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2006年 08月 12日 ( 25 )


 約6000もの戦没者の遺影が展示されている靖国神社の軍事博物館「遊就館」。来館者が記入した感想ノートには、戦争の悲惨さを実感し、感動したという意見と、戦争を美化しているとする意見の双方が書き込まれている(撮影・飯田英男)


【遊就館行ってみた】

 ■戦争美化 感ぜず

 明治15年にわが国最初の軍事博物館として開館し、戦前は陸軍省管轄の国立施設だった遊就館。現在は靖国神社が運営しているが、中国や韓国からは「日本軍国主義を美化している」と批判を浴びせられている。果たしてその言い分は当たっているのか。実際に遊就館に行って確かめてみた。(比護義則)

 玄関ホールに足を踏み入れると、全長9メートルの旧日本軍「零式艦上戦闘機(零戦)」が目に飛び込んでくる。実際に戦闘で使われた複数の零戦の部品を集めて組み立てたものだ。同館は約3000点の兵器や遺品を展示しているが、遺族による遺品提供が続いているため、今では所蔵品が10万点を突破した。

 遊就館のパンフレットを読むと、展示目的は「戦没者顕彰」と「近代史の真実の明示」。

 館名は中国の古典「荀子」の「遊必就士」(高潔な人に就いて交わり学ぶ)から2文字を取った。

 展示は、「明治維新」「日清戦争」「日露戦争」など時代ごとに部屋が分かれ、カラフルな年表やビデオ映像がふんだんに使われている。学校の授業では断片的にしか教えられない近現代史を学び直すのにもよさそうだ。実際、遊就館は今年、都内の公立小中学校に宣伝ポスターを初めて配布するなど歴史教育に力を入れているという。

 「戦後の一時期、皇族妃殿下方が神社に出向かれ、合祀(ごうし)される戦没者の霊爾簿浄書の御奉仕をされた」などと、皇室と靖国神社の深いつながりを示す一文もある。

 焦点の「大東亜戦争」に関係する展示室は5つ。「マレー作戦」「ビルマ作戦」…。作戦の内容をパネルを使って詳しく説明している。

 日中戦争については、「支那事変」という一室があった。「南支作戦」「武漢攻略作戦」「北支作戦」など個別の作戦について地図などを使って説明していたが、中国や韓国が戦争美化だと批判するような展示は見当たらなかった。

 一方、「ルーズベルトの大戦略」と題されたパネルは、先の大戦での米国の戦略は「資源に乏しい日本を禁輸で追い詰め開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」と説明している。一つの見方に偏ってはいるかもしれないが、軍国主義や戦争を美化したと断言できるほどのものではないだろう。

 近代史の展示を見終えると最後に「靖国の神々」と題する展示室が控えている。靖国神社に祭られた戦没者の顔写真が遺族の希望で約6000枚も並べてある。いわゆるA級戦犯として処刑された東条英機元首相の顔も見つけることができた。

 ここでは、戦死した特攻隊員が家族にあてた手紙などの“遺品”の前で足を止め、長く見入る拝観者が目立つ。静かに涙を流す人も珍しくない。戦死者の母親が独身で逝った息子に贈った「花嫁人形」の展示もあり、じっくり見て回れば半日はかかる。ただ、A級戦犯を説明する展示は全くない。年表に「戦犯裁判開始」「極東国際軍事裁判の開廷」と記載があるぐらいだった。靖国神社のA級戦犯合祀が問題とされているだけに、A級戦犯に対する考え方を説明する展示があってもいいだろう。

                   ◇

【A級戦犯合祀】


 ■神社側「分祀不可能」

 靖国神社は平成16年4月の社報で、中曽根康弘元首相が主張する「A級戦犯分祀論」について「神道の信仰上、このような分祀はありえない」として、不可能との見解を示した。さらに、すべてのA級戦犯遺族が中曽根案に賛成しても、従うことはできないとの考えを明らかにしている。

 神道上、一座に祭られて混然一体となった神霊を「分霊」(コピー)することはできても、分離することはできない。仮に政府が一宗教法人である靖国神社に対し、「分離」を強制すれば、憲法20条が定める政教分離原則に違反することになる。

 靖国神社の場合、合祀は祭神対象の名前を和紙に記し、そこに魂を呼び寄せる招魂式を境内で行い「霊爾簿」を作成する。さらに霊爾簿を本殿に移して合祀。御霊として本殿に祭ることで、A級戦犯とほかの戦没者の御霊が一つの「座」に祭られている。「魂の抜けた」後の霊爾簿は、本殿とは別の奉安殿に保管される。

 また、「分祀」は「分霊」に伴う具体的な行為のことで、ある神社の御霊が集まった鎮座を、“コピー”して別の神社にも増やす祭祀を意味する。

 A級戦犯の御霊は、砂粒のように分離可能な状態ではなく、「他の御霊と合わさり、一つの炎になったイメージ」(靖国神社)だという。


 ■「中韓外交への妨げ」 分祀論者

 A級戦犯「分祀論」は、これまでにも中曽根康弘元首相や自民党の野中広務元幹事長、山崎拓元副総裁らが提唱し、靖国神社側に働きかけては断られてきた。「分祀論」が何度も浮上するのはなぜなのか。

 最も大きな理由は、極東国際軍事裁判(東京裁判)によって戦争責任者と認定されたA級戦犯が靖国神社に祭られていることが、中国、韓国などとの外交上の妨げになるという認識からだ。実際、中韓両国は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判し、日本との首脳会談を拒否している。

 今年3月、日中友好7団体が中国の胡錦濤国家主席と会談した際にも、胡主席は首相の参拝中止を条件に首脳会談に応じる考えを示した。韓国の盧武鉉大統領も、首相の参拝中止がない限り、会談を再開する意思のないことを明確にしている。

 中国は、昭和47年の日中国交正常化に際して、国内の反対論を「日中戦争は一部の戦争指導者が悪いのであり、日本人民も被害者だ」と説得した経緯もある。対外的な配慮を前面に出さずに、「赤紙一枚で召集された人と、(東条英機元首相ら)戦争指導者は違う」という論理を展開するのが、自民党の古賀誠元幹事長や民主党の小沢一郎代表らだ。「東京裁判以前に、一国の指導者として(先の大戦に対する)結果責任はある」(古賀氏)として、政権中枢にあった政治家や軍人の敗戦責任は問うべきだとする意見もある。


 ■厚生省協力指示 宮内庁にも上奏簿提出

 政府は昭和28年以降、遺族援護法、恩給法など関係法を改正して戦犯処刑者を「公務死者」と位置づけ、戦犯の遺族にも一般戦死者と同様に遺族年金や弔慰金が支給されるようにした。

 一方、厚生省(現厚生労働省)は31年、援護局長名で「靖国神社合祀事務に対する協力について」との通知を各都道府県に出し、靖国の合祀事務への協力を指示。厚生省は都道府県から集まる名簿を「御祭神名票」(戦没者身分等調査票)として靖国側に送り、靖国はこれに基づき合祀を行っていった。

 靖国が53年に14人のA級戦犯を合祀したのも、41年に届いた御祭神名票に基づくものだ。この間の事情について靖国関係者は「だれを合祀するかは靖国が決めることではなく、官民一体で合祀したことだ。A級戦犯だけ合祀しなかったら、手続き上おかしい」と語る。

 また、合祀に当たっては、新たに祭る人を紙に記した「霊爾簿(れいじぼ)」と同じものを「上奏簿」として宮内庁に届けている。関係者は「だから、宮内庁もそのときに誰が祭られるか知っていて、何も言わなかったのではないか」との疑問を示す。

 昭和天皇の発言だとされる富田朝彦元宮内庁長官のメモには、「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と」とある。

 ただ、靖国神社前宮司の湯澤貞氏によると、筑波藤麿元宮司も靖国神社崇敬者総代会に何度かA級戦犯合祀を諮っている。

 45年の議事録には、筑波氏が「合祀はするが、時期は宮司預かりとする」と述べた記録が出ているという。その流れの中で、次の松平永芳元宮司が再び総代会に諮り、A級戦犯は合祀された。

                   ◇

【合祀された14人のA級戦犯】

東条英機(首相、陸軍大将、絞首刑)

板垣征四郎(陸軍大将、同)

土肥原賢二(同)

松井石根(同)

木村兵太郎(同)

武藤章(陸軍中将、絞首刑)

広田弘毅(首相、同)

小磯国昭(首相、陸軍大将、服役中死亡)

白鳥敏夫(駐イタリア大使、同)

梅津美治郎(陸軍大将、同)

平沼騏一郎(首相、保釈直後死亡)

東郷茂徳(外相、服役中死亡)

松岡洋右(外相、拘禁中死亡)

永野修身(海相、海軍大将、同)

                   ◇

【用語解説】A級戦犯

 A、B、Cの区別は罪の重さによるランク付けではなく、連合国軍総司令部(GHQ)が戦犯を選定する際に用いた便宜的な犯罪のカテゴリーを示す。Aは侵略戦争を遂行した「平和に対する罪」、Bは戦争法規・慣例に違反した「(通常の)戦争犯罪」、Cは民間人に対する迫害や殲滅(せんめつ)を実行した「人道に対する罪」-という区分けだが、明確な法的根拠はなく、「A級戦犯」という呼称は「通称」にすぎない。



◆【詳説・戦後】第2回 「靖国」…百家争鳴 追悼あり方めぐり(4-4)

 (産経 06/8/11)

人間魚雷「回天(一型)」などが展示されている靖国神社・遊就館の大展示室=東京・九段北 (撮影・飯田英男)


湯澤貞・靖国神社前宮司

【靖国Q&A】祭神名簿 データベース化

 靖国神社に関する基礎知識をQ&Aでまとめた。

 Q 神社の由来は

 A 明治維新時の新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争で亡くなった官軍兵士を祭るため、明治政府が明治2年に「東京招魂社」として東京・九段に建てたのが始まり。その10年後に明治天皇が国を平安にするという意味の「靖国神社」の社号に改めた。

 Q 祭られているのは

 A 戊辰戦争戦死者をはじめ、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦など、幕末と明治・大正・昭和の各時代に戦争で亡くなった軍人・軍属など246万6000余柱が合祀されている。生前の階級などにかかわらず、将官も兵卒も同じように扱われている。

 靖国神社は墓地ではないため、遺骨も位牌(いはい)も存在しない。祭神名簿はパソコンのデータベースで管理され、合祀されているかどうか遺族が神社に照会することもできる。

 Q 日露戦争で活躍した東郷平八郎元帥は祭られているの

 A 戦闘で亡くなったのではなく戦後、病気で亡くなったため祭られていない。明治天皇崩御の際、自決した乃木希典大将も同様だ。明治維新の立役者で、西南戦争で官軍と戦った西郷隆盛や会津白虎隊の藩士らは「賊軍」扱いをされているため、祭られていない。

 また、沖縄戦で没した「ひめゆり部隊」の女学生や、撃沈された疎開船「対馬丸」の児童は合祀されているが、空襲や原爆の被害者である一般人は除外されている。政府や軍の命令に従っていて、その場を離れることができなかったことが、合祀の基準のようだ。

