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2007年 01月 10日 ( 21 )


http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070110k0000m040142000c.html

 殺人などの重要犯罪で02年から3年間に警視庁に逮捕・検挙された外国人計80人のうち、20人が一度何らかの犯罪を起こし強制退去された後に、偽造旅券などで不法に再入国した「リピーター」だったことが同庁組織犯罪対策2課の調べで分かった。東京都品川区の女性殺害事件で9日殺人容疑などで逮捕された韓国籍で職業不詳、金相浩(キムサンホ)容疑者(47)も、かつて強制退去になっており、改めて水際対策の重要性がクローズアップされた。

 同課によると、02年10月~05年9月までの3年間に扱った殺人、強盗、放火、強姦(ごうかん)、強制わいせつ、誘拐の重要犯罪で逮捕・検挙された計80人の外国人のうち、20人がいったん強制退去された後に、再び入国したリピーターだった。懲役1年以上の判決を受けた場合、出入国管理法により日本には無期限に入国できないにもかかわらず、偽造旅券を使ったり、密入国によって再入国し犯罪を繰り返していた。

 東京都品川区のアルバイト、富士原光代さん(当時69歳)が04年4月に自宅で殺害された事件で逮捕された金容疑者は、殺害事件の1年前の03年4月に窃盗容疑などで逮捕され、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受け、強制退去処分になった。しかし、生年月日を偽って旅券を申請し、04年3月と4月の2度にわたり入国し、殺害の2日後には韓国へ戻った。【鈴木泰広、川上晃弘】
by sakura4987 | 2007-01-10 13:19

大量破壊兵器の拡散防止構想(PSI)の多国間合同訓練で船舶立ち入り検査を行う海上自衛隊員たち。さまざまな脅威に対する海の守りは重要度を増している=2005年8月15日、シンガポール・チャンギ海軍基地内で(藤本欣也撮影)


 東京・九段坂を登り詰めたあたり、武道館入り口の田安門の前に和洋折衷の灯台が立つ。明治4年建造の「常燈明台」で、頂上の金色の風見が初日に照り映えていた。この界隈(かいわい)は江戸で最も見晴らしがきき、東京湾を出入りする船がこの常夜灯を頼りにし、陸からは海の日の出を見ようと人々が群れをなした。
                   ◆◇◆

 戦前までは陸と海が一体で、陸にいては海の守りを、海では陸の守りを思った。男の子に「将来は何になる?」と問えば、「連合艦隊司令官!」と返ってきた時代が続いたものだ。

 戦後、「民主主義」教育と経済繁栄の中で、九段坂と東京湾が物理的に遮断されたように、陸と海の間で人々の心はとんと交い合わなくなった。

 先ごろ、都内で催されたシンポジウム「海洋国家日本の進路」(太平洋学会主催、産経新聞後援)で、キャスターの桜林美佐さんは「九段坂の灯台」の話を引きつつ、「最近の日本人は日本という船に乗っていることを忘れがちで、海に思いを致すこともなくなってしまった。それは国を意識することがなくなったのと同じだ」と嘆いた。

 ここ数年、日本を取り巻く海の事件は引きも切らない。そもそも北朝鮮の拉致犯人たちは日本海を拉致回廊にして横田めぐみさんらを連れ去り、その後も麻薬や武器などの密輸に暗躍する工作船を跋扈(ばっこ)させている。中国は東シナ海などにエネルギーあさりの海洋調査船や潜水艦を放ち、日本の海の動脈たるシーレーン、マラッカ海峡では海賊事件が頻発し、昨夏は北方領土海域でロシア国境警備艇が日本漁船を銃撃して死者を出した。

 「それなのに…」と、元自衛官で日本政策研究センター研究員の濱口和久氏は同じシンポジウムで、海の守りのお寒い事情を数字で示してみせた。

 日本の国土は約38万平方キロメートルで世界59番目だが、国連海洋法条約で200カイリが自国領・排他的経済水域となったことで日本の海の面積は約447万平方キロメートルと世界6位(国土の11倍)の広さになった。ところが、この広大な海を守る海上保安庁の定員は陸上勤務を含めて約1万2000人、海上自衛隊は4万5000人。つまり、東京を守る警視庁の警察官4万人強にほぼ匹敵する人員しかいない。

 「しかも、日本は北方領土、竹島、尖閣諸島を抱えているのに、領土問題の司令塔がない。(外務省などの対応も弱腰で)本来行使すべき主権まで放棄している国家だ」と憤った。

                   ◆◇◆

 船員、つまり船乗りは今、天然記念物トキと同じ「絶滅危惧(きぐ)種」といわれている。特に外航(外国航路)海運は現在、業界が活況を呈しているのに、船員は文字通り「絶滅」に瀕(ひん)しているという矛盾を抱えている。

 海洋政策研究財団によると、日本の商船隊は現在約2000隻だが、日本籍船舶はわずか95隻で日本人船員も2600人しかいない。30年ほど前には日本籍船舶は1600隻、日本人船員は5万7000人だったから、いずれも約5%にまで激減してしまった計算になる。

 世界の海を行く日本向け重要戦略物資を積んだ船舶の約95%までが「日の丸」を掲げていないのだ。こんな状態で、例えば中東から日本への石油を積んだタンカーがシーレーン上で海賊やテロリストに襲撃されたらどうなるか。海上自衛隊の防衛対象は「日の丸」を掲げた日本籍船舶だけなので、現場に急行しても犯人側と交戦はおろか乗組員を救出できないといった理不尽極まる事態が起き得る。

 日本人船員の激減は、1985年のプラザ合意による大幅な円高が日本人船員のコスト競争力を喪失させ、「安くて使い勝手の良い外国人船員が国際市場から自由に調達できる」(井出本榮・全日本海員組合長)時代になったことによる。

                   ◆◇◆

 笹川陽平・日本財団会長は「海洋に接する国々は、海底資源開発や漁業など、海洋に関連する諸権利を明確に主張するようになった」と指摘。友田好文・太平洋学会副会長も「レーニンの『帝国主義論』に『なぜ国家は領土を拡大しようとするのか』とあるが、同様に今は、海を世界が分割する時代に入ってしまった」と警鐘を鳴らす。

