営武器輸出公社ロスオボロンエクスポルトの試算では、この数年でロシアの武器輸出額は、米国と武器輸出高で競ったソ連時代をしのぐまでになったという。

 ロシアの主要な顧客は、中国とインドだが、イランやシリア、ベネズエラ、パレスチナ、マレーシアなど、反米もしくは米国と何らかの問題があって、武器の取引ができない国が多いのが特徴だ。

 ロシア側は、国際的なルールを順守し、禁輸措置が出ている国には武器を輸出していないと主張するが、人権擁護団体などから人権違反が行われている国に輸出していると批判されている。

 プーチン大統領の出身母体である旧ソ連国家保安委員会(KGB)時代からの朋友(ほうゆう)とされるロスオボロンエクスポルトのシェメゾフ社長は、ロシア誌とのインタビューで「幻想を抱くのはやめよう。われわれが売らなくても、誰か別の者が売る。世界各国は、あまりの利益の大きな武器貿易をやめることはできない。ロシアは幸運にもこの現実を理解し、現実主義で対応している」と言ってはばからない。

 ロシアの軍事専門家には、ソ連崩壊以来、設備投資を怠ってきたロシアの武器生産は限界に達したとの見方もあるが、ロスオボロンエクスポルトは、国営自動車製造会社アフトバスを傘下に収め、特殊トラックメーカーのカマズや戦略金属チタンメーカーへの統制の強化を狙っており、武器輸出の一層の増大をもくろんでいる。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:15

【『大ロシア』紀行】(11)

中央は極東の事を忘れた

 雑踏の中で中国語が飛び交い、一瞬、異質の空間に迷い込んだ錯覚に陥ってしまう。ロシア極東部の港湾都市、ウラジオストクから車で北に約2時間、中国国境から約200キロの所にあるウスリスク市の中心部に、その中国人市場はあった。

 入り口のゲートや駐車場、従業員の寮まで完備され、大規模店舗数軒のほか、トタン屋根のバラック店舗や露店数百軒が立ち並ぶ。家電や家具から洋服、日用雑貨まで何でもそろうとあって、「生活になくてはならない存在」と、ロシア人客には好評だ。

 カメラを向けると、中国人売り子たちはコソコソと柱や物陰に隠れる。案内してくれた警備業のマクシム(28)は「(不法滞在者の取り締まりを)恐れているのだろう。彼らは外部社会とは積極的に付き合わない」と話す。

 靴屋の男性店員(24)は「5年前に来た。靴は(中国東北部、黒竜江省の)綏芬河で生産されていて、こちらの注文に応じバスで運ばれてくる」と、ロシア語で明かす。

 中露政府間協定で団体旅行者に認められているビザなし越境を利用した「担ぎ屋」たちが、商品を持ち込んでいるのだ。

 取材していたところ、すっ飛んできた迷彩服姿のロシア人警備員に事務所に連れて行かれて、「ここでの撮影は認められない」と言い渡された。

                 ◆◇◆

 このほかにも、ウラジオストクをはじめ極東全域では夏場、建設や農作業、森林伐採の現場に外国人がドッと入り込んでおり、多くは中国人だ。

 実は、連邦政府が2002年施行の「外国人労働者の割当制度」に基づき、毎年、企業の要望を取りまとめて受け入れ数を決め、合法労働者として各州に配分している。

 2006年は32万9300人(前年比11万5300人増)が全土に、1万6500人(同1500人増)が沿海州(州都・ウラジオストク)に送り込まれており、近年の実績をならしてみれば、中国人が約65%、北朝鮮人が15%を占めている。

 ウラジオストク市対外経済委員会の議長、アンドレイ・シドロフ(44)は「われわれは労働力が大いに不足している。中国人や北朝鮮人が来るのはとても有益だ」と実情を吐露し、「彼らなくして極東の経済発展はない」とまで言い切った。

 中国人労働者を雇用する地元の大手、「極東建設」のビクトル・クリブリン(42)も「中国人はロシア人の2~3倍の働きぶりだ。ウオツカを飲まず、規律正しい」と極めて好意的に評価した。

