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2007年 10月 10日 ( 39 )



 (産経 07/10/10)


 ■「国益より言い訳の技術」


 2006年初夏、日米当局者による安保協議が米国で開かれ、北朝鮮の不穏な動きをめぐって対応を協議した。北朝鮮がミサイル連続発射に踏み切る少し前のことだ。



 万が一、北のミサイルが日本の領域内に落下したり、周辺海域の漁船などに被害が出たら、大変な事態になる。米政府、米軍はどう動くか。日本政府は真っ先に何をすべきか。さまざまな不測の事態に備えて、日米の緊急対応を入念に検討しておくことが協議の狙いだった。



 ところが、日本側は周辺事態法の適用について「あれはできない」「ここまでが限界」といった法律の解釈論を長々と始めた。すると、米側の一人があきれたような顔で言い放った。



 「いったん有事になれば、国民の被害を最小限にし、敵の損失を最大にして一刻も早く紛争を終わらせることが至高の目的のはずだ。それが国益というものでしょう」



 だが、日本側からは答えがなかった、と出席者の一人が証言する。「日本の当局者は国会で追及されないように、言い訳を重ねる技術にしか目がいかない。国民の安全や国益を政府として、どうとらえているかを深刻に考えさせられるやりとりだった」という。



 国益が定まらなければ国家戦略も決まらない。何が国家の利益になるのかを国会や国民に説明することもできないのではないか。官僚だけではない。



 ここ10年間、日本の政治は官主導から政治主導への転換が叫ばれてきた。



 国民の安全を守る、国土保全を図る、エネルギーを確保する、環境を浄化する-といった漠然とした「国益」なら、政治家の誰もが口にする。にもかかわらず、それらを総合して優先度を示し、いかに整合性を持たせるかの政策的展開が官僚も政治家もスッポリと抜け落ちているのだ。



 自衛隊のイラク派遣やテロ対策特別措置法の問題でもそうした一面があった、と外務省幹部が振り返る。



 当時の小泉純一郎首相は「日米同盟と国際協力の両立だ」と述べたが、イラクに出ていくことが具体的に日本のどんな国益になるのかを十分に説明できたとは言い切れない。



 テロ特措法にしても、(1)中東・湾岸の安定が日本の安全と平和に不可欠(2)石油などエネルギー安保(3)日米協力の具体化-などに日本の国益があるのは当時も明白だった。「だが、政治指導者がそれを明示して論理的に説得する努力が欠けていた」とその幹部は言う。



 「国益を誰がどう決めるのかが、戦後日本ではずっとあいまいにされてきた。土台となる国益をきちんと定義し、その上に政策や戦略を築いていかなければ21世紀の国家戦略も描けない」と、森本敏・拓殖大学大学院教授(65)も指摘する。



 その証拠に、日本には「国家戦略」にあたる文書がない。「国防の基本方針」とかエネルギー、環境戦略といったものはある。だが、より高次の観点から外交、軍事、エネルギー、環境など個別政策を定める指針ともなる国家戦略文書が、政府や国会の了解の下にまとめられたことはない。



 「国益を明示した国家の総合戦略がないだけでなく、たとえ戦略ができても、それを実現する制度もない。日本が国家の心棒を欠いているのはまさにそこだ」と森本氏は言う。



 ■国家戦略の優先順位付けを


 米国には「アメリカの国益に関する委員会」という風変わりな超党派組織がある。設立されたのは1995年だ。



 冷戦終結直後、米国民は外交への関心を急速に失い、政治指導者も内政や目先の経済利益に目を奪われがちだった。



 世界では旧ユーゴなどの地域紛争、大量破壊兵器拡散とテロ、中国の台頭など新たな脅威や課題が浮上し、米外交に場当たり的な対応が目立つようになった時期だ。



 こうした情勢に、「半世紀間の冷戦戦略に代わる目標を定めなければ、新たな平和秩序を築く機会が失われる。米外交を漂流させてはならない」と危機感を抱いたハーバード大学のグレアム・アリソン教授らが提案し、民主、共和党議員や国家安全保障専門家など十数人を集めて発足した。



 主なメンバーには、クルーグマン・スタンフォード大学教授、ナン民主党上院議員、スコウクロフト元大統領国家安全保障担当補佐官、ライス現国務長官、アーミテージ前国務副長官らの名前も見える。