 ところが、日本には海洋問題を総合的に管轄する政府機関も海洋担当大臣もいない。国会でようやく「海洋基本法」策定への動きが出始めたが、現状は「ないない尽くし」なのだ。ちなみに、中国はすでに「海洋使用管理法」を制定し、韓国も海洋水産省を創設している。

 大山高明・日本海事新聞社長は覚醒(かくせい)の檄(げき)を飛ばしている。

 「日本よ、針路を海にとれ」(斎藤勉)
by sakura4987 | 2007-01-10 13:16


日ソ共同宣言に調印する鳩山一郎首相(左)とソ連のブルガーニン首相(右)=昭和31年10月19日、モスクワ

 終戦直後、旧ソ連が不法に占領した北方領土は、61年余を過ぎた今も日本に返還されていない。日露間の交渉は暗礁に乗りあげているが、その原点とでもいうべき半世紀前の日ソ国交回復交渉を振り返ってみた。
 ■禍根残した共同宣言 返還…夢で終われぬ

 日本政府がソ連に北方領土返還を本格的に求めたのは、鳩山一郎首相が昭和30年1月に開始した国交回復交渉の場だった。日本はサンフランシスコ平和条約によって、27年4月に独立を回復したが、旧ソ連は同条約に署名せず、国際法上は「戦争状態」が続いていた。

 ロンドン、モスクワでの交渉を経て、31年10月、鳩山は全権団を率いてモスクワを訪問した。脳出血の後遺症で左の手足が不自由だった鳩山は当時73歳。健康状態が危ぶまれたが、それを押しての訪問だった。

 鳩山訪ソ前の世論は、国交回復は支持しつつ、南樺太も含む領土返還の実現を強く求めていた。自民党内からも「固有の領土である択捉、国後を失ってまでも国交を回復しなければならない積極的理由はない」(元外相で参院議員の野村吉三郎)との鳩山批判が吹き荒れた。新聞も「見込みなき鳩山訪ソ無用」(同年9月1日産経時事の社説)などと攻撃した。

 返還に応じないソ連と、世論の板挟みとなった鳩山は訪ソ決定時の談話で「固有の領土に対しては、その主張を断じて譲るものではありません」と強調した。

 だが、当時はシベリア抑留者の帰還も大きな懸案だった。

 「抑留者の帰還や国連加盟などを早く実施させる方法をとらなければ駄目だ。社会党は間接的にご援助願いたい」

 鳩山は訪ソ決定前の夏、軽井沢の別荘に社会党の委員長、鈴木茂三郎をひそかに招き入れた。鳩山番の記者たちが引きあげた夕方、ヘルメットをかぶって変装して裏口から応接間に入った鈴木に、鳩山は深々と頭を下げた。

 後に鳩山が「その日(領土返還)が来るまで(国交回復を)やらないのだと頑張っていたのでは抑留者たちが参ってしまう。領土は何年経ってもなくなることはないが、人の命は限りがある」(「鳩山一郎回顧録」)と振り返ったように、領土よりまずヒトを取り返すのが先決だった。

 それでも、モスクワ交渉では、鳩山、農相の河野一郎、松本俊一の全権団は北方領土をめぐってソ連側と応酬を続けた。択捉、国後を含めた4島即時返還は無理でも「歯舞、色丹は返還。その他の領土は継続審議にしてもらいたい」と全権団は粘った。

 ソ連外務省もこの案をほぼ受け入れ、(1)歯舞、色丹の返還時期を平和条約が発効し、米国が沖縄と小笠原諸島を日本に返還したとき(2)残る領土問題を含め平和条約交渉を継続-と逆提案した場面もあった。全権団は歓声をあげたが、フルシチョフが翌日、撤回してきた。

 「今更取り消すのはおかしいではないか」

 強気で鳴らした河野は第1書記、フルシチョフに直談判したが、クレムリンの壁は厚かった。

 交渉の結果、(1)戦争状態の終結と国交の回復(2)平和条約締結後に歯舞、色丹を日本へ引き渡す(3)平和条約締結交渉の継続-を柱とする「日ソ共同宣言」が発表された。シベリア抑留者送還と日本の国連加盟の支持も約束された。

 帰国した鳩山を待っていたのは、歓迎の人波だった。シベリア抑留者の帰国は、ようやくソ連との「戦争」が終わることを人々に実感させたのだ。

 孫で、民主党幹事長の鳩山由紀夫は当時9歳だったが、提灯(ちょうちん)行列を覚えている。「街全体がお祭り騒ぎだった。大(おお)パパはすごいことしたんだ、と思った」と振り返る。

 だが、その陰で北方領土問題は置き去りにされたのも確かだ。

 56年、鈴木善幸内閣は2月7日を「北方領土の日」と定めた。運動は一時盛り上がったが、一部新聞には「『北方領土の日』悪乗りの危険性」(同年1月7日読売新聞)、「どう薄める右寄り路線」(1月25日朝日新聞)などの見出しがおどる始末だった。

 日露協会会長でもある鳩山由紀夫は、共同宣言50周年にあたる昨年10月、モスクワでの日露フォーラムで「一郎は50年たっても日露がこんな状態なのを天界からいたく嘆いているに違いない。原因の一つに共同宣言があるのを後悔しているだろう」と語った。

 由紀夫は「元島民の高齢化を考えると、時間は大きなファクターだ。政治家の努力が必要だ」と語るが、今もロシアは返還に応じる気配すらみせていない。(敬称略)

                   ◇

【用語解説】北方領土の自然

 北方四島の面積は5030平方キロで福岡県よりも広く、沖縄県の倍以上ある。最大の択捉島は鳥取県とほぼ同じだ。国後島も沖縄本島よりも広い。平均気温は8月で約16度と涼しい。北岸はオホーツク海。南岸の太平洋は千島海流(親潮)と黒潮の交流点で世界3大漁場の一つともいわれ、サケ、マス、タラ、カニの宝庫。