 ソ連崩壊後の1990年代にロシアが中国との国境画定に乗り出したとき、極東部で声高に言われた「黄禍論」などすっかり影をひそめた形だ。

 中国などからの出稼ぎ労働を歓迎する背景に、全土で年間50万人に達する人口の激減がある。伝統的国産車、「ボルガ」の売れ行き不振で人口扶養力が失われてしまった前回の舞台、ニジェゴロド州は一例に過ぎない。

 体制も価値観も一変して社会が荒廃しきった90年代、精神的打撃からアルコール暴飲や麻薬使用に走る者が増えて、内臓疾患やエイズなどで死亡率が上昇する一方、社会保障制度の破綻(はたん)や経済危機で出生率も低下した。

 こうしたダブルパンチによる人口減少は、とりわけ極東に極端な形で表れた。シドロフは「ソ連崩壊後、国家は極東を忘れてしまった」と憤る。

                 ◆◇◆

 帝政ロシアは、18~19世紀の露土戦争に代表される不凍港を求めての南下政策と、コサックを先兵としてシベリアに植民する東進政策を、車の両輪のごとく推し進めた。ウラジオストクのもともとの意味はずばり、「東を征服せよ」である。

 シドロフによれば、ソ連も「植民政策」を引き継ぎ、北方・辺境地域に相当する同市の居住者には給与を3割程度上乗せしたり、年金も割り増したりして版図維持に努めた。90年代に、その特典が事実上廃止されるや人口は一気に中央へ流出、その流れが今も続いている。

 太平洋艦隊の母港で大半の工場が軍需目的だった同市で「軍民転換が思うに任せなかった」(沿海州副知事のビクトル・ゴルチャコフ)ことも、空洞化に拍車をかけた。

 かくしてロシア極東部の人口は約730万人、対する中国の東北3省は総計1億1000万人と、中国からロシアへの人口の“浸透圧”は強まっている。現地報道では、ビザなし越境した外国人はこの5年間で3倍も増えている。

 不法滞在の温床とも指摘されるこの制度や、外国人労働者の受け入れ自体の是非も現地紙では論じられている。それでも「多くの国で経験したことで問題はない」(ゴルチャコフ)と、実利を優先せざるを得ない事情が、今の極東にはある。

 さまざまな危機を内包して、ロシアは来月、サンクトペテルブルクで主要国首脳会議(サミット)を初めて主催する。=敬称略 (遠藤良介)

                  ◇

【用語解説】人口危機

 ロシアの国家統計によれば、全土の人口は1995年の1億4846万人から昨年の1億4347万人へと10年間で約500万人減少。うち自然増減だけを見れば、95年以降は年平均76万8000人の減である。

 ソ連崩壊前の90年には人口1000人当たりの出生数が13.4人で、死者数は11.2人だったのに対し、2004年はそれぞれ10.4人、16.0人と今や完全に逆転。平均余命も90年の69.2歳(男63.7歳、女74.3歳)から、04年の65.3歳(男58.9歳、女72.3歳)へと急落した。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:14

混乱時の収拾に不安感

 地域事情に応じた幅広い学校運営を認めた「コミュニティースクール」が平成16年度に制度化された。

 学校運営や学校の意思決定に住民の自治の発想を日本に合わせて焼き直した米国流の「新たな学校」だ。

 制度化から2年たった導入校は全国で53校。文部科学省は「もっと増やしたい」と制度の拡大、浸透に躍起だが、地方の教育委員会からは学校運営のために組織される「学校運営協議会」の暴走で教育がゆがめられることを不安視する向きもある。


≪人事にも意見≫

 コミュニティースクールは、米国で広がった、保護者や教師らの手で学校運営を行う「チャータースクール」を日本の制度として取り入れたものだ。米国では保護者や教師らが画一的な公立校とは違う独自の学校運営を担いたいと考えれば、教育行政の干渉や支配を受けない学校が設立できる。