 彼らが1996年と2000年に公表した報告書は、米国がめざすべき国益を(1)死活的国益(2)きわめて重要な国益(3)重要な国益(4)二義的な国益-の4レベルに分類し、明確な優先順位を示している点が特徴だ。



 「死活的国益」には大量破壊兵器の脅威、主要地域での覇権国家の台頭防止、国際通商・経済制度の維持などを挙げ、これに次ぐレベルの国益には米国の技術優位の堅持などを示している。



 地域別の国益も、例えば東アジアでは「敵対的覇権国の台頭阻止」「日韓の自由と繁栄、対米同盟を維持」などを最優先する。中国を国際システムに組み込んだり、朝鮮半島や台湾海峡の紛争防止などをその次に位置づけている。



 もちろんすべてが公式政策となったわけではない。



 だが、委員会の提言は議会や政府、世論に活発な国益論議を喚起し、その後の米外交や国家戦略立案に多くの建設的な刺激を与えてきた。



 森本氏は、政治と国民が共有できる具体的な国益を描くために「日本でも米国のような組織を設けて論議をすべきだ」と提案している。



 日本版国家安全保障会議(NSC)創設を目指し、昨年末から今春にかけて開かれた「官邸機能強化会議」で、東シナ海のガス油田開発問題が論じられたことがある。



 中国は国家戦略として軍も動員してガス田開発を推進する。日本側は開発は民間、警備は海上保安庁、対中協議は外務省任せという実情だ。



 「トータルな外交、資源、経済、防衛の問題なのに、国家戦略がないために効果的な対応が決められない」。安倍晋三首相(当時)もいる前で、こう指摘する声が相次いだという。



 集団的自衛権の行使論議、核保有論議、東シナ海のガス田開発などのエネルギー戦略、環境問題など、日本が直面している国家安全保障上の課題は数多い。個別の課題を活発に論議しても、いずれを最優先するかが決まらない。



 「国益とは何か」を具体的にわかりやすく定義づけてその実現に優先順位をつける。それを国民に提示して、理解を求める。そんな作業は官僚組織にはできない。政治指導者がやらなければならないことだ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:59


 (産経 07/10/08)


 もう声をはっきりと上げた方がよい。「王様は裸だ」と。6カ国協議のことである。



 北朝鮮を引き留めようと、みな「一歩前進」などと各国各様に辻褄(つじつま)合わせに懸命だが、例えば無能力化は一時停止も同然になってしまった。重油が欲しくなったら、停止を停止するのだろう。万事こんな調子では、6カ国協議は北朝鮮支援機構と改名が必要だ。



 続く南北首脳会談も、隣国の国家元首に非礼を承知で言えば、まさに裸の王様2人が握手するの図にしか見えなかった。



 7年前と違って韓国の世論がクールなのがせめてもの救いだ。造花の花飾りを打ち振り歓喜する北の人々には、大変ですね、ご苦労さまと言うほかない。6カ国協議も首脳会談も北の人々の幸せと無縁であるのは自明のことだ。



 核・ミサイル放棄と拉致問題の解決を求める日本の立ち位置はいよいよ難しい。しかし、だからこそ朝鮮半島の地理と歴史に足をすくわれた歴史の苦い教訓を、ここはいま一度思い起こしたい。



 朝鮮半島をめぐって日清戦争が、やがては日露戦争が起きた。いずれも幸い勝利はしたが、結局は中国大陸の泥沼にはまり込み破綻(はたん)した近現代史のことである。



 「後藤新平が満鉄などに行かないで、台湾にいて南進政策をやっていたら、満州に手を出さないで日本は海洋国家として違う日本になったと思う。大陸へ行ったがゆえに大変なことが起きた。日本は文化と海洋による国家を造らなくちゃいけないんだ…」



 先日、台北でお会いした李登輝前台湾総統の言葉が耳に残る。



 朝鮮半島と大陸とからの強い磁力をいかに賢明に振り切るか。たとえ迂遠(うえん)に思えても、日本は海洋国家に活路を見出(みいだ)す方途をもっともっと真剣に模索すべきだ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:59