 Q ほかに祭られているのは

 A 境内には、本殿に祭ることのできない氏名不詳の戦没者と、世界中で起きた戦争で亡くなったすべての人を祭る「鎮霊社」がある。イラク戦争で亡くなった米軍兵士らも対象だ。また、戦場で倒れた軍馬や軍犬、通信用の伝書バトの慰霊像もある。

 Q 首相の参拝は「憲法違反」なのか

 A 小泉純一郎首相が平成13年から毎年続けている参拝に対し、政教分離を定めた憲法に違反するとして、大阪や福岡など各地で提訴が相次いでいる。

 これまで最高裁、高裁、地裁で計13件の判決と、最高裁決定2件があった。うち参拝を「違憲」と判断したのは福岡地裁と大阪高裁の2判決だけ。これは主文と無関係の「傍論」の中での判断であり、拘束力はない。日韓の戦没者遺族が提訴した今年6月の最高裁判決では、原告の上告が棄却され、憲法判断はなされていない。

 Q 神社の組織は

 A 9代目の南部利昭宮司以下、職員は約100人。うち神職は約40人、巫女(みこ)約10人。その他の職員が約50人。巫女は大学などに求人票を出して募集している。運営費は戦没者遺族や戦友などからの奉納金、遊就館の拝観料などでまかなっている。

 Q 神社の主な行事は

 A 神社が重視しているのは春と秋にそれぞれ開かれる「例大祭」だ。祭神の安らかな鎮まりと世界の平和を祈る祭典で、前者が4月21~23日、後者が10月17~20日。天皇陛下の使いが神社にさしむけられ、皇族方も参拝されている。

 また、元日の新年祭、2月11日の建国記念祭、昭和天皇の誕生日である4月29日の昭和祭、靖国神社が建てられた6月29日の創立記念祭、明治天皇の誕生日である11月3日の明治祭、今上天皇の誕生日である12月23日の天皇御誕辰奉祝祭など皇室にゆかりのある祭りが多い。

 このほか、毎月3回行う「月次祭」をはじめ、神様にお食事を供える祭事は毎日朝夕、行われている。

 Q 結婚式はできるの

 A できる。年間数組のカップルが挙式を行っている。七五三の参拝もできる。いずれも申し込めば原則的にだれでも挙げることが可能だが、戦没者の遺族が行うケースが多い。平成14年には音楽プロデューサー、小室哲哉さんとglobeのボーカル、KEIKOさんも同神社で結婚式を行った。

                   ◇

【靖国神社前宮司 湯澤貞氏】

 ■分祀強要は“宗教弾圧”

 靖国神社前宮司の湯澤貞氏は10日までに産経新聞のインタビューに応じ、一宗教法人である靖国の祭祀のあり方について、政治家が過度に干渉するのは憲法の定める政教分離の原則に違反するほか、行き過ぎると“宗教弾圧”になるとの見解を示した。また、一部政治家が唱える靖国の「国家護持案」について「それが非宗教化をいうのであれば、できない相談だ」と否定した。

 --昭和天皇が靖国のA級戦犯合祀をきっかけに参拝をやめたとする元宮内庁長官のメモが出てきたが

 「こういう内々の話が世間に出ていいものか。昭和天皇は相撲好きで知られたが、ご自分のひいきの力士の名前すら明かされなかった。また、松平永芳元宮司が悪者になっているが、そんな人物ではない。松平元宮司のお父さんで最後の宮内大臣だった慶民氏も日記を残していたが、『こういうものは公にすべきではない』と処分している」

 --メモを追い風に、A級戦犯分祀論が高まりを見せている

 「靖国神社の場合は、246万余柱の英霊全体が、大将も一兵卒もなく一つの神になっている。靖国では毎日、神様に慰霊の誠を尽くしており、その一部を取り外すなどの例はこれまでにないし、できない」

 --一部の政治家からは、「神道はもっと融通無碍(むげ)だからできるはずだ」との声も出ている

 「それは弾圧して神道をつぶせばできる、ということだ。仏教の寺院から本尊を外せというようなもので、ありえない。もしそれを政治が強要するとなると、宗教弾圧になる。第一、政教分離の原則を定めた憲法上、できないはずだ。首相が靖国に参拝するだけで『政教分離に反する』と騒ぐ人が、一方で宗教の内部にまで踏み込んでA級戦犯を外せというのは、僭越(せんえつ)すぎる。人として言うべきことではないだろう」

 --日本遺族会の中でも、秋以降、分祀論が議論されるという

 「たとえ遺族会の中に、靖国神社のあり方に賛成してくれる人がいなくなっても、神社としては粛々として現状のままでいく。それだけの覚悟をしてやっていかなければならない」

 --靖国を非宗教化して国家で護持すべきだとする政治家もいる

 「非宗教化でいこうというのなら、受け入れることはできない。はじめからできない相談だ。非宗教ならば、戦没者は御霊ではなくなってしまい、戦没者に対しても失礼な話だ。今まで神様として丁重に祭られてきたのに、物のように扱われることになる。靖国神社という名前が残り、社のたたずまいが今のような形で残り、神道に基づくお祭りができるならば、国家護持でもいい。一宗教法人が国のために亡くなった方をお祭りするのは、考え方によっては出すぎたことだろう」

 --今日のように靖国問題が深刻化した原因は何だと考えるか

 「首相の靖国参拝が外国から外交カードに利用された時点で、国がきちんと対応して『日本の国内問題だ』と言っておくべきだった。それを日本人的になあなあで妥協してきたから、こうなったのではないか。中国共産党は原則的に宗教を認めておらず、神道のことなど知らない。知らずにA級戦犯がどうこうと言っているのに対し、日本があたふたするから、向こうも外交カードとして使えるぞと考える」

                   ◇

【プロフィル】湯澤貞

 ゆざわ・ただし 昭和4年、栃木県生まれ。国学院大文学部宗教学科を卒業し、明治神宮に32年間奉職。平成2年に靖国神社に移り、同9年5月から16年9月まで宮司を務める。
by sakura4987 | 2006-08-12 15:19

 (産経 06/8/11)

靖国神社に「最後」の参拝をされた昭和天皇。天皇、皇后両陛下のご参拝を望む戦没者遺族は多い=昭和50年11月、東京・九段北の靖国神社


 終戦から61年が経過してもいまなお熱い論争が繰り広げられている靖国問題。靖国神社の戦後の歩みと現状を詳しく解説する。
                   ◇

【政界の動き】

 ■「非宗教化論」再び

 戦没者追悼のあり方をめぐって今年は、「A級戦犯分祀(ぶんし)論」、千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充論、靖国神社の非宗教化と国家管理論などが入り交じり、百家争鳴状態となった。靖国神社に対する政界の動きをまとめた。


 ≪勢い増す分祀≫

 靖国神社を支えている最大の組織、日本遺族会(会長・古賀誠元自民党幹事長)は8月に入り、「A級戦犯分祀論」について従来の反対の立場から、方向を転換しつつあるとの観測が出ている。

 古賀氏は講演で「遺族会として、国家護持という大きな旗を、もう一度掲げたい」と発言。国家護持の前提としてA級戦犯分祀も検討課題として挙げた。遺族会もこれを受け、今月2日の正副会長会議で、9月の自民党総裁選後をメドに、A級戦犯の分祀も含めた会としての検討を開始することを決めている。

 A級戦犯分祀論については、民主党の小沢一郎代表も、「合祀したのが間違いだ。靖国神社は戦争で亡くなった英霊を祭るところであり、本来の姿に戻すべきだ」とし、霊爾簿からのA級戦犯削除を主張している。

 総裁選を前に、ポスト小泉候補からも分祀論は飛び出している。谷垣禎一財務相は「A級戦犯を合祀しているのが問題だという指摘は、その通りだと思う」と指摘。麻生太郎外相も、「どうすればみんなわだかまりなく参拝できるかが原点だ」と述べ、靖国を特殊法人化し、慰霊対象は国会が決めることを自らの政策に盛り込んだ。


 ≪新追悼施設≫

 昨年11月、自民党の山崎拓元副総裁、公明党の冬柴鉄三幹事長、民主党の鳩山由紀夫幹事長らが発起人となり、超党派で国立・非宗教の追悼施設建設を目指す議員連盟「国立追悼施設を考える会」(会長・山崎氏)が発足した。設立総会で山崎氏は、「国内外の人がわだかまりなく追悼の誠をささげるにはどうしたらいいか」と提起した。

 国立追悼施設建設をめぐっては、13年に福田康夫官房長官(当時)の私的諮問機関が、靖国神社との関係は「両立でき、決してこれらの施設の存在意義を損なわずに必要な別個な目的を達成しえる」と、“玉虫色”の答申を出している。

 一方、今回の議連は6月の中間報告で「限定された戦没者のみが祀(まつ)られるのが基本なのに、戦死者でないA級戦犯が合祀されている」とし、「施設の名称、内容、場所などを早急に調査すべきだ」と主張して、来年度予算への新施設調査費計上を改めて求めた。


 ≪墓苑拡充提案≫

 今年6月、自民党の中川秀直政調会長は、氏名不詳か、引き取り手のいない戦没者の遺骨を納めた「千鳥ケ淵戦没者墓苑」(東京都千代田区)周辺の公務員官舎などを撤去し、墓苑を拡充するよう小泉純一郎首相に提案した。

 首相はこの提案に同意したとされるが、構想の背景には「墓苑を拡充し、慰霊の中心を靖国神社から墓苑に移す狙いがある」という。山崎氏は「国立追悼施設をつくるうえで、(千鳥ケ淵)墓苑が最も有力な案といってもいい」と述べている。

 中川氏はまた、今月6日のテレビ番組などで「(靖国の)非宗教法人化、国がちゃんと護持をしていくという方向へ、(遺族の)気持ちが少しずつ変わりつつあるのではないか。誰を合祀するかは政府が決めることで、昭和40年代に自民党が出した靖国神社法案の原型みたいなものをもう一回出すかもしれない」と、靖国神社の非宗教化と国家管理にも含みを持たせている。

                   ◇

≪各国元首や外交官も 参拝者、年間600万人≫

 靖国神社への参拝者は年間約600万人に達し、各国の元首、外交官など外国要人の姿も珍しくない。やり方は、「二礼二拍手一礼」の神道形式とは限らず、挙手で拝礼したり花輪を供えたりと、参拝のスタイルもそれぞれだ。

 戦後、昭和31年には台湾の張道藩立法院長が、36年にはアルゼンチンのフロンデシ大統領が戦後初の元首として参拝。さらにA級戦犯合祀が新聞報道で公になった54年の翌55年には、チベットのダライ・ラマ法王が英霊を慰霊した。

 また、35年のビルマ(現ミャンマー)のウー・ヌー前首相、56年のインドネシアのアラムシャ宗教相…とアジア各国からの来訪者も多い。

 平成に入ってからは、中国側の批判を押し切って小泉純一郎首相が首相として初参拝した13年8月13日の5日後に、在日米軍太平洋陸軍司令官のエド・スミス氏の妻が参拝している。