                   ◇

【用語解説】ソ連軍の侵攻

 ソ連軍は昭和20年9月5日までに北方領土を占領した。同年8月15日時点で北方領土の日本人島民は3124世帯1万7291人を数え、7割以上が昭和元年以前から島に住む人々だった。39校あった国民学校(小学校)などへ約3000人の子供が通っていた。また、千島列島北端の占守(シュムシュ)島には終戦時、日魯漁業の缶詰工場の社員2500人がいた。8月18日、ソ連軍の攻撃に日本軍は自衛のため応戦し、日魯漁業の女性社員400人を北海道へ脱出させた。

 4島に住んでいた一部の島民も着の身着のまま北海道へ脱出。島に残った人々は強制労働をさせられ、シベリアや樺太に抑留された後、多くは24年ごろまでに日本へ強制退去させられた。

                   ◇

 【北方領土ミニ事典】

 ■サンフランシスコ平和条約と北の領土 日本はサンフランシスコ平和条約で「千島列島」と「南樺太」を放棄した。日本政府はこの「千島列島」は得撫(ウルップ)島以北で択捉など北方四島は含まれていないと主張している。旧ソ連は同条約の署名を拒否し条約上の権利を主張できないが、旧ソ連とロシアは北方領土、南樺太、千島列島すべてを自国領と主張する。日本政府はロシアに北方領土の返還を求め、南樺太・千島列島の帰属は未定-としている。南樺太と千島列島の返還は求めず、得撫島と択捉島の間に国境線を引くことを目指している。

 昭和40年4月6日の衆院本会議で、自民党の佐藤孝行衆院議員は北方領土返還決議への賛成討論で、千島列島、南樺太への「わが党の見解」として「領土放棄したものではない。最終的帰属は、国際的に定めるべきものだ。国際的会議を開かれる場合は、わが国は、これらの地域に対する領土の返還を求める権利を留保する」と述べていた。

 ■ロシア住民とロシア軍 北方領土のロシア人住民は1万6796人(平成17年現在)。択捉島6904人、国後島6697人、色丹島3195人で、歯舞諸島には国境警備隊員しかいない。日本政府は平成4年から、相互理解のため日本人元島民・子孫らとロシア人住民とのビザ(査証)なしの相互訪問を進めている。

 防衛白書(平成18年版)などによると、旧ソ連は昭和53年から戦車、北海道を射程とする火砲、対空ミサイル、戦闘機、兵員輸送ヘリなどの軍部隊を本格的に配備。冷戦期と比べれば規模は減ったが、今もロシア軍や国境警備隊が常駐。択捉島と国後島の間の国後水道は冬季に露海軍艦艇が太平洋へ抜けるルートになっている。

 ■本籍が置ける 昭和58年3月施行の「北方領土問題解決推進特別措置法」で誰でも戸籍が置ける。戸籍事務は根室市長が担当、返還への国民の関心を高めるねらいがある。歯舞諸島は34年に根室市に編入されたため同法以前から本籍が置けた。平成17年末現在で北方領土に本籍を置く人は108人。


■【詳説・戦後】第4回 北方領土(3-2)元島民の今

本土と目と鼻の先にある国後島。北方領土の総面積は5030平方キロにもなる(本社ヘリから)


 日本固有の領土でありながら日本国民が住めない北方領土。元島民の今を北海道根室市で取材した。
 ■「島ごと拉致」無策に嘆き

 北方領土に最も近い納沙布岬。真冬の澄み切った青空の下、歯舞諸島の貝殻島が肉眼でもよく見える。わずか3・7キロ。同諸島をカメラの望遠レンズ越しに見ると、ロシア国境警備隊の監視所や教会が確認できる。

 昨年8月、この海域でロシア国境警備隊が日本の漁船を銃撃、乗組員1人が死亡した。以降、海上保安庁は巡視船を1隻から2隻に増やし、監視態勢を強化した。

 北海道と北方領土の間の「中間ライン」は、ロシアに漁船が拿捕(だほ)されないよう便宜的に引いているだけで、日本政府は効力を認めていない。このため地元漁業者には「自分たちの海」という意識が強い。根室の漁協幹部は「中間ラインを出て操業するのは常識だった。事件後、中間ラインを越えられず水揚げが半減した者もいる」と本音を漏らす。

 岬の突端近くには独立行政法人「北方領土問題対策協会」(北対協)が管理する北方館がある。北方領土返還の世論喚起を目的に建てられ、古地図や動物の剥製(はくせい)を展示、2階の展望室から歯舞諸島を一望できる。だが、どうも物足りない。入館者も平成4年に68万人を記録したが、昨年は11万人まで激減した。観光客の多くは、北方館を素通りするのだ。ソ連軍に追われ着の身着のままで脱出した当時の状況を再現するなどの工夫が必要だろう。

                   ◇ ◇

 領土返還運動の先細りにいらだちを覚える根室市在住の元島民は多い。終戦時約1万7000人もいた元島民は現在、約8000人まで激減し、平均年齢は73・5歳(昨年3月末現在)。このため、元島民らで構成する「千島歯舞諸島居住者連盟」根室支部は、運動後継者を育成するため、島民2世、3世に連盟加入を勧誘する切迫した状態が続いている。

 元島民で漁師の池田英造さん(73)=国後島出身=は昭和36年夏、操業中に中間ラインを越えたとしてソ連側に拘留された経験を持つ。一家は、池田さんが12歳だった昭和20年9月、国後島を夜陰に紛れて船で脱出した。唯一持ち出せた家財道具はノコギリとオノなどの工具だけ。池田さんは「根室に着いたら、木を切り出し草をふいて雨露をしのごうと思った」と振り返る。それらの品は故郷の思い出として家の倉庫に大切に保管されている。

 ある70代の元島民は昨年夏、ボートで北方領土に渡り、沿岸に日の丸の旗を立てる計画を立てた。だが銃撃事件が起こり、警備が強化されたため断念した。この元島民は「拿捕されてもよかった。騒動を起こさないと日本政府は動かない」と憤る。

 島の行事と思い出を後世に残すため水産会社を経営する得能宏さん(72)=色丹島出身=は毎年、元島民とともに根室市内の金刀比羅神社を借りて、島の神社を「色丹神社」と総称して祭礼を続けている。