 (北海道 07/10/5)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/53274.html


 道議会は定例会最終日の五日、「先住民族の権利に関する国連宣言」の採択を受けて、アイヌ民族の権利などについて検討する審議機関を設置するよう国に要望する意見書案を、全会一致で可決する見通しになった。与野党の関係筋が明らかにした。



 高橋はるみ知事も先に同様の考えを表明しており、アイヌ民族をめぐって、道と道議会が共同歩調をとるのは、一九八八年の「アイヌ新法」制定要請以来十九年ぶり。



 意見書案は、アイヌ文化振興法の施行(九七年)によって、文化、伝統への理解は進んだが、「アイヌの人たちの人権、教育、生活などについて、多くの課題が残されている」と指摘。国連宣言の採択を機に「宣言におけるアイヌ民族の位置づけや(宣言に)盛り込まれた権利を審議する機関の設置」を求めている。



 アイヌ民族の先住民族としての認知に関しても、知事と同じく、この審議機関での議論を想定している。



 国連宣言には、政治的自決権、特別議席、土地権といった、実現には時間がかかる権利のほかに、宗教的、文化的な場所を維持・保護する権利や遺骨の返還を求める権利など、現行制度でも認められるものも多い。



 道ウタリ協会は今後、どの権利を優先的に求め、それらを行使して、どんな活動を行っていくかについて、内部で協議する考えだ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:58



人権重視から選別へ


 フランス国民議会(下院)は九月二十日、同国に在住する移民が、家族呼び寄せに際して、血縁関係を証明するDNA鑑定を導入することなどを規定した法案を可決、上院に送った。人権への配慮の欠如などの批判が起きる中、サルコジ新政権は、同国に流入する移民の選別やフランスの価値観教育などの同化政策や新たな移民政策を打ち出している。



≪■国家の価値教育を強化≫


 移民改正法は、ブリス・オルトフー仏移民・国家アイデンティティー相が提出した原案に、幾つかの修正が加えられた。理由は野党が反対しただけでなく、クシュネル仏外相はじめ、政府与党内にも慎重論が存在したからだった。



 下院の争点となったのは、フランス国内に仕事を得て定着した移民が、出身国から家族を呼び寄せる際、DNA鑑定で血縁関係を証明できる制度についてだった。原案ではビザ申請者にDNA鑑定が義務付けられ、その諸費用も本人負担とされていたが、鑑定は本人の希望で、血縁関係が証明された場合、費用をフランス政府が負担するように修正された。



 今回の移民法改正案の背景には、出生届や戸籍管理が整備されていないアフリカ諸国で血縁関係を証明することが困難な現状が存在することや、セネガルなどアフリカの数カ国で家族呼び寄せのビザ申請の三-八割が虚偽の申請で血縁関係にない者が家族として流入している現状があることなどが挙げられている。



 この法案には、DNA鑑定のほかに、フランス語の習得義務や「共和国の価値観」への理解を求めることが盛り込まれた。この背景には、イスラム教徒移民が、フランス社会とは距離を置いた生活を続け、同化を困難にしている問題がある。政教分離を共和国の価値として掲げるフランス政府は、移民にもその考えの受け入れを迫っている。



 フランスは他の欧州連合(EU)の大国同様、これまで多くの移民を域外から受け入れてきた。だが、フランスは他のEU諸国とは異なった特殊事情を抱えている。それは職を求めてフランスに移住した人々は、移民全体の5%にすぎず、全体の77%が、本国から呼び寄せられた家族という現状があることだ。



 その呼び寄せられた家族も、出身国で一夫多妻制であったり、子供が十人以上いたりするケースも珍しくなく、社会保障財源を圧迫している現状がある。そのため、サルコジ大統領が内相時代の数年前から、移民受け入れ規制強化を進めており、今回は同大統領の公約の一つにも挙げられていた。



 政府は、人権問題への配慮の欠如に対する批判に対して、血縁関係を証明できないために審査期間が長引き、移民申請当事者が長期に待機させられる現状も多いため、審査を迅速に行える利点があると説明している。また、血縁関係を確認できなかったために、家族の一部を呼び寄せられず、離散状態にある家族を救うことにもつながるとしている。