 14年にはペルーのフジモリ前大統領も靖国に参拝。近年では韓国軍幹部も同神社を訪れ、軍事博物館「遊就館」を頻繁に見学している。

 ブッシュ米大統領は14年の来日時、明治神宮に参拝したが、現役の大使は「米側は靖国神社参拝を希望したが、波紋を恐れた日本側が断ったと聞いている」と語る。

 このブッシュ大統領の明治神宮参拝中、エスコート役の小泉首相は、「政教分離」に反するとの批判を恐れて車中で待機する一幕もあった。

                   ◇

【A級戦犯合祀をめぐる主な動き】

 昭和

 20.8  終戦

 20.12 連合国軍総司令部(GHQ)が「神道指令」を出し、政府の神社・神道保護を禁止

 23.11 東京裁判でA級戦犯25被告に有罪判決

 28.8  衆院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を採択

 39.8  政府が靖国神社境内で全国戦没者追悼式を開催

 50.8  三木武夫首相が終戦記念日の15日に靖国参拝。「私的参拝」と表明

 50.11 昭和天皇が最後の参拝

 53.10 靖国神社がA級戦犯14人を合祀

 54.4  大平正芳首相が参拝。中国は特に問題視せず

 55.8  鈴木善幸首相が15日に参拝。中国は特に問題視せず

 60.8  中曽根康弘首相が15日に公式参拝。中国が反発

 61.8  中曽根首相がA級戦犯合祀などを理由に参拝とりやめ

 平成

 11.8  野中広務官房長官がA級戦犯分祀を提案

 16.3  中曽根元首相が靖国神社にA級戦犯分祀を提案。靖国神社は「分祀は不可能」との見解発表

 18.7  昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示したという元宮内庁長官のメモ発見(政治家の肩書きは当時)



◆【詳説・戦後】第2回 「靖国」…百家争鳴 追悼あり方めぐり(4-2)

 (産経 06/8/11)

 それまでの4回の参拝と異なり、平服で一般参拝客と拝殿前で手を合わせ、お参りする小泉純一郎首相=2005年10月17日、東京・九段北の靖国神社(撮影・大井田裕)


【戦後の歩み】

 ■昭和20年代の「戦犯釈放決議」 社党議員も賛成

 「日本国として、(サンフランシスコ講和条約で)東京裁判(極東国際軍事裁判)を受諾している以上、そのことに拘束されるのは当然だ」

 今年2月の衆院予算委員会で、民主党の岡田克也元代表はこう主張し、靖国神社に合祀されたいわゆるA級戦犯は「戦争犯罪人」との見方を強調した。

 これに対し、安倍晋三官房長官は、かつて国会で戦犯の釈放を求める決議が5回にわたって採択されるなど「国民の圧倒的な支持のもとに」連合国と折衝した結果、A級戦犯を含む戦犯が釈放されたことを説明。「日本において彼らが犯罪人かといえば、そうではない」と指摘した。

 だが、岡田氏は納得せず、「東京裁判は国内法を超越する超法規的というか、それに上位する概念だ」と自説を譲らなかった。

 安倍氏は「岡田先生は何かまるで、GHQ(連合国軍総司令部)の側に立っておっしゃっているような気がする」とため息をついたが、小泉純一郎首相も「(A級戦犯は)戦争犯罪人だという認識がある」と述べている。実際のところ、どう考えればいいのか。

 過去の国会答弁などをみると、サンフランシスコ講和条約締結の事務方だった西村熊雄・外務省条約局長は昭和26年10月の参院平和条約・日米安保条約特別委で「戦犯に関する限り、米国政府の態度は極めて友好的であった」と述べ、この時点で米国が戦犯の存在に拘泥していなかったことを示唆している。

 国会では、与野党を問わず戦犯の名誉回復を求める動きが活発化し、同年11月には、大橋武夫法務総裁(現在の法相)も参院法務委で「国内法においては、あくまで犯罪者ではない。国内法の適用においてこれを犯罪者と扱うことは、いかなる意味でも適当ではない」と明言した。

 戦犯釈放決議については、社会党議員も次のように賛成の討論をしていた。

 「私は、この決議案に、むしろ即時釈放をつけていただきたい。わが国の議会での叫びは、おそらく世界の各国々の人々にはよく理解していただけることと存じます」(27年6月の決議案に対する賛成討論で、堤ツルヨ氏)

 「特に申し上げたいことは、B級、C級の戦争犯罪受刑者の諸君の中においては、事実無根のために、すなわち無罪たるべき者が多数入っているということです」(27年12月の決議案に対する賛成討論で、田万廣文氏)

 「戦勝国においても戦争に対する犯罪責任があるはずです。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追及することは、正義の立場から考えても、基本的人権尊重の立場から考えても、公平な観点から考えても、私は断じて承服できない」(同、古屋貞雄氏)

 当時の国会議事録をみると、東京裁判批判は社会党を含めてごくふつうに行われており、冒頭の岡田氏のような“東京裁判絶対論”を主張する議員はほとんどいなかった。

 政府は27年10月、A級戦犯を含む拘禁中のすべての戦犯の全面赦免を関係各国に要請。A級戦犯として有罪判決が下された重光葵氏(禁固刑7年)は釈放後に外相、賀屋興宣氏(終身禁固刑)は法相となって公職に返り咲いたが、連合国側は「戦争犯罪人だ」などと異論をはさまなかった。

                   ◇

≪後藤田談話が転機≫

 昭和57年11月に発足した第1次中曽根康弘内閣は「戦後政治の総決算」を掲げ、戦後体制の抜本的見直しを提唱した。中曽根氏は就任後、58年には春の例大祭、終戦記念日、秋の例大祭と3度、59年には4度も靖国神社に参拝し、靖国を重視する姿勢を鮮明にした。

 また、59年7月には官房長官の私的諮問機関として「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(靖国懇)を設置。靖国懇は計21回の検討会を開き、60年8月9日に「政府は、内閣総理大臣その他の国務大臣の、靖国神社への公式参拝を実施する方策を検討すべきである」と、公式参拝を促す報告書を提出した。

 これを受け、藤波孝生官房長官は14日、公式参拝には違憲の疑いが否定できないとする従来の政府統一解釈を変更し、「社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しない」とする談話を発表した。こうした周到な準備を経て翌15日、中曽根氏による公式参拝(全閣僚が参拝)が実現、中曽根氏は記者団に「外国にも趣旨の理解を求めていく」と胸を張った。

 ところが、これに国内のマスコミや中国が反発すると、中曽根氏は以後の参拝をとりやめてしまった。

 翌年の61年8月14日には、後藤田正晴官房長官が「靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していることなどもあって、(中略)近隣諸国の国民の間に、わが国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、(中略)平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある」とする談話を発表。A級戦犯の存在をことさら強調してみせた。

 「この後藤田談話が以後の首相の手足を縛り、A級戦犯を『悪者』にした」(戦犯遺族)とみる向きも少なくない。

                   ◇

≪中国外交カードに≫

 サンフランシスコ講和条約が締結され、日本の独立が決まった約1カ月後、当時の吉田茂首相が首相としては6年ぶりに靖国神社に参拝した。このときの新聞報道を見ると、朝日新聞は10行のベタ記事で、読売新聞は写真付きだが、わずか8行の小さな扱いだった。

 それが、今日のような外交問題にまで発展したのはなぜか。中国や日本の一部政治家は、靖国がA級戦犯を合祀したためだとする。だが、中国は昭和53年にA級戦犯が合祀され、翌年に新聞報道でその事実が明らかになった後も、60年の中曽根康弘元首相による公式参拝までは、問題にしてこなかった。

 この間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根の各首相が何度も繰り返し参拝したが、中国は特に批判はしていない。小泉純一郎首相をはじめ、多くの政府・自民党幹部が「中国は現在、靖国問題を外交カードとして利用している」(自民党幹部)とみている背景には、こうした経緯もある。

 大原康男・国学院大教授は「当時は中ソ間に深刻な対立があった。日本を引き込みたい中国は何も文句を言わない。中国は原則論ではなく戦略論で動いた」と解説する。

 また、「中曽根氏が公式参拝を行った60年には、中ソ関係は緊張緩和に向かっていた。また、中曽根氏は日米関係強化論者だったので、中国はA級戦犯問題を持ち出すことで日米関係にくさびを打とうとしたのではないか」との見方を示す。

 さらに、日本の経済進出や対中貿易黒字に対し、中国内で不満が大きくなり始めたのもこのころだ。中国としては、日本側に贖罪(しょくざい)意識がある歴史問題を持ち出すことで、対日関係で優位に立つという狙いがあったとみられる。中曽根氏が61年に中国の圧力に屈し、以後の靖国参拝を取りやめて以来、橋本龍太郎元首相が平成8年に参拝するまで、日本の首相が靖国の境内に入れないという異常な状態が10年以上も続いた。

                   ◇

【国家護持法案過去5回頓挫】

 靖国神社は戦前、陸・海軍省と内務省が管轄していたが、敗戦後、一宗教法人となった。昭和20年12月、連合国軍総司令部(GHQ)が、神道の国家保護を禁じた「神道指令」を出したためだ。

 当時、GHQには、靖国神社を廟堂(びようどう)に変える案や伊勢神宮などとともに焼却するという意見もあった。ただ、これは駐日ローマ法王代表、ブルノー・ビッテル神父が次のように主張したため見送られた。

 「もし靖国神社を焼き払ったとすれば、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。(中略)靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度で、靖国神社ではない」

 26年にサンフランシスコ講和条約が締結されると、日本遺族会を中心に靖国神社を再び、国家護持しようとする機運が盛り上がった。

 44年、自民党は靖国神社から「宗教性」を取り除き、その上で国家が管轄する特殊法人として国営化しようという「靖国神社法案」を国会に提出したが、審議未了のまま廃案となった。以降、法案は計5度にわたって国会に提出された。49年には、衆院は通過したものの、野党が「政教分離原則に違反し、軍国主義の復活につながる」と強く反対、参院で廃案となった。

 55年の政府答弁書は「国が(国家護持の)行為を行うためには、靖国神社が宗教性をなくすことが必要」と指摘。宗教法人のままでは、憲法20条(信教の自由)や89条(宗教団体への公費の支出禁止)に違反するとの見解を示している。

 ただ、神道形式の祭礼を認めない非宗教化には靖国神社側も反発。遺族会も運動を国家護持から首相の公式参拝実現に移行させていった。

                   ◇

【用語解説】サンフランシスコ講和条約

 1952年(昭和27年)4月28日に発効した日本と連合国48カ国との間に結ばれた第二次世界大戦終結のための講和条約。「戦争状態」の継続に終止符が打たれ、「平和状態」に復帰したことを内外に宣言したもので、日本の主権・平等を承認した。ソ連(現ロシア)や中国、韓国は加わっていない。当時の吉田茂首相はこの条約について「懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、わが国民に恒久的な制限を課することなく、(中略)『和解』と『信頼』の文書であります」と評価している。
by sakura4987 | 2006-08-12 15:19

