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2009年 01月 15日 ( 2 )





 ■「わが国の神風伝説も、頼むにたらないとなれば、敵情を熟知することが、先決であります」(渡辺崋山(わたなべ・かざん)『西洋事情書』)


 開明派政治家、そして画家としても著名だった渡辺崋山は苦労人だった。家老まで務めた小藩・田原藩の財政は破綻(はたん)しており、俸禄の手取りは額面の数分の1。絵をはじめたのも食うため、だった。藩政の立て直しのために「能力給」や「起業」という画期的な政策を導入し、藩が太平洋にのぞむがゆえに、高野(たかの)長英(ちょうえい)をはじめ蘭学者の粋を招いて海防と海外情勢の研究にあたった。

 「幕末」に近い天保10(1839)年のきょう(旧暦)、その崋山や長英を首謀者とした政治弾圧「蛮社(ばんしゃ)(洋学仲間)の獄」の判決が言い渡された。告発者の証言をもとに、崋山には6つの容疑がかけられていたが、いずれも無罪だった。

 ところが、自宅から押収された警世と憂国の書『西洋事情書』と『慎機論(しんきろん)』が鎖国という幕政への批判とされて国元蟄居(ちっきょ)を命じられ、2年後、自刃に追い込まれる。

 目付(幕府の監察役人)、鳥居耀蔵(ようぞう)ら守旧派の陰謀とされるが、崋山は寛容の人だった。蟄居中、事件を語った次の一文を読むとき、まぶたが熱くなると同時に、怒りに震える気持ちがする。

 「天を怨(うら)まず、人を尤(とが)めず。実に僕左様(さように)心得(こころえ)、一点の憤りなし」
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by sakura4987 | 2009-01-15 12:57



 ■「ふり積る雪にまみれて群れ遊ぶ こいぬを見れば寒さ忘るゝ」(大正天皇)


 皇室はもちろん、古くから敬愛され続けてきた。だが、国民がより親愛の情を抱くようになったのは、大正天皇の功徳ではないだろうか。

 「病弱」のイメージがある。しかし、明治30年代以降、皇太子として父帝の代わりに精力的に全国、さらには韓国を訪問された。その人柄で行く先々を魅了し、ときには随行した政府の高官や知事をユーモアあふれる機知でやりこめる人間的な様子が報道された。また、公務を離れれば周囲のものが思わずほほえむほど子煩悩な「家庭の人」だった。

 冒頭は大正3(1914)年の作品である。あたたかく、やさしい心情がうかがえるが、大正天皇は決して柔弱ではない。少し前、こんな漢詩を残している。

  

 男子は常に四方の志を懐(いだ)く

 前路の幾かんき艱危(かんき)を辞せず

  

 「男子たるものは常に天下を切り盛りするという志を持っている。だから、立ちはだかる困難や危機など、ものともしないのである」-。こんな意味だろう。その大正天皇は82年前のきょう、逝去した。享年47。天が、慈愛と気概の帝(みかど)に健康と長命を授けなかったことを恨む。
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by sakura4987 | 2009-01-15 12:56

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