 主体的で独立した学校運営が日本でも教育改革論議で注目を集めた。小泉内閣が掲げた規制緩和路線、地方分権路線の強まりを背景に平成16年9月に制度化された。

 コミュニティースクールでは地域住民や保護者、教育委員会の任命した人材で「学校運営協議会」を構成し、これが私立学校に設けられた理事会に近い役割を果たす。

 具体的には校長が示すカリキュラムの編成や学校方針についての承認権限が与えられているほか、学校運営や教員人事などについても意見を述べることも可能など学校運営上、強い権限を発揮できる。


≪53校で実施中≫

 文部科学省によると、制度化から2年がたち、コミュニティースクールを導入した公立学校は全国で53校に上る。さらにコミュニティースクールに興味を抱いていたり、検討段階の学校も187校あり、同省はさらに増やしたい考えだ。

 導入校の多くは学力向上に向けて学校運営協議会が全面的にバックアップしたり、郷土の歴史学習を運営協議会が支援する取り組みを行っている。

 中には保護者が一役買って子供たちへのパソコン指導を強力に進めている学校や校長を運営協議会が民間からリクルートした学校もあり、文科省は「将来的に、学校の裁量を大幅に拡大していきたい。学校が地域と一体となって意欲的に学校を運営するコミュニティースクールは挑戦する学校の一形態といえる」と拡大に意欲的だ。


≪校長権限は?≫

 しかし、こうした文科省の“大号令”をより学校現場に近いところで所管する都道府県はどう見ているのだろうか。

 全国の都道府県教委の教育長で構成する全国都道府県教育長協議会の調査では、学校運営協議会の導入を「検討中」としたのは46・8%あったが、「積極的に推進しない」は38・3%。

 特に制度導入で想定される課題には「学校運営協議会の権限と責任のあり方」(78・7%)、「適切な(運営協議会の)委員の確保」(57・4%)などが並んでおり、教育委員会規則に協議会について「盛り込む予定がない」としたのは78・7%にも上った。

 校長と学校運営協議会のどちらが主導権を握るか微妙な関係だ。特に危惧(きぐ)されるのは、学校教育には不適切なカリキュラムや政治的に中立性を欠く取り組みを運営協議会が提案した場合だ。

 文科省は学校運営協議会ができてもあくまで学校運営の中心は校長にあり、何か問題があれば教育委員会の指導が可能とした上で「運営協議会があまりにとっぴで、公教育になじまないアイデアを出した場合でもブレーキをかけるのは可能」と強調する。

 しかし、教育長協議会は「コミュニティースクールは良い面ばかりが強調されがち。教員人事にまで権限が与えられた学校運営協議会と校長の意見が対立関係に陥った場合、現場の混乱をどう収拾し、責任をどう考えるかが今ひとつ明確でない。これが地方の実感で、推進に積極的になれない理由ではないか」としている。




◆教委廃止より運用正せ (産経 06/6/26)

【解答乱麻】ジャーナリスト・細川珠生

 小泉改革の典型的なパターン「始めに結論ありき」の手法で、教育委員会がやり玉に上がっている。

 数年前から、“改革派”と呼ばれる首長の間から、形骸(けいがい)化している教育委員会を廃止して首長部局で直接指揮・監督する方がまっとうな教育行政が行われる-という意見が出されるようになった。

 教育委員会はまるで教育改革を阻む元凶のような見方をされるようになってしまった。

 政府も「規制改革・民間開放推進会議」で教育委員会のあり方を議論してきた。これまでに第1次、第2次の答申が出され、7月には第3次答申が出される予定だ。

 国家予算編成の主導権を握る経済・財政諮問会議の今月7日の会議でも「緊急対応すべき規制改革の重要課題」として教育委員会制度のあり方が位置づけられている。

 その目指すところは「児童生徒・保護者本位の改革」だそうだ。教育委員会を廃止し、首長部局にその組織を置くことで、教育内容が劇的によくなり、立派な日本人がつくられるようになるのだろうか。

 教育委員会は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」によって、各自治体に首長部局とは独立した組織として設置が義務付けられている。

 委員数は原則5人(自治体の規模によって3人から6人の幅が認められている)。

 委員は首長が議会の承認を得て任命する。教育委員長は委員会を代表し、教育長は委員会の指揮監督の下、すべての事務をつかさどる権限を持つ。教育長の下に事務局が置かれ、教育行政を執行する。