 DNA鑑定自体は、他のEU諸国十一カ国で、同様な鑑定が実施されており、一般化していることも政府は強調している。結局、二〇一〇年十二月までの二年間を実施試験期間とし、その後再審議するよう修正が加えられ、改正案は上院に送られた。



 移民問題には、受け入れ政策、受け入れ後の同化政策、不法移民の処理問題が大きな柱になっている。受け入れ政策では最近、EU欧州委員会のフラティニ副委員長(司法・自由・治安担当)が、移民を対象とするEU域内共通の労働許可証「通称、欧州ブルーカード」の導入を加盟各国に提案する方針を表明した。



 これは米国の永住許可証であるグリーンカードに習ったもので、加盟各国で独自に基準を設けている移民の選別方法のほかに、熟練した高度な専門知識を持つ労働者に限りEUとして選別基準を共通化する試みと説明している。同案の背景として世界の移民のうち専門性の高い熟練労働者の55%が米国に移動し、EUには5%しか来ていない現状を挙げている。



 EUは現在、二十七カ国に拡大し、総人口では米国を超え、五億人に近づく勢いだが、経済成長の視点から、多くの専門家は移民のさらなる受け入れの必要性を指摘している。事実、アイルランドやスペインなど移民労働者を積極的に受け入れている国の経済発展は目覚ましい。



 その一方で、質の高い労働力確保が課題で、ブルーカード案もそこから出ている。フランスではサルコジ大統領が内相時代、同問題で、専門性の高い熟練労働者を優先的に受け入れ、単純労働者の受け入れのハードルを高くする政策に転換している。留学生も成績優秀者を優先する方向にある。



 一方、フランスにとって、移民問題の長年の課題は同化政策で、特に北アフリカ・マグレブ諸国出身のアラブ系移民が、フランス社会に同化しない問題だ。一昨年の移民の若者による大規模な暴動も同化政策がうまくいっていないことから起きた問題だ。多文化共生主義を採用していないフランスでは、出身国の慣習や価値観、宗教よりは共和国の価値観を優先しているが、信教の自由との関係などで難しい側面もある。



 一方、不法移民に関しては、サルコジ大統領が内相時代に年内に二万五千人の不法滞在者を国外追放するよう要請していたにもかかわらず、今年は九月までに一万一千人しか目標を達成できていないことが報告された。このため、年内の目標達成が困難になっており、政府は関係警察署長に対して、努力を促した。



 移民問題は、人道問題や経済効果にとどまらず、テロの問題とも深く関係している。アルジェリアでは九月、フランス国籍を持つアルジェリア系男性が自爆テロに失敗する事件が起きた。フランスの国家警察のペシュナール長官は九月末、フランスでは「テロの脅威が高まっている」との認識を示している。



 サルコジ政権は、移民の受け入れのハードルを上げる一方、移民のフランスへの同化政策を強化し、国内で移民がフランス人化することを促進する構えだ。かつて政治不安定な地域からの政治移民、貧しい国からの経済難民を積極的に受け入れていた時代とは、大きく様変わりしようとしている。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:58



 アダム・スミスは、学生の頃、グラスゴー大学で哲学者フランシス・アチソンの下で道徳哲学(=モラール・フィロソフィー)を学び、非常に優秀な成績でグラスゴー大学を出て、ケンブリッジ大学に留学しています。



 その後、帰国して、若くしてグラスゴー大学で論理学教授、次に道徳哲学の教授になっています。



 この、アダム・スミスが師事した哲学者フランシス・アチソンは、当時のイギリスで、リベラルな考え方を展開して哲学者の代表とされていました。



 「リベラル」という言葉は様々に使われているため、元の意味がよく分からなくなっていますので、整理します。



 「リベラル」の直接の淵源は、14世紀のダンテに遡ります。当時のヨーロッパ社会はキリスト教の教会の抑圧的な戒律で人間社会生活がコントロールされていました。それを、ダンテは教会と政治を批判し国を追われ、放浪しつつ神曲を構想したわけです。



 つまり、ダンテのリベラルは、「人間が人間らしく自由に生き、人間的な尊厳を守りながら胸を張って生きていけるような社会をつくるためにはどうしたらよいのか」という考え方でした。