 生物兵器製造に転用可能な凍結乾燥機を無許可で北朝鮮に輸出したとして、貿易会社の元社長が外為法違反容疑で山口、島根両県警に逮捕された。これまでに摘発された不正輸出の中で、極めて悪質な事例である。

 在日朝鮮人の元社長は、凍結乾燥機が金正日総書記直轄で軍関係の診療所で使われることを認識していたという。また、不正輸出を仲介した北朝鮮企業も金総書記の直系で、軍部が出資した国営企業「朝鮮綾羅(ルンラ)888貿易会社」のダミー会社とみられる。

 しかも、この不正輸出は日朝首脳会談で金総書記が拉致事件を認めて謝罪した直後の平成14年9月下旬に、台湾を経由して行われていた。北の国家的な生物兵器テロ計画に直接、手を貸した許しがたい犯罪である。

 朝鮮綾羅888貿易会社は、久米裕さん拉致事件で国際手配されている金世鎬容疑者や、横田めぐみさんの元夫で韓国人拉致被害者の金英男さんとのかかわりも指摘され、拉致事件との関係解明も期待される。

 日本の捜査当局はこれまでも、ミサイル発射台に転用可能な大型トレーラーや核開発に利用できる直流安定化電源装置などを北に不正輸出していた企業を次々と摘発してきた。だが、こうした取り締まりだけでは、不正輸出の根絶は難しい。やはり、不正輸出の動脈を絶つ金融制裁が必要である。

 先月、北のミサイル発射に対し、日本政府は万景峰号の入港禁止を含む経済制裁を発動した。さらに、国連安保理での対北非難決議を受け、ミサイル開発などに絡む取引の停止と金融資産凍結に向けた追加制裁を検討中だ。自民党の対北経済制裁シミュレーションチームも、北のマネー・ロンダリング(資金洗浄)などを規制する特別措置法の要綱案をまとめた。

 海外では、米国に続いて、北に近い中国の銀行もマカオの北に関係する口座を凍結した。日本も各国と協力し、追加金融制裁を急ぐべきだ。

 最近、北以外の国にも、軍事転用可能な機器の不正輸出事件が相次いでいる。無人ヘリを中国に輸出しようとしたヤマハ発動機や三次元測定器を中国などに輸出した精密機器会社「ミツトヨ」などの例だ。民間企業は日本の安全保障に敏感になってほしい。
by sakura4987 | 2006-08-12 15:17

 日中間の靖国問題の論議ではきわめて重要な点が無視されている。それは中国の国民が中国当局によって靖国についてどう教えられているか、という点である。

 中国国民が当局の管理するマスコミにより靖国に関してなにをどのように知らされているか、という点だともいえる。

 中国内で国際情勢を知らない人間が中国の新聞類だけを読んでいれば、日本はまさに「邪悪の帝国」であり、小泉純一郎首相は「最も邪悪な人物」と信じこんでしまうだろう。

 中国マスコミは日中関係を傷つけ、悪化させるのはもっぱら小泉首相だと非難し続けている。そして小泉氏の最大の「罪」は靖国神社を参拝することだと糾弾する。

 中国のマスコミは靖国神社への参拝を「鬼を拝む(拝鬼)」ことだと評する。靖国神社に祀られているのは鬼だという前提なのだ。

 「鬼」という語は日中戦争中に中国人が日本軍将兵に対し憎しみをこめて使った蔑称(べっしょう)の「日本鬼子」をも連想させかねない。そして鬼を拝む小泉首相はヒトラーと同列におかれるのだ。

 中国マスコミの靖国に関する報道も論評も、きわめて偏向し、不正確である。受け手は歪曲(わいきょく)された情報に洗脳されて、日本側の靖国参拝という追悼の行動について最悪に曲解し、小泉首相に対しても根拠のない嫌悪感を抱く結果となっている。

 中国のマスコミはすべて共産党の厳しい支配下におかれ、党や政権のためのプロパガンダ・マシンとして機能する。政治宣伝や根拠のない糾弾、情緒的な攻撃が「報道」の常であり、公正さや客観性とはおよそ縁がない。

 昨年、小泉首相は中国側の反発への配慮などから終戦記念日8月15日を避け、靖国の秋季例大祭の10月17日に参拝した。だが中国のマスコミはこのタイミングを「故意の邪悪な意図」に基づくと断じた。次のような新聞報道がそれだ。

 「神舟6号が安全に着陸をしているときに小泉首相は靖国に参拝した。このタイミングは小泉が中国人全体を公然と侮辱していることを改めて立証した」(南方都市報)

 「小泉が『鬼を拝む場所』の靖国神社に醜悪な歩を進めたとき、中国の2人の宇宙飛行士はちょうど英雄的な帰還を果たし、中国の全人民はその勝利の喜びに浸っていた。

 小泉とその側近は工夫をこらし、鬼への礼拝がその中国側の喜びと時機が合うように計算をしたのだ。その結果、日本の政治家の変態的心理が十分に暴露されることになった」(中華工商時報)

 この報道は小泉氏ら日本の政治家を「変態」と決めつけているが、本当に「変態」なのは中国側の記者やマスコミの方だろう。なぜなら「小泉は参拝の時機をあえて神舟6号の帰還に合わせた」という主張はなんの根拠もない陰謀説だからだ。

 その意図は中国国民の民族感情をことさらあおり、日本や小泉首相への悪意を増大させることにある。

 小泉首相は8月15日の靖国参拝を公約としながらも、同日の参拝を避けた。日本国内の論議や中国側の反発などを考慮しての譲歩だろう。この譲歩は中国との緊迫を悪化させないための慎重で誠意ある対応といえよう。

 だが中国側はこの譲歩を完全に無視して、悪口を浴びせ続ける。日本側が中国の要求に応じて、譲歩をしてみても、問題は解決されないという現実の一端である。

 そもそも中国当局は靖国神社をいまも日本の軍国主義や侵略の象徴のままであると断じ、日本の戦後の平和主義を無視して、自国民に教えこんでいる。

 中国当局系の情報ポータルサイト「千龍網」の「日本・靖国神社とは」に以下の記述がある。

 「靖国神社は東条英機ら第二次世界大戦のA級戦犯を含む一連の戦犯の位牌(いはい)を供奉(ぐぶ)し、軍国主義の対外侵略戦争を宣揚し、支持する精神的支柱であり、象徴である。

 また日本の一部極右勢力が戦争犯罪人をたたえ、軍国主義の亡霊を呼び戻す祭壇なのである」

 つまり靖国はいまも軍国主義や侵略戦争を誇示し、支持する場であり、そこへの参拝は軍国主義や侵略の復活そのものだと断じているのである。

 これでは中国国民だけでなく他国民も靖国参拝自体が「悪」だと思いこまされてしまうだろう。

                  ◇

【プロフィル】廖建明

 米国留学でジャーナリズムを学んだ後、1992年に香港の亜洲週刊の記者、95年に星島日報の国際部長、97年から香港経済日報の記者を務め、99年に香港最大部数の蘋果日報の記者、2003年に同紙編集長。

 その後、同紙の政治コラムニストを経て、米国ワシントン駐在特派員、05年から在米の記者として独立し、米国や香港の新聞数紙に定期コラムを執筆している。



◆【靖国参拝の考察】廖建明氏(下)虚構の宣伝「小泉=ヒトラー」 (産経 06/8/13)


 中国政府は小泉純一郎首相の靖国参拝が「13億の中国人民の感情を傷つける」と非難する。しかし中国国民は靖国神社が存在する地には住んでいない。

 中国から離れた異国の内部での出来事に感情を傷つけられるというのは、その出来事に特殊の意味がつけられ、中国国民の感情に注入されるからだろう。

 中国国民へのその意味づけはすべて中国当局の官営マスコミにより一方的になされる。13億の中国人が感情を傷つけられるか否かは、その問題について与えられる情報の内容次第なのだ。

 中国のマスコミは「小泉の靖国参拝が日本の中国への侵略戦争を美化し、軍国主義の精神をあおる」と報じてきた。首相は現実に「平和への祈り」のためや「戦争を二度と繰り返さない」ために参拝するのだと言明しているが、その事実はまったく報じられない。中国の大手官営新聞による報道の具体例を紹介しよう。

 「小泉の再度の靖国神社参拝は過去の侵略戦争を美化している」(人民日報)

 「小泉の参拝は靖国神社によって広められている反動的修正主義歴史観を肯定するためなのだ」(北京日報)

 「小泉首相は靖国参拝により日本の偏狭な民族主義の感情をあおり、軍国主義の魂を復活させている」(光明日報)

 現実には小泉首相はA級戦犯を「戦争犯罪人」と呼ぶことでその行動をも否定する立場を明確にしてきた。ところが中国の新聞はその事実を完全に無視するどころか、事実と正反対のことを報道しているのだ。その結果、中国国民は小泉首相の「平和への祈り」や「不戦の誓い」をまったく知らされないこととなる。

 首相がこれまで、日本国民への自らの公約を破ってまで終戦記念日の8月15日の参拝を自粛してきたことも中国の国民には知らされない。首相は近隣諸国に日本の戦争の否定や平和への希求に関して誤解されることを懸念して8月15日の参拝を避けてきたのだろう。

 だが中国のマスコミは靖国の存在自体を悪として描く。靖国神社が最近、中国語や韓国語の案内書を出したことは次のように報じられた。

 「この動きは日本の歴史を捻じ曲げて、外国人たちに提示することの意図を示している。(その案内書は)世界中の人々に日本の軍国主義の脅威がいまも健在であることを知らしめ、警戒させる」(新快報)

 つまり日本の軍国主義の脅威はいまも存在するというのである。

 「日本の軍国主義は従来から決して日本だけの問題ではない。アジアの安定や人類の運命に関係しているのだ」(光明日報) 

 「日本の軍国主義」は記事中、すべて現在形で描かれるのだ。

 中国マスコミは小泉首相の6月末の米国訪問についても「靖国参拝の悪影響」があったという願望表明のような虚報を流した。

 「小泉首相は訪米中、アジアでの負の遺産―靖国参拝が近隣諸国との良好な関係を崩していること―に悩まされた。米国の世論も首相の靖国参拝には反対を示すようになったのだ」(人民日報)

 しかし現実には米国では日本の首相の靖国参拝を問題視するという世論はまったくといってよいほど存在しない。首相が訪米中にその問題で悩まされた形跡もない。

 なにしろ中国のマスコミは小泉首相をヒトラーにたとえるのである。この記述は中国マスコミの無根拠な攻撃に慣れていた私にとってもショッキングだった。

 「過去5年の『小泉人気』はヒトラーの独裁によく似ている。小泉もヒトラーも特定の政治問題に火をつけて、あおりたてることがうまいからだ」(環球時報掲載の中国社会科学院の日本研究所研究員による論文)

 民主的な手段で選ばれた日本の首相を一党独裁の中国マスコミがヒトラー呼ばわりするわけである。これほどの歪曲(わいきょく)をする当事者たちにとっては、靖国参拝に関する捏造(ねつぞう)報道など簡単なのだろう。