 漁業者の楠木秀夫さん(82)=国後島出身=は「元気なうちに1島でも2島でも返してほしいが、4島返還は難しいだろう」と悲観的だ。1等兵として色丹島で終戦を迎え、シベリアに抑留された六本木兵治さん(82)=同=も「北方領土が返るとは思えない。戦争に負けたから」とつぶやく。

 島を追われた体験談を伝える「語り部」として活動している鈴木咲子さん(68)=択捉島出身=は道立北方四島交流センターで、根室にやってくるロシア人に領土返還を訴え続ける。鈴木さん一家は昭和20年9月下旬、島北部にある蘂取(しべとろ)村の自宅に銃剣を持ったソ連兵に押し入られ、タンスの引き出しから、懐中時計や指輪を奪われた。鈴木さんは戦後3年間を村で過ごした。両国の子供たちが混在して通った小学校では人形遊びや縄跳びをロシア人の女の子たちと一緒に楽しんだ。しかし、男の子たちはけんかが絶えず、暖がとれる教室はロシア人生徒に奪われ、日本人生徒は寒い体育館に押しやられたりしたこともあったという。その後、ソ連軍に島を追われ、10歳で樺太(サハリン)の強制収容所に家族ともども送られた。

 「収容所の食事は、黒パンとニシンの塩漬けぐらいで粗末。多くの日本人が栄養失調になった。引き揚げ船の中では死んだ赤ん坊をおんぶしていた人もいた」と語る。

 村の自然は豊かだった。夏には丘の上に黄色のエゾカンゾウの花が咲き乱れ、秋になるとサケが産卵のため遡上(そじょう)して川が真っ黒に染まる様子を今もはっきり覚えている。ただ、鈴木さんの話を聞いたロシア人は「元島民はかわいそうだけど、領土は返したくない」と口をそろえるという。

 北方四島交流センターの玄関には「挑・返還」とのスローガンが掲げられている。鈴木さんは「島ごと“拉致”されているのに今の日本人はのんきだ」と嘆くことしきりだ。

                   ◇

 【北方領土関連年表】

              (肩書は当時)

 安政

 元年12月 日露和親条約(通好条約)締結。択捉島とウルップ島の間を国境と

(1855年 し、樺太は両国民混住地

   2月) 

 明治

 8年 5月 樺太千島交換条約締結。千島列島が日本領、樺太がロシア領に

(1875年)

 明治

 38年9月 日露戦争講和のポーツマス条約で南樺太が日本領に

(1905年)

 【昭和】

 16年4月 日ソ中立条約締結

 20年2月 ヤルタ会談で米英が千島列島をソ連に引き渡すと密約(米政府は31年、法的効果を否定)

    7月 ポツダム宣言。日本の主権を本州、北海道、九州、四国と「われらの決定する諸小島」に限定

  8月9日 ソ連が日ソ中立条約を侵犯して対日参戦、南樺太へも侵攻(11~29日)

   14日 日本、ポツダム宣言を受諾

   18日 ソ連軍、千島列島北端の占守島へ攻撃開始

 9月 5日 ソ連軍、千島列島、北方領土の占領完了

   12月 安藤石典根室町長が会長の「北海道付属島嶼復帰懇請委員会」が返還運動を開始

 21年2月 ソ連、北方領土を含む「千島列島」と南樺太を「自国領」に編入

    4月 ソ連、日本漁船を北方領土海域で拿捕

 22年 秋 島民が北方領土から順次、樺太など経由で強制退去させられる(24年までに)

 25年11月 千島及び歯舞諸島返還懇請同盟結成

 26年 9月 サンフランシスコ平和条約調印。日本は南樺太、千島列島の領有権を放棄。日本政府代表は北方領土を「日本固有の領土」と演説

 27年 4月 日本、独立回復

 31年10月 鳩山一郎首相が訪ソし、国交回復で合意。共同宣言で平和条約締結後の歯舞、色丹返還を明記

    12月 日本、国際連合に加盟

 35年 1月 日米安保条約改定を受けグロムイコ外相が対日覚書。2島返還の白紙化表明

 39年 9月 北方領土墓参実現

 44年 8月 歯舞諸島沖で日本漁船がソ連警備艇に衝突され沈没。漁船員11人死亡

 48年10月 田中角栄首相とブレジネフ書記長が会談。「戦後の未解決の諸問題」に領土問題含むと確認

 56年1月  北方領土の日(2月7日)の制定を閣議了解

 【平成】

 3年4月   日ソ共同声明で、北方領土が平和条約で解決されるべき領土問題の対象と確認

   12月 ソ連崩壊。ロシア連邦発足

 4年4月 渡辺美智雄外相、日本の主権を認めれば国後、択捉両島の施政権を一定期間認める「2段階返還」表明。北方四島ビザなし交流開始

 5年10月 細川護煕首相とエリツィン露大統領が東京宣言。領土問題は択捉など4島の帰属問題と明記

 9年11月 橋本龍太郎首相、エリツィン大統領がクラスノヤルスクで会談。「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意

 10年4月 橋本首相、エリツィン大統領との川奈会談でウルップ島と択捉島の間に国境線を引くよう提案

 11年9月 元島民らのビザなし自由訪問開始

 18年8月 日本漁船が歯舞海域で露国境警備隊に銃撃され、乗組員の盛田光広さん死亡



■【詳説・戦後】第4回 北方領土(3-3)観測気球?面積等分論


 日ソ国交回復から50年の昨年、麻生太郎外相ら日本の要人が、北方領土問題について、択捉・国後・歯舞・色丹の4島全体の面積を日露両国で2等分する解決案に言及した。政府は従来の方針に変更はないと強調しているが、「外務省の観測気球ではないか」(自民党筋)との憶測を呼んでいる。
 麻生氏は昨年12月13日の衆院外務委員会で、民主党の前原誠司氏の質問に対して「2島だ3島だ4島だという話になると、こっちは勝ってこっちは負けたという話になり、なかなか合意が得られない」「択捉島の25%を残りの3島にくっつけると50、50の比率になる」と答弁した。