 これが、14-16世紀のヨーロッパのルネッサンスとして花開いていきます。



 日本では、ルネッサンス=文芸復興と訳していますが、イマイチ、ピンときませんし、その意図がひと言でポンと伝わらないような気がしますね。



 つまりは、ルネッサンスは、「それぞれ各人が持てる能力を活かして人間らしく生きていくことを求めて展開された」動きでした。



リベラル=人間が人間らしく生きる自由、その自由に生きられる社会



 アダム・スミスは、人間を「幸福を追求する存在である」と定義しています。人間とは何ですか? と問われて、「幸福を追求する存在である」と答えているわけです。



 これが、「経済学」の大大大前提なのです。



 「幸福を追求する存在としての人びとが集合した姿、これが、社会です。」



 では、社会の中でどうしたら人間は幸福になれるのかを考えるわけです。この問いは、つまり、どのようにしてお互いの幸福を調整して生きていけるかということです。



そして、「人間は幸福を追求するときに2つの欲求を満たす存在である」と考えます。


 ・物的欲求


 ・精神的欲求



 「この2つを満たして、ホントウの幸福になる」と、いうのが、近代経済学の父、アダム・スミスの考察したことなのです。



 ですから、経済学では、最初から、「物的欲求」と「精神的欲求」を満たして、人間は幸福になると見ています。



 昨今のように、利益至上主義、数字のみが一人歩きする営業成績などなどは、極端な考え方であり、決して長く続けられるものではないのです。



 アダム・スミスは、モラール・フィロソフィーの教授ですから、こうした「物的欲求」と「精神的欲求」を満たしてこそ人間の幸福は得られることを分っていました。



 彼は、この2つの欲求のうち、まず、世の中に足りていない物的欲求をいかにして満たして豊かになっていくかについて、考察して理論化したわけです。



 つまり、東洋で言えば「衣食足りて礼節を知る」に近いですね。



 人間が、その人間的な感情を自由に表現できるような社会を求めるが、人間が人間らしく生きるためにはある程度経済的に豊かになっていなければならない。



そこで、経済という側面から、まずは、世の中を物的に豊かにしていく方法を考えたわけです。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:57


 (産経 07/10/2)

 http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20071002k0000m070174000c.html


 BSE(牛海綿状脳症)問題で01年10月に牛の全頭検査が始まって6年がたった。国が来年7月末で生後20カ月以下の牛については検査を一斉にやめるよう求めているのに対し、自治体からは検査の継続を望む声が強い。なぜ、こんなねじれが生じているのか。



 世界中で日本だけがいまも「検査すれば安全」という神話に取りつかれている。私は5年前にも、この欄で「全頭検査の意味と限界が正しく国民に伝わっていない」と訴えたが、いまの状況は当時と変わっていない。



 なぜ、検査が安全性を確保する手段にならないかを説明したい。図を見てほしい。4頭とも、BSEの原因となる異常プリオンたんぱくを体内にもつ感染牛だ。異なるのは異常プリオンの存在する部位だ。



 現在、食肉処理場で行っている検査法は、牛の脳みその一部(延髄)を取って、そこに異常プリオンが見つかるかを調べている。この検査法では、異常プリオンが脊髄(せきずい)や腸、舌扁桃(ぜつへんとう)にあったり、脳内蓄積量が少ない場合には、感染は発見できない。このため、全頭を検査しても、4頭のうち3頭(B~D)は市場に出荷されている。



 特に若い牛だと発見できる可能性がゼロに近いため、厚生労働省は2年前「20カ月以下の牛は検査対象から外す」とした。しかし、自治体から全頭検査の継続要望が強く出され、結局、検査費用に補助金を出し、全頭検査が続いている。



 感染牛が計100万頭以上も発生した西欧諸国でさえ、全頭検査は実施していない。検査をしても感染牛の一部しか見つからないからだ。



 これに対し、日本では当時の農林水産相らが「全頭検査は世界一厳しい検査だ。これで安全」と説明したため、国民は「全頭検査で安全が確保される」と信じてしまった。



 では、何が安全性の対策かといえば、主に危険部位の除去と飼料規制だ。日本の食肉処理場でも危険部位を除去しているが、気がかりなのがピッシングと危険部位の舌扁桃だ。



 ピッシングは牛が暴れないよう頭部にワイヤ状の器具を差し込み、脳組織を破壊する作業だ。もし感染牛にワイヤを差し込むと異常プリオンが血液に流れ、肉を汚染する可能性があるため、欧米では絶対禁止となっているが、日本ではいまだに半分近い処理場が実施している。