 日本側としては靖国問題の解決には、中国側に対しこれほど極端な官営マスコミの靖国に関する歪曲プロパガンダの是正を求めることも必要であろう。(寄稿)
by sakura4987 | 2006-08-12 15:16

 日本からの対外的な発信はますます重要となってきた。日本の実情を国際社会に向けて正確に説明し、あわせて意見をも明確に述べることは常に重要である。

 中国などから日本の現実とは異なる「軍国主義復活」というような非難が増すこのごろ、日本からの正しい反論はまさに基本的な国益にかかわる不可欠な作業となる。

 この点で外務省管轄下の日本国際問題研究所(JIIA)が今春から始めた英文での「JIIAコメンタリー」は時宜を得た発信だと思った。

 ワシントン在勤の私のところにも電子メールで送信されるし、同研究所のウェブサイトで読むこともできる。そのコメンタリーは英語の論文の形で定期に発信される。

 ところがその論文のいくつかを読んで、びっくり仰天した。日本の政府与党や多数派の考え方を危険として一方的に断罪し、中国などの日本攻撃をそのまま正しいかのように位置づける論旨なのだ。

 5月記載分の「日本はいかに中国を想像し、自国を見るか」という題の論文をみよう。冒頭に以下の記述がある。

 「(外国の)日本ウオッチャーたちはますます日本の対中政策を愚かで挑発的、独善、不当だとみなし、中日関係の悪化を日本のせいだと非難している。

 しかし日本国内では日本がナショナリスティックで軍国主義的でタカ派的だと(諸外国で)認識されていることへの意識がほとんどない」

 ワシントンでの中国に詳しい日本ウオッチャーは大多数がいまの日中間の緊迫を「中国の対決的姿勢」や「日中両国の戦略利害の衝突」「中国の反日の国是」に帰する。

 しかも同論文が述べる「日本を軍国主義的だとみる国際認識」など捏造(ねつぞう)である。

 BBC放送の昨年末の国際世論調査では全世界33カ国のうち31カ国の国民が「世界に最もよい影響を与えている国」として日本を筆頭にあげた。例外は中韓両国だけだった。国際問題研究所の対外発信はまったく事実に反する主張から出発するのだ。

 同論文には以下の記述もある。

 「『中国は脅威だ。なぜならそれは中国だからだ』というのが日本の国家安全保障識者間の基本的な前提のようだ」

 「日本は過去の侵略に長年、沈黙を保ってきたが、小泉首相の靖国への立場にも過去の帝国主義的侵略への反省欠如が指摘される」

 いずれも事実に反する暴論といえよう。

 この論文はいまの日本で多数派の意見といえる日本の安全保障面での「普通の国」らしい方向への動きを「タカ派的ナショナリスト」の危険な策動と断じ、非難することが主眼となっている。

 その英語の文章は靖国神社の参拝支持を「靖国カルト」と評するような偏向言語に満ちている。カルトとはオウム真理教のような狂信的宗教集団を意味する断罪言葉である。

 同論文には日本の現実派の思考を「反歴史的想像」と呼び、戦後の日本国民の戦争観を「記憶喪失症」と断ずるなど、全体として米欧の左派系や中国の日本たたきに頻繁に使われる扇情的、情緒的なののしり言葉があまりに多い。この点では「反日」と呼べる論文なのである。

 元国連大使の外務官僚だった佐藤行雄氏を理事長とする日本国際問題研究所は日本政府の補助金で運営される公的機関である。その対外発信は日本の政府や与党、さらには国民多数派の公式見解とみなされがちである。

 この英文コメンタリーの論文は「筆者自身の見解」とされてはいるが、佐藤理事長は対外発信の意図を「日本自身や国際問題への日本の思考」を広く知らせることだと述べている。

 この論文の筆者の名をみて、さらに仰天すると同時に、ある面、納得した。

 国際問題研究所の英文編集長の玉本偉氏だというのだ。玉本氏は在住の長い米国のその筋では知る人ぞ知る、日本政府の対外政策をたたいてきた過激な左派学者である。

 2003年のワシントンでのセミナーで「北朝鮮の拉致問題というのはすでに解決ずみであり、日本側は対外強攻策の口実にしているだけだ」とか「日本の自衛隊はイラクに派遣されるべきでなく、また派遣は絶対に実現しない」などと断言するのを私もまのあたりに聞いた。

 その玉本氏はいま国際問題研究所の対外発信の筆者だけでなく編集責任者だというのだ。

 4月分の論文では麻生太郎外相らが中国の民主主義不在を批判することを取り上げ、「日本の民主主義発見」と題し、日本がいま対中外交で民主主義の価値を説くことを「発見」だとちゃかしていた。

 現在の日本の外交や安保の根本を否定するような極端な意見の持ち主に日本の対外発信を任せる理由はなんなのか。この一稿の結びを佐藤理事長への公開質問状としたい。
by sakura4987 | 2006-08-12 15:15

作家・深田祐介の「正論」(撮影・矢島康弘)


■『特攻とは何か』から知り得た感慨

 ≪1回限りの作戦だったが≫

 森史朗氏の近著『特攻とは何か』(文春新書)は、戦争ノンフィクションとしては出色の完成度を示す秀作である。

 「決死」ならぬ「必死」の神風特別攻撃隊の発案者であり、実行者である海軍中将、大西瀧治郎を描いて間然するところがない。

 戦時下の日本の国家観にきわめて忠実であり、強いリーダーシップを示すが、この「統率の外道」たる特攻が、やがて日本の戦争の大義を汚し、亡国の危機に導きかねなかった人物を文字通り活写する。

 そして現代の「指導者の条件」に強い示唆を与える。

 当初、大西中将は特攻を「捷1号作戦」発動に伴い、栗田艦隊のレイテ突入に呼応すべき、1回限りの奇襲策と考え、決断したのだった。

 しかし、1回限りのはずだった特攻の敷島隊が、巨艦「大和」以下の栗田艦隊を上回る戦果を挙げたことから、特攻作戦の継続、拡大に走る。

 大西中将は口癖のごとく、「特攻に狎(な)れてはいけない」と繰り返し語っていた、と作中にある。

 その意中を森氏は「特攻が日常化すると、命ずる方はそれを単に事務として処理しがちで、命じられる方の心理や不安、心の葛藤(かっとう)や恐怖心、そして何よりも彼らの献身や犠牲の大事さを忘れがちになる」ことを自戒しての発言と説明している。

 しかし実態は、陸海軍とも初期戦果に目を奪われ、たちまち「特攻に狎れてしまう」のだ。

 特攻の戦果報告を信じない司令が現れ、エースパイロットが憤慨してピストルを放ったり、まったく効果の期待できぬ昼間銃撃特攻などといういい加減な命令を乱発、日本の戦争は堕落するのである。

 1回限定のはずの作戦が全軍特攻へと拡大し、狂気の自殺攻撃兵器を生み出し、全軍特攻から全国民特攻へと暗黒の道をたどることになり、行く手に日本民族そのものの玉砕による滅亡が予感されてくるのだ。


 ≪幼いわが娘にあてた遺書≫

 私は終戦時、14歳の中学2年生であったが、特攻作戦開始とともに、日本の世間の暗さが一挙に深まり、全国民玉砕の絶望感が国を覆ったことを改めて想起するのである。

 私は疎開先の相模湾を見下ろす高台の家で、いや増す恐怖と不安にふるえていたのであった。

 相模湾を臨むがゆえに、私の家の庭先には陸軍の15センチ榴弾砲が据えられ、高台の下の台地は洞窟(どうくつ)戦に備えて、縦横にトンネルが掘られ、本土決戦、つまり米軍の相模湾上陸に備える工事が進行していた。当然ながら、硫黄島から来襲する米戦闘機P51の好目標となり、連日、機銃掃射に見舞われた。

 私はすでに近眼であったから、航空機や特攻ボートへの乗り組みは考えられず、この高台の上で艦砲射撃に粉砕されるか、下の洞窟で火炎放射器に焼かれるか、という暗い予感におののいていた。

 私は「大東亜共栄圏の建設」やアジア植民地の解放に戦争の意味を感じ、この理想に憧憬を抱いていたが、陸海軍指導者の「特攻依存」「全国民特攻」の発想は「外道」どころか退廃と感じられ、子供心に戦争の大義を汚すものに思われたのである。

 森氏作品で、「哀切きわまりない」として紹介される立教大学出身、サッカー部主将の植村真久予備少尉の生後6カ月のまな娘、泰子さんにあてた遺書は、激しい愛情に満ちた名文だが、この哀切さを理解できぬところに「堕落」があったのである。


 ≪昔は特攻で、今金融界か≫

 江戸時代の藩校では「財利の咄(はなし)、価の高下咄すべからず」と教えたが、現代日本の金融界は特攻ならぬ、「金転がし」に狎れてしまった。

 以前に共訳した華僑の家訓に「人に目立たぬように隠れ住み、常に逃亡用の旅行カバンを身辺に置け」とあったのが印象に残るが、金融界に巣くう無頼の徒は山上の豪邸に傲然(ごうぜん)と暮らし、卑屈に総裁にこだわり、恬(てん)として恥じないという実態は華僑に劣る。

 彼らには中小企業経営者がわずかな金策に苦しみ、年間3万人以上の自殺者を生み出している日本の世間が見えないのだ。特攻指導者に勝る堕落ぶりと申すべきか。

 靖国参拝にしても、あれは国事殉難者の霊所であるのが見えなくなり、総理の参拝中止を唱えたりする認識欠如の経営者が現れたりするのだ。

 ともあれ、大西瀧治郎は特攻当事者の痛みは熟知しており、終戦決定の深夜に割腹自殺した。

 リクルート以上といわれる金融事件に絡んだ経営者諸氏は、未練いっぱいになお生き続けるのか。
by sakura4987 | 2006-08-12 15:15

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 (写真) ロシアの北の都サンクトペテルブルクに登場する巨大な「チャイナタウン・バルトの真珠」完成予想図(サンクトペテルブルク市当局提供)

 ロシア北部の古都サンクトペテルブルクとモスクワの2大都市で、大規模な「チャイナタウン」の建設が来年早々にも始まる運びであることがこのほど明らかになった。

 中露両国は、エネルギーや武器取引などで蜜月関係を迎えているが、ロシアで初のチャイナタウン誕生で、同国への中国人の大量流入が予想されており、民族対立の先鋭化などの危険が早くも指摘されている。

 ロシアでの報道によると、プーチン大統領のお膝元のサンクトペテルブルク市当局は先月末、同市の多目的住宅開発計画「バルトの真珠」に参加する中国側投資家を最終的に選定、公表した。

 計画では、総占有面積100万平方メートル以上の居住施設に加え、総面積40万平方メートルの商業施設が併設され、中国企業もオフィスを開設。中国側の同計画への総投資額は、15億ドル(約1730億円)にのぼるという。

 来年前半には、施設の中心となる高層ビルが着工され、最終的には35万人以上が活用する一大エリアにしたい考えだ。

 同市はさらに、船舶が航行するために夜中に通行できなくなるネバ川の跳ね橋に替わり、常に通行が可能となる有料の地下トンネルを建設し、島々を結ぶ計画だが、中国側は、そうした超巨大プロジェクトにも参画を予定している。