 教育委員会は最高意思決定機関として、教育委員の発議によるものや、事務局が作成した議案や報告を審議・意見表明する。会議は原則公開し、陳情や請願も受け付け、誰でも傍聴できる。

 重要な任務として教員の人事、教科書の採択、教育課程の目標や編成の決定などが挙げられるが、地域スポーツや文化芸術の振興、文化財の保護などについても責務を負っている。

 住民から選ばれた首長が住民から選ばれた議会の承認を得て任命した委員によって構成されている教育委員会が、首長部局から独立していることにより、政治的中立性を保ち、教育内容の中立性を保つことができるという現行制度のどこが問題なのだろうか。

 教育委員と事務局との間に緊張関係があれば、単なる追認機関にもなり得ない。逆に首長部局に置かれれば、首長次第では偏ったイデオロギーや宗教が教育現場に持ち込まれる可能性もある。

 とはいっても、あまり機能してないと思われる教育委員会も多いことは事実だ。しかし、制度ではなく運用の問題であり、もっと言うならば、形骸化している教育委員会の委員を任命しているのは首長であることも忘れてはならない。

 ただ、その自治体の住民でなければならないという委員としての要件は、地方へ行けば行くほど難しくなってくる。そこに運用の幅がもう少しできるだけで、現行制度でも十分機能する委員会を構成することは可能だ。

 規制改革より首長の真剣な姿勢こそ求められているのだ。

                   ◇

【プロフィル】細川珠生

 ほそかわ・たまお 父、細川隆一郎氏との父娘関係をつづった『娘のいいぶん』で日本文芸大賞女流文学新人賞。子育てのかたわらラジオや雑誌で活躍。東京都品川区教育委員。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:13

 米経常赤字をめぐって「貯蓄・投資バランス」論が再燃している。このアンバランスの結果が経常収支だとする議論は、1985年のプラザ合意当時に散々なされた。

 今回もその理屈は同じなのだが、その議論の中心にある米経常赤字の姿が様変わりしているのである。それは2つの点で決定的に違う。

 まず、その額だ。昨年の米経常赤字は8049億ドルと、国内総生産(GDP)比で6・4%に達した。80年代は3%台だったから、その倍の水準に悪化したわけだ。

 通常、経常赤字国は国内で資金ファイナンスができず、外国の資金に依存する。でなけば金利は上昇し通貨も暴落懸念が出る。赤字3%がそれをコントロールできる限界といわれていた。

 だから、米国は自分で赤字削減努力をする代わりに日本、西独(当時)に内需拡大を求めるプラザ合意を演出したのである。だが、米国に努力姿勢は見られず、結局、日本を中心に赤字をファイナンスしてきた。

 基軸通貨国の強みを最大限利用したわけだが、ここまで赤字が膨らむと、そうも行かない。バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長が「貯蓄回復による不均衡是正」を言い出したのは、その表れだろう。

 議長就任以来の利上げ姿勢は、インフレ懸念だけでなく、消費を抑制し貯蓄を回復する意図があるのではないか。レーガン政権の経済諮問委員長を務めたフェルドシュタイン・ハーバード大教授も、赤字が適正化するまで貯蓄率を高めよとの論を展開している。

 この従来にはなかった「米国の自覚」は、赤字の中身に構造変化が起きたことにもよるのだろう。これが80年代とは違う2つ目の点だ。

 いまや黒字国は日独だけではない。中国をはじめとするいわゆるBRICsや産油国が加わり、米国は独り負けの状況だ。外貨準備高はBRICs合計が先進7カ国(G7)を上回った。

 4月の国際通貨基金の国際通貨金融委員会ではこれら新興勢力を含めたサーベイランス(相互監視)で合意したが、先進国のように話が通じる相手ではない。外貨準備の米ドル運用にいつ変調が表れるか、米国は気が気ではあるまい。