 舌の奥にある扁桃は、欧米では切除法を決めて大幅に切除しているが、牛舌を食べる習慣のある日本では統一した切除法がなく、どこまできっちりと除去されているかは不明だ。危険部位の背骨とその神経組織も食肉処理場の外まで流通しているが、どこでどう廃棄されているかの実態報告はない。こういう肝心な点の議論がおろそかにされてきたのは、全頭検査への過信があったからだ。



 現在、国内では年間約125万頭の牛が検査され、うち20カ月以下の牛は約16万頭だ。検査費用の補助金として推定で年間約2億円を支出してきた厚労省もついに「もはや貴重な税金を効果のない対策に使うわけにはいかない」と補助打ち切りを決めた。



 ところが、自治体からは補助継続の大合唱だ。ある自治体が独自に全頭検査を続けた場合、検査済みと検査なしの牛肉が店に並び混乱が起きるといわれるが、検査で合格したからといって感染していないという証明にはならないわけだから、どちらを買っても同じだ。むしろ私にとっては、検査済みの肉は無駄な税金を使ったとの表示に映る。



 検査の有無よりもピッシングの有無、舌扁桃の切除法の表示こそが知りたいが、肝心なことは全く知らされない。



 ある自治体担当者は「全頭検査の無意味さは分かっているが、国民が全頭検査を信じ込んでいるのでどうしようもない。国がはっきりと全頭検査の限界を説明しないと事態は動かない」と話す。全く同感だ。



 01年の発生当初、私たち記者に厚労省の担当者は、「30カ月以上の検査で十分だ」と答えていたが、その後、政治的な論議の中で「国民の不安解消に全頭検査をする」という具合に変わった。当時はやむを得なかったにせよ、6年もたってまだ国民が信じているのは、政府の説明があいまいで不十分だからだ。



 国民が全頭検査を信じているなら、無駄な税金投入も安心料としてやむを得ないという見方もあるが、それではあまりにも悲しい。検査をすることでBSEの発生頻度を知りたいなら、西欧並みの30カ月以上で十分だ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:56


 (産経 07/10/1)


 ■3年で3倍超


 警視庁に寄せられる相談のうち、家族や近隣、職場など身近な対人関係に関する相談が昨年は9307件に上り、3年間で3倍超に急増していたことが、同庁生活安全総務課のまとめで分かった。全相談に占める割合も平成14年は7%だったが、18年には13%に。人間関係の希薄化や権利意識の高まりなどが背景にあるとみられ、同庁幹部は「“よろず相談”が増えるのは時代の流れで、きめ細かく対応したい」と話している。



 「車を買いたいので、兄に金を貸してくれるよう口添えしてほしい」



 今年3月、男性から池袋署にこんな電話がかかってきた。「貸してもらえないなら死ぬ」と男性。署は「弁護士に相談したり、2人でじっくり話し合ってみては」とアドバイスし、何とか納得してもらったという。



 昨年1年間に、警視庁本部の相談センターや各署に寄せられた相談は計7万1605件。16年の8万6495件をピークに2年連続で減少した。



 しかし、身近な対人関係についての相談は、15年の2820件から3年連続で増加した。特に16年から17年にかけては、3818件から7761件へと一気に倍増している。



 警視庁幹部は「人と人との付き合いが薄くなり、対話で折り合いがつけられなくなっている。自分の権利や考えだけを主張したり、行動に移すため、トラブルになりやすい」と分析する。



 ストーカー規制法が12年、ドメスティックバイオレンス(DV)防止法が13年に相次いで施行されたことも、相談受理件数を引き上げた一因のようだ。



 ある警察署幹部は「警察が身近な相談に気を使うようになった。事件に発展する可能性も視野に入れ、聴取内容を書類に残すよう徹底している」と指摘している。



 「隣家の木の枝が敷地にはみ出してきている」などといった直接、犯罪に結びつきそうもない相談でも、警察官が現場に赴いているという。



 松坂規生・生活安全総務課長は「『警察だ』と名乗って間に入っただけでは、解決できない難しい相談も増えることが予想される。裁判所や医療施設、自治体など他の機関との連携を強化し、解決に導けるようにしていきたい」と話している。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:56