 政府は、同月24日の臨時閣議で決定した答弁書で「4島の面積についての質問に答えたもので、北方領土問題に関する従来の方針を変更するものではない」と回答、4島の主権は日本にあるとの主張に変更はないと強調した。

 閣議決定の答弁書の意味合いは重いが、麻生氏の答弁には「単なる面積の説明だったとはいえないのでは。北方領土問題は旧ソ連・ロシアに全面的に非がある。これではロシアにつけ込まれかねない」(日露関係筋)と不安の声が出ている。また、日ソ共同宣言の全権の一人、河野一郎農相の孫の河野太郎衆院議員(自民党)も昨年10月、モスクワでの日露フォーラムで面積等分論を唱えているが、ロシア側は拒否反応を示している。
by sakura4987 | 2007-01-10 13:15


 日本が核保有となれば、12隻のSLBM搭載型原子力潜水艦が必要。

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 知る人ゾ知る、日本の防衛論壇で、きわめて精巧な国防論を展開する人に高井三郎氏がいる。

 保守論壇では核武装華やかなりし昨今だが、保守論壇の一部にはびこる「明日にでもできる日本の核」論議ほどシロウトの視野狭窄に陥っていて、むしろ危険がある、という。

 まず敵が発射する核ミサイルは数分で日本に届くため、現行防衛体制では防御不能であることは火を見るより明らか。
トマホークもそれほど有効ではなく、技術および予算、戦術面から考慮しても、日本の核武装は、容易ならざる作業であるという。

 巡航ミサイルの整備や核実験を経ての実戦配備には、日清戦争のときにロシアの脅威にそなえるために全官吏が月給の一割を返上して、新型艦艇を建造したような決意と気概が必要である。
いま、政治家、官僚をみていて、そんな気概があるのか。

 米ソ冷戦時代をへて核抑止力理論は性格が変貌し、地下深いサイロに収納されるようになった。
同時に核基地を守るためである。
核基地そのものが防御基地化、その地下深度は100メートル以上、平均250メートル。なかには500メートル地下に核ミサイルを収納した基地を含め世界に一万箇所の核兵器サイロがある。


▼敵の核戦力を破壊できる方法とは?

 これを破壊するには通常TNT火薬は役に立たず、核爆発しかない。
中国、露西亜の近年のミサイル開発は、米国の地下サイロ攻撃を限定的に想定して、むしろ政治目的の演出におかれているようでもある、と高井氏は指摘する。

米国はB52戦略爆撃機から9000キロトン級の四噸爆弾ならびにB53を開発した。
97年にはF16搭載可能雄な新型爆弾を完成したが、50発しか配備されていない。
したがってブッシュ政権は「イラン、北朝鮮、中国を念頭におく」新型爆弾開発予算を議会に要求した。

イスラエルは非核炸裂特殊鋼製の弾殻を開発しており、厚さ70メートルの鉄筋コンクリート掩蓋の破壊を目指している(つまり、これが完成しない限りイラン奇襲空爆は有効ではない)。

もっかのところ「爆撃機からの核爆弾投下が地下施設を破壊できる唯一の手段」。だが、しかし米国とて、「備蓄弾数の制約上、攻撃可能な目標は50にとどまる」という。


▼日本が開発する可能性を検討する前に

日本に既に標準をあわせた中国の核戦力は、瀋陽軍区に配備のMRBM東風3(射程、2790キロ、液体燃料ロケット)が18発。
くわえて東風21(固体燃料ロケット、射程1770キロ)が9発。
合計27発。これらは洞窟を深く掘った地下基地に秘匿されており、北朝鮮もそれにならって陣地の構築がなされていると想定される。米国の偵察衛星も、正確な場所を把握しているのか、どうか。

これらを日本が、もし核武装して、破壊するに必要な最低限度の核兵器は対中国向けだけでも38発が必要。
すべてが命中してという話である。
北朝鮮が分散配備してトンネルなどに隠している現実を加味すると、これらを含めるとすれば合計146発が必要になる!

さてさて日本が核武装して、これらを秘匿して配備できる場所はあるのか。
楽天主義な核武装を説く人達は、このことを軽視して議論をすすめているが、なにしろ原発建設だけでも、旧社会党やら共産党が組織して、あれだけの反対がある日本で、しかも国家機密が殆どないに等しい日本で、核兵器をたとえ開発しても保管場所は、おそらく海上しか考えられない。

だとすれば原子力潜水艦搭載型のSLBMが最も有効なのである。
射程2000キロから3000キロの新型SLBMを16発ずつ搭載できる原潜は排水一万噸、これが最低十隻が必要。
このためには膨大な人員、経費ならびに長期に亘る研究開発が必要である。

 象徴的に二つ、三つの核弾頭をもったところで、中国の巨大な核戦力を前になんの意味もない。
巷に拡がる核論議は、熱意はともかく、プロから言えば危険だと高井氏は鋭く警告しているのである。
by sakura4987 | 2007-01-10 12:31



■ 男女平等推進条例(素案)のパブリック・コメント(意見提出手続き)を実施します

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/ptl_osirase/25jin/soanpc/index.html


【応募方法】「ご意見」に住所・氏名・電話番号を明記し、

〒185―0034光町1―46―8ひかりプラザ内男女平等人権課へ、

直接または郵送・ファクス(FAX.042・573・4388)

Eメール(jinken@city.kokubunji.tokyo.jp)で


<市長への意見>

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/iken/simail.htm

○「市長へのファクス」 (042)324-0906

<議会>
gikai@city.kokubunji.tokyo.jp

 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


※フェミニズムとの繋がりだったわけで、

 ここにもいたのかって感じでしょうか。

 とにかく、アメリカみたいにしたいのか、

 徹底的に破壊して社会主義国家にしたいのか。



<メールの転送-抜粋>

 フェミニスト問題に詳しい林道義先生のHPに、12月30日付寸評「フェミニストと資本家のいびつな連帯」が載っていましたが、案の定「ホワイトカラーエグゼンプション」(以下WCE)の裏にはフェミニストがいるとつくづく思いました。