 ただ、同市では、こうした中国側の巨大投資に伴い、ロシアの労働者よりも安く、よく働く中国人労働者が大量流入するのは不可避だとして、これを機に中国人のロシアへの大規模移民が始まり、「バルトの真珠」はその拠点になるとみる専門家も出ている。

 同市のマトビエンコ知事は「資金だけがやってくる」と説明し、中国の「侵略」説を払拭しようと躍起になっているが、ロシア民俗学博物館のグルスマン館長は「実際にどのくらいの数の中国人が集まるのかはまだ不明だが、大都市の中に中国人が住む孤島をつくってはいけない。それは、爆弾の導火線と同じだ」と反論する。

 モスクワでも、広大な植物園に隣接した一等地に、中国の商業センター「ホアミン(華民)パーク」(総建設費3億ドル)の建設が来年初めに始まる。32階建てと50階建ての2つの超高層ビルの施設(総面積20万平方メートル)には、中国企業のオフィスやホテル、レストラン、カジノなどが入居を予定しており、ビルの周辺から植物園にかけて、中国庭園や商店なども建設されるという。

 ロシアではこのほか、中国の貿易物資だけを専門に取り扱う税関ターミナル「友好」が今月1日にモスクワでオープン。両国は、シベリアの広大な森林を中国に貸与することでも合意しており、「チャイナタウンの建設は、中国拡張の始まりに過ぎない」(ロシアの日刊紙、独立新聞)とみられている。
by sakura4987 | 2006-08-12 15:14

 (写真) 島内に残された大砲。地引さん(左)ら遺族収集のメンバーは、61年前の激烈な戦闘に思いをはせた=東京都小笠原村の硫黄島

 東京から1250キロ。自衛隊の輸送機から硫黄島(東京都小笠原村)に降り立った拓殖大4年、地引亮(22)=茨城県=は、自らに課した使命を、改めて心の中で反芻(はんすう)していた。

 わずか22平方キロメートルの小島で昭和20年、日米両軍が壮絶な戦闘を繰り広げた。日本側死者の約6割にあたる1万3000人は、いまなお、この地に眠る。地引は6~7月、政府が実施した「戦没者遺骨収集」のメンバーとして訪れていた。

 岩がむき出しの荒れ果てた島をイメージしていたが、案外緑も多い。少し驚いていると、収集に何度も参加している70代の遺族が教えてくれた。

 「多数の日本兵の遺体からでる死臭を消すために、米軍が空からギンネムの種をまいたんだ」

 海に面した岩という岩には、無数の弾痕が残っていた。少し奥地に入ると、道端には慰霊碑が立ち並び、さびた大砲や機関銃が空を見つめている。地引は、人々のたどった過酷な運命を、思わずにはいられなかった。

 昭和59年生まれの地引にとって、戦争は、同世代の多くの若者と同じく「現実味がない」過去のものにすぎなかった。しかし、大学に入って戦争に関する書物に触れたことや、同じ学生寮の先輩に誘われたことがきっかけとなり、3年前、沖縄での遺骨収集に初めて参加した。

 ジャングルで土を掘っていて、偶然、茶色っぽい塊を手に取った。歯が並んだ人間のあごの骨-。思わず声をあげて手を離した。だが次の瞬間、こう感じた。

 「国のために亡くなった人たちが今でも放置されている。同じ日本人として、故郷に帰してあげたい」

 硫黄島では激しい戦闘で埋葬の余裕さえなく、たくさんの遺骨が、日本軍が掘った全長18キロに及ぶ地下壕内(ごうない)などに放置されたままになっている。地形の変化や情報不足などもあり、時とともに困難さが増している。

 連日30度を超す炎天下。木が刈り取られ、周囲に日陰がない中、地引らは自衛隊員が壕内で掘り出した土を運び出したり、遺骨や遺留品を選別したりする作業を黙々と続けた。

 壕の壁には兵士たちのツルハシの跡がびっしりと残る。激しい飢えと乾きの中、日本兵は、持久戦に備えてひたすら壕を掘り続けたのだろう。

 運び出した土の中から、薬ビンや小銭、多くの銃弾や手榴弾(しゅりゅうだん)とともに、部隊名が書かれた氏名入りの布袋の切れ端もみつかった。当時の兵士の息づかいや苦しみが伝わってくる。

 自分が生まれるはるか40年も前にここで力尽き、家族のもとに帰れない兵士たち。

 「過酷な戦闘で亡くなった人たちがいる。そして今も迎えを待っている…」

 作業を終えると、夜空には無数の星が現れる。星が美しく輝くほど、兵士たちの慟哭(どうこく)が聞こえるようだった。=敬称略(池田祥子)

          ◇

 書物や映画の製作で、改めて注目を集める硫黄島には、いまだ多くの遺骨が眠ったままだ。戦没者は何を語り、遺族や生還者は何を思うのか。島に残された記憶から、戦後61年をたどる。

          ◇

【用語解説】硫黄島戦

 第2次大戦で、日米双方にとって戦略的に重要拠点だった同島をめぐり、両軍計約10万の兵士が昭和20年2~3月に繰り広げた戦闘。栗林忠道中将が総指揮官を務める日本軍は地下壕での持久戦に持ち込もうとしたが、米軍上陸から26日後の同年3月17日、栗林中将が大本営に決別の電文を打電し、総攻撃をかけて玉砕した。死者は日本側約2万1900人に対し、米側約6800人。



◆【刻まれた記憶 硫黄島の61年】(2)「おやじ、また来るで」 (産経 06/8/9)

 (写真) 壕内から見つかったガスマスクなどの遺留品。当時の過酷な状況を今に伝えている=東京都小笠原村の硫黄島

 父が戦死したのは36歳のとき。井上忠二(72)=広島県=が生きた年月は、その倍になった。「おやじ、また来たで」。政府が実施した今年の硫黄島戦没者遺骨収集。井上は昭和46年に初めて島を訪れて以来、もう30回ほどになる。

 井上と4人の妹を女手ひとつで育て上げた母が亡くなってからも40年近くが過ぎた。「お父さんのところに行って、私が死んだことを伝えて」。母の言葉が背中を押す。

 ジャングルに分け入り、歩き続ける。小高い場所で周囲を見回し、「どこに壕(ごう)を掘るだろうか」と思いをめぐらす。丘には陣地や銃座があり、逃げるための避難壕や退避壕が必ず近くにあるはずだからだ。「硫黄島の遺骨収集は、地形を見にゃ始まらん」

 その井上も初めてここを訪れたときは方角もわからなかった。「父はどこで死んだのでしょうか」と尋ねると、同行の生還者に言われた。「わからんよ。この島は、全島が墓場なんだから」

 井上は残された本や資料を手当たり次第に探した。19年9月作成という硫黄島職員名簿には、少尉以上の名前だけが記載され、1等兵だった父の名前はなかった。「末端の兵士たちは、人間として扱われなかったのか」。怒りがこみ上げた。

                 ■□■

 20年2月、サイパンまで進撃していた米軍は、そこから日本本土までのほぼ中間に位置する硫黄島に上陸した。日本軍は全長18キロにも及ぶ地下壕をつくって抗戦したが、36日間の攻防の末に玉砕した。

 戦没者は2万1900人。遺骨収集は26年に初めて行われ、島が本土復帰した43年の2回目以降は、ほぼ毎年実施されている。

 ただ、状況は厳しくなる一方だ。飛行場建設などによる地形の変化に加え、情報も年々乏しくなる。日本軍の地下壕も、米軍に入り口がふさがれた場所が多く、60年から62年にかけて各年300を超えた遺骨収集数は、ここ5年間は年34~84人分にとどまっている。

                 ■□■

 火山島特有の壁もある。地下壕の現場作業では、掘るたびに地熱が上がり、内部が50度以上になることもざらだ。靴底が溶けることもある。

 酸欠、硫黄ガスなどで生命の危険に何度もさらされた。それでも、参加者同士、壕に入る順を争ったこともある。「過酷な状況だからこそ、一刻も早く連れ出したい」という思いだ。

 井上は61年、父がいたらしい地下壕をようやく特定できた。部隊名を記した書類が残されていた。しかし見つかったのは1人の遺骨。井上は、父たちがどこかに移動して戦死したと考えている。

 井上も年齢には逆らえない。連日の調査は体にこたえ、体中に何枚も湿布を張って作業を続ける。硫黄島を訪れる以外に父と「出会う」方法はない。

 自衛隊の基地になった硫黄島は、遺族でも自由に訪れることはできない。井上は今回も、ほかの遺族らに頼まれて多数の墓標を写真に収め、手を合わせた。

 「おやじ、また来るで」。今回もまた、次への誓いとなった。


◆【刻まれた記憶 硫黄島の61年】(3)「何よりも水がほしくて」 (産経 06/8/10)

 (写真) 壕の中から発見された遺留品の目薬の空き瓶や硬貨。瓶はわずかな飲料水をためるためにも使われたとみられる

 硫黄島で戦死者の遺骨が発見されると、遺族らはまず真水を供える。

 兵士らを苦しめたのは、米軍との激闘だけでなく、地下壕の掘削作業と飲み水不足だった。「食べ物もなかったが、何よりも水が欲しくてね」。生還者の1人、川相昌一(88)=広島県=はしみじみ語る。

 「3日間も水を飲まんと、のどが渇いてね。水が飲めれば死んでもええと思った」。川相は雨水をためた水槽に手を突っ込み、ありったけの水をむさぼり飲んだ。

 島では、遺留品として今もさまざまな瓶が見つかる。当時、兵士たちは雨が降ると、一斉に瓶を持ち出して水をためた。

 真水がない島。井戸水には硫黄分が混じっており、慢性的な腹痛に悩まされた。遺骨収集で大量に見つかった兵士のカルテには、どれも「不衛生による慢性下痢症」と書かれていた。

□ □

 〈全部隊2万2933人、生還者1033人。生還率4・5%-〉

 昭和20年2月16日、米軍の一斉攻撃で始まった硫黄島戦。灼熱(しゃくねつ)のもと、島内ではあちこちで、兵士たちがふんどし姿になって壕の中を掘削していた。19年夏に通信分隊長として上陸した川相も島北部の兵団司令部壕の近くに、3人の部下と壕を掘った。

 耐え難いつらさに、米軍上陸の報を聞いたある部隊の兵士は「中隊長、これでやっと楽になれますね」と語ったという。

 米軍に島をほぼ制圧された20年3月17日、総指揮官の中将、栗林忠道は決断を下す。壕を出ての総攻撃-。大本営に決別の電報を打った。

 川相は、ほかの兵士と残るよう指示を受けた。司令部壕を訪れると、遠くで栗林が参謀らと別れの杯を交わしている。「おまえも飲め」。近づいた同郷の中尉が、飯盒(はんごう)のふたに貴重な酒を注いだ。川相は必死に同行を訴えたが、中尉は「ここに残れ、命令だ」と指示し戦死した。