 (07・9・28記)


 万が一武力紛争が起きそうな場合には、アメリカはどのような対応行動にでるのか、シナリオはいろいろあるようですが、基本的に米軍は空母機動部隊を展開し、中国軍の介入を阻止する作戦に出ると思われます。その時の先遣部隊となるのが沖縄の海兵隊、グアムの空軍爆撃部隊、横須賀の第7艦隊であり、これを指揮する極東地域統合司令部が、近々座間に移駐してくる第1軍団司令部となるのでしょう。この作戦体制をより機能的に構築し直すのが、今進めている米軍再編のひとつの狙いになっています。



 これに対して中国は、米軍の介入を阻止するため、つとめて戦力を東方海域に展開して、なるべく遠方海域で米軍空母機動部隊を釘付けにして、前述の「第1次列島防衛線」の安全確保をはかりたいと考えているようです。そのため、この10数年来、中距離弾道ミサイルの強化、外洋での作戦可能な海空戦力の強化を図ってきました。特に、96年の台湾総統選に絡む中国の軍事的威嚇に対して、米軍が台湾海域に空母を展開して中国軍の動きをけん制しましたが、それ以降、中国は従来にもまして軍事力の強化を図り、「第1列島防衛線」を保持できる「近海総合作戦能力」の整備に力を入れてきました。



 今後は、さらにその戦力を東方に推進し、やがて、小笠原諸島~マリアナ諸島を結ぶ線を「第2次列島防衛線」として位置づけ、それ以西の海域を大陸防衛のための安全圏として確保したいと考えていると思われ、空母の保有計画はそのためのものと見られています。
いずれにしても、九州~南西諸島~台湾は中国が自らの防衛線として意義づけており、わが国としても、南西諸島の安全保障に連動して台湾の地域的な安全を考えざるを得ない状況になっています。



 来年の北京オリンピックが終われば、やがて南西諸島正面から小笠原諸島正面での軍事的なつばぜり合いが活発になってくることが懸念されます。防衛力の増強や防衛体制の整備は一朝にしてできるものではありませんので、わが国も、台湾に対して観光と商売以外に安全保障の面にも関心を持って眺めておくことが大事になってきています。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:55



 最近、東京の外交団コミュニティでよく聞く話がある。



 ある国に赴任していた日本の大使が、離任するにあたり、先方の元首である国王に拝謁を求めた。先方は、日本の大使だからと気を利かして、では明日何時にと時間を調整したが、日本の大使は今日の明日というのは日本の大使を馬鹿にしていると、それを拒否した。



 先方は驚くとともに、大いに怒った。



 あーあ、何でGaimushouの人はこうなんだろうね、外交官になっていながら、相手の国とうまくやろうとか、相手に喜んでもらおうということを考えないなんて、ほんと変わっているよね、と東京でその話をする各国の外交官はあきれている。



 僕もその大使にお世話になっているし、日本と赴任国の関係に関して、とても立派な業績を残された。それなのに、広くそういう話が流布されてしまい、在京の外交団で話題になっちまうというのは、それも、いろんな国の公電でこの話が本国に打電されているというのは、あの外務省改革はどうなったんだ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:54



中央大学名誉教授・大淵 寛氏


子育てに対する考え方を前向きに


 ――去年は合計特殊出生率(出生率)が1・32と前年に比べて若干上がりましたが。



 今年は、今出ている統計を見る限り、せいぜい横滑りか若干下がってしまうでしょう。出生率の低下傾向は変わりません。



 最大の原因は、人々が結婚して家庭をつくるということ、さらに重要な要素である子供を生み育てるということへの希望や喜びの感情を失ってしまっていることだと思います。このため、特に子供をいじめるような事件や社会的な問題が起こりやすくなっています。



 昔は、子供を育てることが楽しいことであり、子供は希望の象徴であるというのは当たり前でした。それが、このごろは相当強くそれを言っていかなければならなくなっています。