 というのはそこに登場する八代尚宏氏はそのWCEの積極的推進者だからです。

■そのHP

http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/sunpyo.html

■八代尚宏氏

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BB%A3%E5%B0%9A%E5%AE%8F

http://ja.wikipedia.org/wiki/八代尚宏

■WCE

(アドレスが中折れしていると思いますので、
    つなぎ合わせてからコピペして下さい。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%
E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%
82%A8%E3%82%B0%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%
B7%E3%83%A7%E3%83%B3


<参考>

 2006年6月に発行された日米投資イニシアチブ報告書[1]には、アメリカ政府が世界的に進めるグローバル資本主義導入の一環として日本国政府に対し「労働者の能力育成の観点から、管理、経営業務に就く従業員に関し、労働基準法による現在の労働時間制度の代わりに、ホワイトカラーエグゼンプション制度を導入するよう要請した」と記載されており、アメリカからの要請という側面も持つ。

 アメリカ政府は日本における外資企業(自国企業)の収益性・効率性を上げるために、日本の親米保守派に圧力をかけたと考えられる。
by sakura4987 | 2007-01-10 12:30


http://www.asahi.com/national/update/0107/OSK200701070036.html

 日中戦争で捕虜になった中国人兵士らを旧満州国(中国東北部)に連行し、建設現場で「特種工人」として働かせるため、旧日本軍が1943年に作成した極秘の取扱規定が見つかった。

 中国・吉林省の公文書館にあたる档案(とうあん)館に残されていた関東憲兵隊の内部文書を、愛知県立大学の倉橋正直教授(中国近現代史)らが入手した。

 賃金を各部隊が一括保管して本人に支払わないことを明文化するなど、不明な点が多い中国大陸での中国人強制労働の実態解明につながる内容になっている。


 43年5月16日に起きた暴動で、作業員らが待遇改善を求めて詰めかけた清水組の現場詰め所(牡丹江憲兵隊が同年7月21日に作成した報告書に添付された写真)

 中国北部の日本軍から捕虜を受け入れて道路工事に使役することを命じた梅津美治郎・関東軍総司令官の命令書。「昭和18年(1943)6月23日17時」の発令とある

 今回発見された「関東軍特種工人取扱規程」の一部。中国人捕虜を使役した場合の賃金を本人には手渡さないことなどを明記している


 文書は旧満州に展開していた関東軍総司令部が43年7月に作成した「関東軍特種工人取扱規程」。通則、輸送、使役、管理、監視及警戒、経理、報告の7章32項目と二つの付則からなり、表紙には「極秘」の印が押されている。

 冒頭の第1項では、中国北部戦線で捕虜にした国民党軍や共産党軍の兵士、匪賊(ひぞく)と称していた反日武装勢力を「特種(特殊)工人」と定義。軍の管理下にある飛行場や鉄道などの建設現場で使役する場合の必要事項を定めている。

 処遇については、特種工人の配属を受けた部隊長がその使役や管理を直接担当する▽輸送の際は将校を輸送指揮官とする――など、管理・使役に関東軍の各部隊が直接かかわる仕組みになっている。

 賃金については、「特種工人に支給せず、部隊が一括保管し、日用品などの購入に充てる。なお余剰がある時は本人の帰還や解放時に交付する」と定めている。

 しかし、死亡した際に残されていた遺留金は埋葬費に充て、残額があれば遺族に送る▽送金不能ならば残りの特種工人の福利施設に充ててよい▽逃亡した場合は捜索費に充て、残った額は他の特種工人の警護施設に充当する――などの規定があり、賃金を直接手渡さずに捕虜を働かせることができる仕組みになっている。

 日本が1911年に批准した「ハーグ陸戦条約」は、捕虜を使役した場合は自国の陸軍軍人と同じ基準で賃金を支払うことなどを義務付けるとともに、捕虜の賃金から必要経費は控除できるとしている。

 関東軍の取扱規程は、「特種工人」が諸外国から国際法上の捕虜と認定された場合でも、同条約を順守していると主張できる形を取りつつ、現場で強制労働を可能にする狙いがあったと見られる。

 旧満州国での捕虜の強制連行・強制労働をめぐっては、当時の統計資料をもとに、1941年5、6月から43年6月末までの2年間に民間企業と軍を合わせて約10万人が動員されたと推計する中国側の研究がある。

 敗戦時に関係資料の多くが散逸したり処分されたりしたため、全体像は不明となっている。

 一方、日本国内への中国人の強制連行については、外務省が敗戦直後の46年3月にまとめた「華人労務者就労事情調査報告書」で、43年4月~45年5月に3万8935人が連行され、帰国までの死亡者数を6830人としている。

 〈旧日本軍の強制連行や捕虜政策に詳しい内海愛子・恵泉女学園大教授(戦後補償論)の話〉 日中戦争での中国人捕虜の扱いについての全体像が明らかになっていないなか、強制連行も軍が直接管理し、賃金の扱いまで示していたことを明らかにする画期的な資料だ。

 表向きは「国際条約を守っている」という主張も可能な表現をとりながら、文面通りにすれば現場で賃金を不払いにできるのが特徴で、実に巧妙なやり方だ。このような規定が、上層部は責任追及を逃れながら末端の担当者が捕虜虐待に問われ、多数のBC級戦犯を生む素地になったとも言える。
by sakura4987 | 2007-01-10 12:29


 母子加算(18歳以下の子を持つ一人親に支給する生活保護の一種)を、2008年までに段階的に廃止するという。受給者は約9万6200世帯。支給の最高月額は「2万3260円」である。

 母子加算を受けて子育てしている世帯の、平均の保護費は月に約14万円。自活しながら一人で子育てしている、つまり非保護世帯の平均支出は12万円程度で、その不公正の解消、などというのが名目のようである。

 ザル勘定をよくやる行政であるのに、こういうことになるとやたらと厳密である。07年度はこれらさまざまな政策で、生活保護費を「420億円」圧縮するという。

 一方、赤坂の一等地には豪華な議員宿舎が新たに完成し、家賃相場が50万円近い3LDKを、国会議員の方々は9万ちょっとで借りられるらしい。

 それ以外でも、全体的に公務員宿舎というのは大変格安で、公務員の方々に対するさまざまな手当ては本当に手厚い。公務員が色々と優遇されるのは別にいいと思う。それに見合った仕事をすればいいのである。