□ □

 硫黄島戦で捕虜となった川相は米本土などの収容所を転々とし、21年1月に帰国。故郷には自分の墓が建っていた。「帰ってからもいろんなことがありすぎて…。硫黄島に顔を向けんとずっと生きていこうと思った」。

 だが、硫黄島の遺骨収集が再開されると、戦地で肉親を失った遺族らから、収集への同行や情報提供を相次いで懇願された。川相は「生きて帰ってきた私の義務だ」と決意した。40年代、20数年ぶりに訪れた島の姿はまったく変わっていた。

 山や谷は戦後、米軍によってほぼ平地にされていた。「硫黄島の兵士は穴掘りしかしていないから、自分たちのいた場所しか知らん」。壕を探す手がかりは米軍が入り口をふさぐために仕掛けた爆薬の導火線跡だった。

 以降、20回以上にわたり遺骨収集に参加したが、心身ともに打ちのめされて亡くなっていった戦友たちのことが、頭から離れることはない。戦いから61年、生還した1033人の多くもこの世を去った。=文中敬称略(池田祥子)






◆【刻まれた記憶 硫黄島の61年】(4)「望郷」かなわぬ思い (産経 06/8/11)

 (写真) 美しく咲き誇るハイビスカスの傍らに残された機関銃。島が置かれたかつての状況を、如実に物語る=東京都小笠原村

 今年の政府遺骨収集で4回目の参加となった奥山紀久子(65)=東京都=は、海岸沿いの地下壕の中から運び出された土をくま手でかき分けていた手を止めた。「これ遺骨じゃないかしら」。赤茶色に変色した小さな塊を強い日差しにかざした。

 硫黄島は奥山が4歳まで暮らした故郷。8人兄弟の6番目で、父は漁業、母は農業を営んでいた。60余年前の現地徴用で、奥山の家では16歳だった二男の兄が島に残った。父が残るはずだったが、「父さんは家族を養って」と自ら志願した。兄は軍の炊事当番を手伝い、戦死した。

 「どの遺骨も兄のものだと思っている」。そう胸に刻む奥山は手にした小さな遺骨に静かに祈りをささげた。

                  ◆◇◆

 硫黄島が日本領土に編入されたのは明治24年。住民たちは漁業や硫黄の採鉱、サトウキビの栽培などで生計を立てた。

 第二次大戦末期、米軍は、日本本土への空爆の拠点などとして硫黄島を重視した。対して、大本営が硫黄島の守備隊に求めたのは沖縄と同様、本土への空襲を少しでも遅らせるための“盾”としての役割だったともいわれている。

 戦争が激化した昭和19年、島に暮らしていた216戸、1004人は、現地徴用された青年らを除いて全員が本土へ強制疎開させられ、島は戦場となった。軍属となった青年103人のうち、約8割の82人は戦死した。

 戦争が終わり、米軍の統治後、本土復帰したのは昭和43年。その後も自衛隊の基地が置かれている。旧島民らがいつでも島を自由に訪れられるというわけではない。

                  ◆◇◆

 奥山が戦後初めて島を訪れたのは平成8年。52年ぶりの帰郷だった。第一印象は「なんて平らな島なんだろう」。

 島は風が吹くと硫黄の臭気が漂い、地下からの蒸気が激しく噴き出す。活発な火山活動は続き、今も年間約30センチずつ隆起している。

 「だけど、植物だってちゃんと育つ。こんないいところはないと思うわ。やっぱり故郷だからかもしれないね」。美しい海とともに、島をいっぺんに気に入った。「難しいと思うけれど、帰してもらえるなら、やっぱり住みたい」と感じた。

 望郷の念は、硫黄島の旧島民たち多くの共通の思いでもある。旧島民は戦後、帰郷を願って、疎開先から同じ小笠原諸島の父島に集結してきた。昭和50年ごろ、「小笠原在住硫黄島旧島民の会」が結成され、平成10年からは遺骨収集に会として参加するようになった。

 「故郷がないことは、悲しいことですよ」。3代目会長、岡本良晴(73)=東京都=はしみじみ語る。「国内にあるのに、硫黄島は戦没者の半分の遺骨も収集できていない」。無念の思いがいまなお尽きない。

 「遺骨収集が終わったと思われる場所でも遺骨が出てくる場合がある。これからも亡くなった人たちの遺骨を集めていきたい」と岡本。旧島民の帰郷とともに、大きな願いとなっている。=文中敬称略


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◆【刻まれた記憶 硫黄島の61年】(5)慰霊…今に問う屍 (産経 8/12)

 (写真) 日本戦没将兵慰霊碑に手を合わせる遺骨収集団のメンバー。御霊が安らかに眠ることを祈った=東京都小笠原村の硫黄島


 日米が激しい戦闘を繰り広げた硫黄島南端の摺鉢(すりばち)山。第二次大戦で最も有名な写真のひとつとされ、米アーリントン国立墓地前の海兵隊記念碑のもとにもなった星条旗を立てる米兵たちの写真は、この山の頂で撮影されたという。

 「摺鉢山はどこだ」。島に訓練で降り立つ米兵たちは必ずといっていいほど在島の自衛隊員に尋ねる。山頂の米軍上陸記念碑の傍らには、訪れた米兵の認識票が無数に残る。6821人の死者、2万1865人の負傷者を出した米国にとっても、この島は日本側と同様、多くの犠牲を払った忘れ得ぬ地だ。

 現在米国では日米双方の視点で描いた2本の硫黄島戦の映画がクリント・イーストウッド監督によって制作されている。国内でも総指揮官だった中将、栗林忠道の人物像を描いた『散るぞ悲しき』が昨夏出版され、7月に10万部を突破した。

                  ◇

 「栗林は家族に支えられていた。兵士たちも戦場で故郷の家族に支えられ、家族とともに戦っていた」。

 『散るぞ-』の作者でノンフィクション作家の梯(かけはし)久美子(44)は栗林らの足跡をたどる中でそう感じていた。

 「劣悪な状況で見捨てられても腐らずあきらめず、できることを最後までやった人。どんな状況でも人間は人間らしく、高潔に生きられるんだと感じた」

 硫黄島戦の遺族の中には「栗林だけが戦った島じゃない」との反発もある。「けれど、大本営への決別電報をみても栗林は部下の将兵が悲惨な場所でいかに戦ったかを伝えることも指揮官の役割と考えていたと思う」。梯はそう感じている。

 作品を書く直前の平成16年12月、梯は初めて島を訪れた。降り立った瞬間、「島に眠る1万3000人の遺骨を踏んだ」と感じた。

 「私たちは関係ないように過去を切り捨てて前だけを見て生きてきたが、あの時代と今は地続きだった。慰霊とはどういうことなのかと今も考えさせられている」。作品は梯自身にとっても「戦争」を見つめ直すきっかけとなった。

                  ◇

 硫黄島戦が注目を浴びる一方、政府の遺骨収集事業は硫黄島に限らず、3年後をめどに打ち切りが示唆され、岐路に立たされている。

 「死ぬか生きるかの苦労で、涙と汗にまみれたわれわれの遺骨収集の歴史は一言では語れないよ」。日本遺族会監事の永澤庄一郎(75)=宮城県=はそう語る。

 「すべての遺骨を迎えたい」。永澤の心からの気持ちだが、過去の収集数からみると、200年はかかる計算。「ならば、せめて行きたくても行けない大多数の遺族が墓参できるようにしてほしい」。遺族でも自由に訪れることのできない島について、永澤は墓参の回数を増やすよう政府に要請している。

 「日本国民が諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対し涙して黙祷(もくとう)をささげる日が、いつか来るであろう。安んじて国に殉ずべし」

 栗林が最後の出撃に際し、兵士らに訓示した言葉だ。あれから61年。島には今も多くの兵士たちの屍(しかばね)が残されたままだ。
by sakura4987 | 2006-08-12 15:06

http://japanese.chosun.com/site/data
/html_dir/2006/08/10/20060810000005.html

 金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は「駐韓米軍が韓国の平和と安全を守っているというのに、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は南北和解に力を入れるあまり、北朝鮮の首席弁護士のように振舞っている」と非難した。

 金元大統領は8日、日本の橋本竜太郎前首相の葬儀に参列するため日本を訪れた。

 金元大統領は日本経済新聞など日本のメディアと行ったインタビューで「(北朝鮮がミサイルを発射した当日)日本は朝から対策会議を開いたのに、韓国は対応がかなり遅れた。国と国民を考えていない」と語った。


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◆「何でも反対」の全教組 (朝鮮日報 06/8/10)

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/10/20060810000051.html

 ソウル市教育庁は先月「よい学校づくり」施策の対象として96校を選んだ。この施策は教育環境が劣悪な学校や、学習能力が劣っている児童・生徒のための措置だ。

 ところがこれに全国教職員労働組合(全教組)が異を唱えた。児童・生徒の学力向上に寄与した教員に昇任のための評点を加算することが、昇任競争をあおるというのだ。

 これに対し教育庁関係者は「教育における不平等を解消すると言ってきた全教組が正反対の行動を取っている」と反論した。

 9万人の組合員にとって「絶対的権力者」である全教組は、ともすれば教育政策の足を引っ張ることに全力を注いでいるように見える。

 全教組の求める「平等主義」に反していたり、「競争原理」に少しでも該当しようものなら闘争に打って出る。たとえ保護者や児童・生徒が賛成していても全く意に介さない。

 このため、主要な政策が宙に浮いたり、大幅な縮小を余儀なくされるケースが多々ある。教育行政情報システム(NEIS)に対する反対闘争で人権や個人情報保護の重要性を知らしめたことは唯一のプラス効果となった反面、教育政策に対していちいち異を唱えるという印象を人々に与えている。

 教職員の勤務評定は、教育部のスケジュール通りであれば、現在全国1万1000校余りの小・中・高校で全面的に実施されていなければならない。ところがその内の67校では未だにテスト段階にとどまっている。

 これは全教組が「勤務評定は教員を統制するためのもので、結果的に教員の構造調整につながる」として猛反対しているためだ。

 全教組の張惠玉(チャン・ヘオク)委員長は「勤務評定は教員を“追い立てればもっとよくやってくれる”という、序列化・等級化の論理だ」という訳のわからない主張を繰り広げている。

 「学校を愛する父母の会」などは勤務評定を積極的に支持しており、勤務評定は世界的なすう勢でもあるのに、全教組はそれが分かっていない。

 個人別差等成果給制の拡大についても同じく、「教員同士の競争を誘発する」として、徹夜の座り込みなどによる反対闘争を繰り広げている。世の中は競争社会なのに、教員だけは例外だというわけだ。

 また、学習面での競争力に関する政策にも無条件で反対している。小学3年生を対象に行う予定だった基礎学力診断テストは、全教組の反対によって、無作為抽出した3%の児童に対して実施するにとどまった。

 全教組は「習熟度の評価が全面実施されれば、詰め込み教育と試験対策型の教育で学校現場が荒廃する」と主張している。

 その上、保護者らの間で人気が高い自立型私立高校(普通の私立高校とは異なりカリキュラムなどを学校側の裁量に任せた私立高校)、外国語高校、国際中学校などの設立にも反対している。これらの学校が「貴族学校」だというのだ。