 外的要因に強い経済にするには、貯蓄回復しかないわけだ。その本気度はまだ疑問だが、流れとしては消費抑制・輸入減少になる。それは世界経済に地殻変動を起こす。日本に対応戦略はあるか。
by sakura4987 | 2006-06-26 08:11

[ 産経 2005年08月01日 東京朝刊 ]

 ■一貫性欠く政府の姿勢/相次ぐ異議、沈静化図る

 戦後六十年の節目を迎える今年、自民党内から東京裁判への批判が相次いでいる。政府はその内容について「政府の公式見解ではない」(細田博之官房長官)と火消しに躍起だが、長年日本人の心に潜在してきた「東京裁判はどこかおかしい」という疑問はいまなお解消されていない。 

 五月二十六日の自民党代議士会。森岡正宏厚生労働政務官(当時)は「私の思いを聞いてほしい」と問題提起した。

 「A級戦犯だって、B級戦犯だって、C級戦犯だって、それぞれ絞首刑にあったり禁固刑にあったりして罪を償った。日本の国内ではその人たちはもう罪人ではない」

 発言には「正論を述べた」(平沼赳夫元経産相)と多くの拍手が送られた。

 森岡氏はその後も同様の発言を続け、官邸サイドは「日本は平和条約(サンフランシスコ講和条約)により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しているから、不法なものとして異議を述べる立場にはない」(細田官房長官)と事態の収拾に追われた。

 だが、森岡氏の意見は少数派というわけではない。中曽根康弘元首相も「私の考えは、東京裁判は認めない。東京裁判は戦争の延長で、講和条約で終わりだ。戦犯といわれる方々が、犯罪だとか罪だとかの考えは毛頭ない」と表明しており、亀井静香元政調会長は「日本は東京裁判の歴史判断まで認めたわけではないのは明確だ」と訴えた。

 また森岡氏の主張は、戦後一貫した政府の見解に沿ったものだったともいえる。

 昭和二十六年十月、サンフランシスコ講和条約などについて審議する衆院特別委員会で、外務省の西村熊雄条約局長は「平和条約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失う」との国際法の原則を示し、講和条約一一条は「日本が判決執行の任に当たる」ために設けられた条項であると強調した。

 同年十一月の参院法務委員会では、大橋武夫法務総裁(現在の法相)が「(戦犯は)国内法においてはあくまで犯罪者ではない。国内法の適用において、これを犯罪者と扱うということは適当ではない」と答弁。翌年五月には木村篤太郎法務総裁も通達で、戦犯を国内法上での犯罪人とはみなさないとした。

 しかし、最近では「一一条の受諾は単に刑の言い渡し、センテンス(刑の宣告)だけを受諾したものではない」(平成十年三月の竹内行夫・外務省条約局長の答弁)として、講和条約で東京裁判の判決だけを受け入れたのではないような見解をとっている。

 その延長線上に「東京裁判を受諾している。(A級戦犯は)戦争犯罪人だという認識がある」という小泉純一郎首相の国会答弁(六月二日の衆院予算委)もあったとみられる。

 しかし、政府は東京裁判で被告の全員無罪を主張したインド代表のパール判事や、A級戦犯として収監された重光葵元外相に大勲位に次ぐ名誉である勲一等を授与している。東京裁判に対する姿勢に揺れがみられるのは事実だ。

 東京裁判を事実上、主宰したGHQのマッカーサー総司令官自身も、一九五一年(昭和二十六年)五月、米上院軍事外交合同委員会で「日本が戦争に突入した目的は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と証言し、先の戦争は日本にとり「自衛戦争」だったとの認識を明らかにしている。この発言について河相周夫北米局長は「注目に値する」と指摘している。東京裁判をめぐる論争はまだまだ続きそうだ。

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 サンフランシスコ講和条約11条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、かつ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が科した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、および仮出獄させる権限は、各事件について刑を科した一又は二以上の政府の決定および日本国の勧告に基づく場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定および日本国の勧告に基づくの外、行使することができない(外務省訳)