 だけど、自分たちがさまざまに優遇されている現状で、国民のセーフティーネットである生活保護費を削減する、という行動にでるのはどうかと思う。

 相当に裕福な人の2万円と、そうでない人の2万円は、その相対価値が全然違う。それがなくなる痛みも、全然違うのである。

 日本の公務員の総数は約400万人。1人当たりの手当を、月額で1000円分削減(手当が多い人は3000円、少ない人は300円などにして平均1000円)すると、その生活保護費圧縮分の420億円が賄える。財政赤字改善には、他にやるべきことが多くあるはずだ。
by sakura4987 | 2007-01-10 12:27


 (産経 07/1/9)

 ■東京裁判の不当さなぜ認めない


 ≪■チャーチルの偉業≫

 チャーチルについては少しばかり複雑な感情をもっている。何しろ日本を望まざる大戦に追い込んだ張本人の1人である。憎しみの感情を抱かざるをえない。

 と同時に、一個人として見る時、20世紀第一級の人物の1人として尊敬せざるを得ないからである。

 この人の言行や伝説から教えられることは実に多いが、特別に私に感銘を与えたのは、彼が自分の先祖のモールバラ公の汚名をそそぐために、約5年の歳月をかけて、各巻600ページの大冊4巻の歴史的伝記を書いたことである。

 モールバラ公は17~18世紀の天才的軍人でブレニムの戦いで大勝し、ルイ14世の野望を挫(くじ)くのに力があった。しかしフランスに逃亡していたジェイムズ2世と連絡し、祖国イギリスを裏切る行為があったとされていた。

 マコーレーの『英国史』の中で、モールバラはコテンパンに批判されていた。何しろマコーレーは蓋世(がいせい)の大歴史家であり、その『英国史』はイギリスの読書階級の必読の書とも考えられていたから、チャーチルは自分の先祖を恥じながら成長したわけである。

 ところがチャーチルは還暦を迎える少し前に、父の友人であったローズベリー伯爵(首相でもあり読書人でもあった)から、モールバラ公の裏切り説を否定する文献がフランスにあることを示唆された。

 チャーチルは躍り上がって喜び、若き俊秀モーリス・アシュレーらを助手とし、リンデマン教授らの助けを得て、自国とフランスの文献やヨーロッパの戦跡を徹底的に調べ上げ、見事に先祖の恥をそそぐことに成功したのであった。

 4巻二千数百ページに及ぶ大著はその結果である。1953年(昭和28年)に政治家として最初のノーベル文学賞を与えられたのには、この著述が大きな役割を果たしたといわれた。


 ≪■自衛のための戦争≫

 さてひるがえってみると、日本国民も長い間、侵略国として東京裁判により断罪されたために、肩身の狭い思いをしてきた。

 しかしその東京裁判なるものは、国際法には一切関係なく、マッカーサー司令部の決めた条例(憲章)にもとづき、ポツダム宣言の条件を無視して行われた占領行政であった。

 しかも東京裁判の法源ともいうべきマッカーサー元帥自身がアメリカ上院の軍事外交合同委員会という公式の場で「従って日本が戦争に突入した目的は主として自衛(セキュリティー)のために余儀なくされたのであった」と証言している。

 これはチャーチルが「カーマレー湾書簡」が偽書であることを発見して、先祖モールバラ公300年の恥をそそいだのにも似た証拠で、戦後60年の日本の恥をそそぐに十分な証拠であると考えられる。


 ≪■「裁判」と「判決」の間≫

 ところが、このマッカーサー証言が報告されても喜ばない日本人、また無視し続ける日本人有識者が多いのはどうしたことだろう。チャーチルが先祖を愛したほどの愛を、自分の国の歴史に持たないのであろうか。

 それどころか「日本はサンフランシスコ条約で東京裁判を受諾して国際社会に復帰したのだから、その第11条を守る義務がある」という詭弁(きべん)を弄(ろう)する大新聞や学者や政治家がうようよいるのはどうしたことか。

 例の第11条には「東京裁判の諸判決を受諾し実行する」とあるが、日本はその諸判決は忠実に実行して片づけている。しかし日本は「裁判」などに納得したとは言っていないのだ。

 「判決」には敗戦国だから従わざるをえなかっただけである。「裁判」と「判決」を混同するのは敗戦利得者たちの悪質な詐術である。

 有り難いことに最近戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏は「裁判」とその「判決」の違いを誰にもわかるように示してくれた。

 戸塚氏はスクールの生徒を死なせたということで傷害致死罪という告発を受け、それにもとづく裁判の判決を受けて服役した。刑務所に入る時、戸塚氏は「懲役判決を受けたので国民の義務を果たして参ります」と言った。

 刑務所の中で彼は規則をよく守る模範囚だった。当然、刑期を短縮して仮釈放されるはずであった。しかし戸塚氏は仮釈放されることをことわった。というのは仮釈放されるためには罪を認めて「悪うございました」と言わなければならない。

 戸塚氏は業務上の過失致死でならいくらでも謝ることができたが、傷害致死や監禁致死という裁判を認めることはできなかったのだ。

 東条英機被告たちも東京裁判を否定し、あれは自衛戦であったと言いながら(後のマッカーサーの意見と同じ)、判決には服したのである。
by sakura4987 | 2007-01-10 11:41


 (産経 07/1/10)

 サモア、バヌアツ共和国、トンガ王国。中国が国交を結んでいる南太平洋の島嶼(とうしょ)諸国の一部だ。ここの住民は2年前から中国のテレビを生で見られる。

 中国内外のニュースからドラマ、歌番組まで、中国中央テレビ局(CCTV)の英語国際放送を衛星で受け、地上波で24時間放送しているのだ。

 「現地のテレビ局の建物から最新機材まですべて中国の提供ですよ。北京に放送局の技術者らを半年ほど、長い人は5年も招いて研修もさせています」

 事情に精通した太平洋学会の中島洋専務理事が明かした。

 中国の温家宝首相は昨年4月、軍事クーデターが起きる前のフィジー諸国共和国を訪問、「中国・太平洋島嶼諸国経済発展協力フォーラム」に参集した外交関係のある8島嶼諸国に対して総額30億元(約430億円)もの優遇貸付を約束した。