 つまり、富裕層だけが入学するというわけではないにも関わらず、「富裕層の子どもたちがこれらの学校に入り、いい大学、いい会社を目指すシステムになっており、教育の両極化を促進するものだ」と主張している。

 習熟度別教育についても、成績の良いクラスと悪いクラスに分けられるといったことを理由に反対している。張委員長はあるインタビューで「一つの学校で70%の生徒が落第する。

 彼らを絶望の淵に追いやり、残り30%の生徒の間で競争力を高め、良い生活が送れるようにすることに何の意味があるのか」と語った。

 生徒側のさまざまな需要を学校の中に取り入れ、低所得者層に質の良い教育・保育の機会を与えようと実施されている放課後授業も、小学校1、2年生への英語教育も、全教組にとっては反対闘争の対象でしかない。

 さらに大きな問題は、政府が全教組の言うことを何でも聞こうとしていることだ。

 ソウル美術高校のイ・インギュ教頭(美しい学校運動本部事務総長)は、「何に対しても反対の全教組も問題だが、方針を貫く能力も意思もない教育部にも同じく大きな責任がある」とコメントした。


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◆「国旗に敬礼」拒否するよう指導した全教組所属の教員 (朝鮮日報 06/8/8)

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/08/20060808000043.html

 全国教職員労働組合(全教組)は7日の記者会見で、所属する教員が「国旗に対する敬礼」を拒否するよう指導していた問題についての質問に対し「(当該教員に対する)懲戒処分はまだ下されていない。メディアが懲戒処分を下すようけしかけている面もあり、個人の良心と自由の問題だと思う」と語った。また全教組は「対応を検討している段階だ」と付け加えた。

 本紙が今年6月19日付で最初に報道したこの問題は、全教組に所属する京畿道富川市のS高校のイ某教諭(36)が、授業中に兵役と「国旗に対する敬礼」を拒否するよう生徒たちに指導していたことが発端だ。

 この事実を知った保護者ら140人は今年5月、京畿道教育庁に陳情書を提出した。

 保護者らは「(当該教員が)学校運営委員会や朝礼の際に国旗に対する敬礼を拒否し、大韓民国の政府を認めないという趣旨の教育を行っているという声を生徒たちから聞いた。さらに軍隊に行ってはいけないという考えを植え付けてもいる」と述べた。

 全教組が対応する意思を表明したこの問題について、京畿道教育庁の懲戒委員会は、当該教員に対し既に二重懲戒処分とすることを決めたという。
 京畿道教育庁関係者は「懲戒委員会は、“国旗に対する敬礼をするな”といったこの教員の教育が、普遍的な価値と社会通念に反していると判断し、停職3カ月の懲戒処分を決めた」と語った。

 停職3カ月は罷免、免職に次ぐ重い懲戒処分だ。最終的な懲戒処分の可否は道の教育長が決定する。


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◆【コラム】仮面を脱いだ金正日シンパ団体 (朝鮮日報 06/8/8)

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/08/20060808000032.html

 世の中の動きが尋常ではない。どうも2007年の大統領選を待たずに、韓半島(朝鮮半島)最後の決戦が始まりそうだ。

 金正日(キム・ジョンイル)総書記がやること、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の性質(たち)の悪さ、 金正日シンパ団体たちの‘わがもの顔’に振舞う姿がすべてやぶれかぶれになって「一丁やってやろうか」というようなふうだからだ。

 その時が来たという意味だろうか、追い詰められたという意味だろうか?そうならば、大韓民国も6・25(朝鮮戦争)の時のようにやられっぱなしではいられない。憲法が定めた‘国民抵抗権’を深刻に考えるべき時かもしれない。

 金正日総書記はすでに、引き返せない橋を渡った。

 盧政権は、ともすると6カ国協議をうんぬんするものの、「俺はあらゆる犯罪を尽くしてもおまえは何もいわず目をつぶってくれ」という金正日総書記の無理な注文をアメリカが聞き入れるはずがない以上、6カ国協議は終わりだ。

 彼には「自爆特攻隊」方式以外には選択の余地がない。「より良い」選択のチャンスを自らつぶしてしまったためだ。

 盧政権も自由党政権末期、維新政権末期のように、その言行がますます奇怪になり、とうとう喜劇となりつつある。

 「果して北朝鮮のミサイルは韓国の安保にとって危機だったのか(大統領府ホームページ)」

 「北朝鮮のミサイルが韓国を攻撃したとしたら、在韓米軍基地を攻撃したのだろう(与党ヨルリン・ウリ党の金元雄=キム ウォンウン=議員)」

 「失敗したかどうかでみればアメリカが最も失敗した(イ・ジョンソク統一部長官)」

 「アメリカが失敗したという韓国の閣僚たちは国会でしかられなければいけないのか?(盧大統領)」」

 「国家元首を食べ物(鶏肋=鶏の肋骨の肉のように大して役に立たないが捨てるには惜しいもの)に例えた…これらの新聞(朝鮮・東亜日報)は麻薬の有害性のような深刻さを連想させる(李百万=イ・ベクマン=大統領府広報主席秘書官)」

 「ずいぶん前に軍生活や長官をなさった方々が韓国軍の発展の様子をご理解できなかったから(尹光雄=ユン・グァンウン=国防部長官)」…。

 この政権にはどうしてこんなに普通と違った(?)タイプの人同士が‘類は友を呼ぶ’式に集まっているのだろう。


 しかしこんなのは朝飯前だ。韓国大学総学生会連合や祖国統一汎民族連合などの最近の言動は、「人民共和国万歳」だ。

 自分たちを「親北朝鮮」と呼ぶ者に対して「容共操作(自分達を朝鮮共産党シンパにでっち上げている)」’と、カンカンになっていた人々が、最近は「おっしゃるとおり私は親北朝鮮です」と堂々とカミングアウトしている。

 「先軍政治は弱小民族の悲しみに終止符を打ち、わが民族が21世紀の新しい姿として登場したもの」

 「北朝鮮の莫大な軍事力がなかったら、アメリカはいつでも北朝鮮を侵略したはず。韓国では戦争が起こっていただろう」

 「敵の息の根を狙い、戻らない矢になろう(全国教職員労働組合)」…。

 本当に何ともいいようのない極左的な盲動(分別を欠いた行動)だが、それの反映するところは簡単ではない。一言でいえば「金サモ(金正日を愛する人々の集まり)」に総動員令が下ったようなものだ。

 そうでなければ、武器こそ手にしていないものの、あの「南朝鮮労働党暴動」のような現象は説明できない。もう彼らは仮面を脱いだ。これまでの拠り所を捨て、‘金サモ’が舞台の前面に姿を現したのだ。


 数年前、ある有名大学の教授が新聞に文を寄せた。「親北朝鮮勢力というものない」という内容だった。ソ連が崩壊し、北朝鮮があの状況で崩壊しつつあるときに、なぜ「親北朝鮮勢力」の心配をするのか、といったのだ。

 左派ではない彼が今、全国民主労働組合総連盟の幹部たちによる北朝鮮「革命烈士陵」参拝を見たら、果して何と言うだろうか。おそらく「観光しただけじゃないか」というかもしれない。

 韓国社会の問題はまさにこれだ。極左を少数派から「天下大勢」になるまで大きくした触媒こそ、こうした「取り柄のある愚か者」たちだったということだ。

 彼らは今も「弱者の反発に対してむやみに騒ぎ立てるな」という。しかし大韓民国はこの危機の時期に、国の守りとなる「むやみに騒ぎ立て」る必要がある。国民は「5・31地方選」と「北朝鮮のミサイル」をヤマに騒ぎ立てた。

 全世界が、中国までもが北のミサイルを見て騒いだ。左派大勢に迎合した「少し前の長官」、言論を生業とする者たちも、最近は大勢が再び傾いていると思っているのか、右派的な論調に変えて騒いでいる。

 それならば答えは出ている。韓国の「国民抵抗権」は全世界と同様に必死になって騒ぎ立てることだと…。
by sakura4987 | 2006-08-12 14:35

http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=137546&lindID=5

マクロミル、20・30代の未婚女性を対象にした「結婚観に関する意識調査」結果を発表

シングル女性結婚を焦るのは30才、あきらめるのは40才がピーク

未婚女性の4人に1人が「子供は欲しいと思わない」

結婚相手に求める条件「経済力」よりも「家事・育児の協力」「仕事への理解」


 株式会社マクロミル(本社:東京都港区、社長:福羽泰紀)は、全国20代・30代の未婚女性を対象に、「結婚観に関する意識調査」を実施いたしました。調査手法はインターネットリサーチ。調査期間2006年7月11日(火)~7月12日(水)。有効回答数は1,040名から得られました(20代・30代を均等に回収)。


【調査結果概要】


【1】シングル女性結婚を焦り始めるのは30才、あきらめるのは40才がピーク

 いくつから結婚を焦る、またあきらめる気持ちが芽生える(芽生えた)のかを尋ねたところ、焦り始めるピークは30才、あきらめ始めるのは40才がピークであることが分かりました。

 焦り始める年齢は30才に向けて徐々に高まる傾向にあり、あきらめ始める年齢は35才で一度高まった後、40才でピークを迎える傾向を示しました。未婚女性の結婚に対する気持ちは、5才刻みで大きな節目を迎えるようです。


【2】未婚女性の4人に1人が「子供は欲しいと思わない」

 未婚女性に子供が欲しいと思うか尋ねたところ、4人に1人は「欲しいとは思わない」と答えました。

 欲しいとは思わない理由を尋ねたところ、トップは「子供を育てる自信がない」47%、次いで「現在の社会状況の中で子供を育てることに不安がある」46%、「仕事と子育てを両立するのが困難」37%となりました。


【3】未婚女性、33才を超えると「恋人なし」が過半数

 結婚を考える恋人がいるかどうか尋ねたところ、3人に1人は「いる」と答えました。また、「恋人はいない」と答えた人は半数以上おり、2人に1人は恋人がいないことが分かりました。

 年齢別に見ると、23才、27才で最も恋人がいる率が高まっていますが、33才を超えると恋人が「いない」人が半数以上を上回る傾向が強くなります。未婚女性の恋人の有無は、33才が分岐点になっているようです。


【4】結婚相手に求める条件「経済力」よりも「家事・育児の協力」「仕事への理解」

 結婚意向のある未婚女性に対して結婚相手に求める条件を尋ねたところ、「性格・人柄」が100%、次いで「価値観・相性が合うこと」98%、「恋愛感情」91%が9割を超える高い結果となりました。

 この他は、「経済力」(84%)「職業」(55%)「社会的地位」(30%)などの条件より、「家事・育児の分担・協力姿勢」(88%)「自分の仕事への理解と協力」(86%)の方が高い順位となっています。

 男性の家事・育児参加に関する意識や女性の仕事に対する理解のあり方が、今後の未婚女性の結婚に影響を与えそうです。
by sakura4987 | 2006-08-12 14:34

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