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 A級戦犯 一般に、「A級戦犯」は最も罪が重い人という意味に誤用されているが、A、B、Cの区別はランク付けではなく、GHQが戦犯を選定する際に用いた便宜的な犯罪のカテゴリーを示す。Aは侵略戦争を遂行した「平和に対する罪」、Bは戦争法規・慣例に違反した「(通常の)戦争犯罪」、Cは民間人に対する迫害や殲滅(せんめつ)を実行した「人道に対する罪」-という区分けだが、明確な法的根拠はなく、「A級戦犯」という呼称は「通称」にすぎない。

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 ■「戦犯」、生存者は名誉回復

 東京裁判の起訴状で、二十八人のA級戦犯は「昭和三年から二十年に至るまでの期間において、共通の計画、または共同謀議の立案または実行に指導者、教唆者、または共犯者として参画した」とされたが、実際には互いに一面識もない者同士もいた。A級戦犯の人選は「日本人から見ても、そんなに非常識な線ではなかった」(現代史家の秦郁彦氏)とされるが、裁いた側の評価も量刑などをめぐって割れている。

 法廷で一切の弁明を行わず、文官でただ一人、死刑となった広田弘毅元首相については判決後、助命を求める署名運動が起こり、十万を超える署名が集まった。

 オランダ代表のローリング判事は「中国側の要求で、広田は『南京虐殺』と日本側の不法行為に責任ありとして裁判にかけられ、死刑判決を受けた。私は、広田は『南京虐殺』に責任ありとは思わない。生じたことを変え得る立場ではなかった」と述べている。

 キーナン首席検事ですら「松井石根(陸軍大将)、広田の死刑は不当だ」と述べている。

 キーナン検事は元駐ソ大使で、ソ連代表団の強い要求で起訴された重光葵元外相についても「私は重光氏が有罪の判決を受けたこと、さらに彼が裁判にかけられた人々の中に含まれたこと自体に対して、深き遺憾の意を表した」と手紙に書いた。

 重光氏は釈放後、副首相兼外相となり、日本の国連復帰の場面にも立ち会った。対中戦争と対米戦争の遂行に積極的に従事したとして罪を問われた賀屋興宣元蔵相も釈放後、法相となって名誉を回復した。

 A級戦犯容疑者とされたが不起訴となった岸信介元商工相は釈放後、首相として活躍しており、「死んで靖国神社に祭られたA級戦犯だけを犯罪人呼ばわりするのは筋が通らない」(自民党幹部)との指摘は根強い。

 開戦時と終戦時に外相を務め、米国との交渉で指導的な役割を演じたとして断罪された東郷茂徳元外相に関しても、戦犯と見なすのはおかしいとの見方は少なくない。

 東郷氏は獄中で書き上げた著書『時代の一面』の中で「東条内閣を以って直ちに戦争に突入すべき内閣と観察したものがあるようであるが、その見解に同意し得ざると共に少なくとも予に関する限りは戦争突入よりも戦争防止に努力するための入閣であった」と記している。

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 ■東条元首相…「自衛戦争だが敗戦の責任は私に」

 東京裁判では被告たちは専ら、侵略戦争を企てたとする開戦責任を問われた。「戦勝国が負けた相手に敗戦責任を問うわけがない」(現代史家の秦郁彦氏)ためだ。ただ、東条英機元首相自身はというと、昭和二十二年十二月十九日付の口述書で、日本の戦争の正当性を主張する一方で、自らの敗戦責任については明確に認めている。

 東条元首相は、先の戦争の位置づけについては「日本帝国の国策ないしは、当年、合法にその地位にあった官吏のとった方針は、侵略でもなく、搾取でもなかった。(中略)私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張する」と述べている。

 そのうえで、大きな損害を受けた国民に対しては「敗戦の責任については、当時の総理大臣たりし私の責任である。衷心より進んでこれを負荷せんことを希望するものである」と語っている。



【写真説明】

昭和3年から20年までの日本の歴史を断罪した東京裁判の法廷。A級戦犯の席は後方の2列=21年6月、東京・市ケ谷台



絞首刑になったA級戦犯…東条英機氏、土肥原賢二氏、広田弘毅氏、板垣征四郎氏、木村兵太郎氏、松井石根氏
by sakura4987 | 2006-06-26 08:10

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