 そういうものの本を読んだり、偉い人から話を聞いたりなどという経験を積まないと、世の中のために立つことだというプラスイメージを持てなくなったのではないでしょうか。



 子育ては、苦しいこともありますが、それ以上に喜びがあるものです。今の人も、子育てが楽しくないことではないと基本的には分かっているはずなのですが、世の中のさまざまな情報が、子供を育てる上での人々の心に否定的な影響を与えています。



 ――学校教育の中で子育てを教えるべきだという声も高まっています。



 そうですね。結婚するのも子供を産み育てることを目的とすべきなのに、いまそう思われていません。以前は、大人がある程度の年になれば、結婚相手を探して家庭を築き、ごく自然に子供を育てていきました。



 しかし、最近の結婚は、子供を持つことが必ずしも目的ではないように思えます。かつては、結婚するということは、直接、そういう言葉は使わなかったにせよ、性欲を満たすために当たり前であり、自然なことだと思われていました。このごろは、必ずしもそのようには受け取られていません。また、お金で性欲を満たしやすい環境になっています。



 日本はできちゃった結婚が多い。そうしないと、なかなか結婚しないということでもあります。できちゃった結婚は、もう当たり前みたいになっています。できちゃった結婚による子供が、全出生児の中に占める割合は10%を超えています。それでも日本人は、子供を産む時「結婚していないとまずい」という気持ちを持っています。結婚式でできちゃった結婚です、という話が出るのは今ぜんぜん珍しくありません。



 昔だったら、人前だと恥ずかしく感じる人が多かったのですが、今は、男女ともそういう恥じらいの気持ちはないと思います。できちゃった結婚はまた、女性が男性に結婚することを決めさせる“武器”として利用してきたのではないかと思います。男性の方も、それが分からないわけではないですが、「この人なら結婚してもよいか」と思っていた場合、それを決める契機にしているようです。



 ――若者に少子化への危機感を持てといっても、若者が集まる大都市は、それがほとんど感じられません。さらに、女性は家庭で子育てするよりキャリアを磨く方が賢明だとの風潮が浸透し、結婚を遅くする傾向があります。若者の意識は逆の方向に向かっています。



 実際、東京などでは、少子化の進行を感じにくい。それでも、住民がどんどん年を取り、高齢化の進み方が著しい田舎では、そういう変化を嫌でも感じます。若者でにぎわうような場所はそうそうありません。都市部との違いはハッキリしています。



 六十五歳以上とか八十歳以上の人口比率という調査はよくやりますが、十五歳未満とか五歳未満の赤ん坊の人口比率などの統計をよく見ると、子供の比率が非常に低い市町村があります。同じ東京でも多摩地区は随分、他の地域と違って低いです。



 政府の少子化対策はほとんどうまくいっていません。冒頭に述べたように、今、子供をたくさんつくろうという気になれない状況があります。教育などで、いろいろと考え方を変えていく努力が必要でしょう。



(聞き手・山本 彰)



 おおぶち・ひろし 1936年東京生まれ。中央大学経済学部卒。経済学博士(経済人口学専攻)。90年、日本人口学会賞受賞。日本人口学会監事。華東師範大学(中国・上海)顧問教授。主著に「少子化時代の日本経済」。


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◆古典の教育からの解放? (産経 07/10/8 から一部抜粋)


 それにつけても思うのは、日本という国がなぜ文語を捨ててしまったのかということだ。国語学者の萩野貞樹氏の近著『旧かなづかひで書く日本語』(幻冬舎新書)によると、当用漢字告示の翌昭和22年、文部省(当時)が学習指導要領国語科編で「中学校の国語教育は、古典の教育から解放されなければならない」と高らかに宣言しているとのことである。



 「解放」とは一体何という言い草であろう。日本人にとって古典とは奴隷制度のようなものであったのかと、萩野氏ならずとも憤慨せずにはいられない。戦後レジームなるもののいかがわしさをここにも見て取ることができる。



 時代の制約とはいえ、文部省という役所はかつて、何世代にもわたって積み上げてきた日本人の精神文化を疫病神のように仕立てて、これを踏みつけにしたのだ。それで日本人が精神の背骨をなくしてしまったことは、日本人なら決して忘れてはなるまい。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:53

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