 この外遊には実に400人近い財界人を引き連れ、各島嶼国首脳との間でさまざまな商談も成立させた。この結果、今年はフィジーでも中国の放送が始まる見通しだ。

 テレビだけではない。中国の航空会社は現在乗り入れているサイパンに加え、今年からフィジー、クック諸島、フランス領ポリネシアなどにも積極的に乗り入れる計画という。

 「昨年12月のクーデターでオーストラリアやニュージーランドはフィジーへの経済援助を停止したが、中国はこの分だけフィジーへの援助を増やすでしょう。クーデターを起こしたバイニマラマ将軍は北京に何回か招待されています」(中島氏)

                  ◇

 今夏、太平洋のオリンピックともいうべき第13回南太平洋競技大会がサモアの首都アピアで開かれる。

 主催国のメンツをかけて大量のメダル獲得を目指すサモアは選手の強化コーチ20人をなんと中国から招聘(しょうへい)した。

 サモアのスポーツは伝統的にオーストラリアやニュージーランドが育ててきたが、すでに国立競技場や最新式屋内プール、政府総合庁舎、中央銀行、大蔵省の建物もすべて中国の提供だ。

 同様にミクロネシア連邦の首都パリキールの大統領、副大統領、国会議長、司法長官の官邸も全部、中国からの寄贈だ。

 太平洋での中国のプレゼンス拡大の狙いは何か-。

 1951年4月、日本から帰米した直後のマッカーサー元帥は上下院合同議会での「お別れ演説」で「太平洋は米国を保護する巨大な壕となった。事実、太平洋はいまや、米国全土を、さらには太平洋上のすべての自由主義地域を守るシールド(楯)となった」と述べた。

 「中国は将来、太平洋をめぐって米国と対等になるか、優位な地位を占めるには、マッカーサーが言ったこの『巨大な壕』を早く埋めておかないと怖いと不安を感じているのではないか。そのために原子力潜水艦を中核とした外洋海軍の建設を進めている」と中島氏は指摘する。

 元自衛官で日本政策研究センター研究員の濱口和久氏は「中国は原潜6隻を含め潜水艦を70隻持っている。最近、米空母キティホークを追尾した中国の潜水艦があったが、太平洋、沖縄、尖閣諸島周辺も含めて相当数の潜水艦が日本近海に潜っており、潜水艦技術はかなり先を行っている」と警告する。

                  ◇

 中国の太平洋への影響力浸透のもうひとつの重要な理由は台湾と外交関係を持つパラオ共和国、マーシャル諸島共和国、ナウル共和国、ソロモン諸島、ツバル、キリバス共和国の6島嶼諸国の取り込みだ。

 台湾はしかし、昨年4月の温家宝首相のフィジー訪問に対抗して9月にパラオで「台湾・太平洋友好国サミット」を開催、「民主主義と自由」の価値を訴えて一党独裁の中国との違いを強調した。

 台湾は、パラオにはすでに国立博物館、政府総合庁舎、裁判所、国会議事堂を供与している。

 日本は昨年5月、沖縄・名護市に14島嶼国を招いて「第4回日本・太平洋諸島フォーラム首脳会議」を開き、島嶼諸国に総額450億円の支援を約束した。

 これは前月の中国の30億元を意識した額だが、支援執行の専従責任者もおらず、太平洋での日本の存在感は薄い。

 中国は1960年代末から毎年のように現職閣僚が太平洋を訪問、80年代前半には胡耀邦総書記自らがフィジーやサモアに足を延ばしている。

 日本は昨年、当時の小池百合子環境相らがミクロネシア連邦などを訪れたが、これは現職閣僚としては実に19年ぶりのことだった。

 「漁業も海底ケーブルも資源もある太平洋が民主主義で安定した海であることは日本の安全保障に必須の条件だ。日本は太平洋に無関心過ぎる」。中島氏の警告と叱責(しっせき)の意味は重い。
by sakura4987 | 2007-01-10 11:40


テロ・ゲリラ侵攻に対処  防衛省

 テロやゲリラ侵攻などの有事への対処や防衛省昇格に伴う海外活動の本来任務化に対応するため、二○○八年三月に発足する陸上自衛隊の中央即応連隊(隊員約七百人、栃木県・宇都宮駐屯地)の全容が九日、明らかになった。

 都市部の市街地戦闘を想定し、主力となる普通科中隊(約百四十人)は三個隊編成して、それぞれに狙撃班を設けている。

 省昇格に伴い、国連平和維持活動(PKO)やイラク派遣など自衛隊の海外活動は、これまでの「付随的任務」から「本来任務」に格上げされた。

 海外派遣命令が出た際には、中央即応連隊は先遣隊となるため、防弾仕様に改良した軽装甲機動車など車両約百両を導入する。

 防衛省によると、中央即応連隊はゲリラ・特殊部隊が政治経済の中枢の首都圏や中部・関西の人口密集地域、重工業地帯の大都市に侵入したケースを想定。

 市街戦で住民を巻き込まずに敵を排除できるよう狙撃班を編成したほか、小銃小隊も各中隊に二個隊設け、戦闘隊形もゲリラ戦に対処できるようにするなど対人戦闘を重視している。

 また、情報収集や通信、後方支援に当たる連隊本部と本部管理中隊は合わせて約二百八十人規模で、指揮下には建物内に潜伏したゲリラを攻撃するための重迫撃砲小隊も編成した。防衛省は連隊長に一等陸佐を充てる方針だ。

 このほか、イラク派遣で経験した路上爆弾攻撃などを教訓に車両のタイヤやガラスの防弾性を向上させた「国際活動仕様車」を整備する。

 中央即応連隊は今年三月に発足する防衛相直轄の中央即応集団の指揮下に編成される。
by sakura4987 | 2007-01-10 11:40

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987