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<沖縄戦集団自決の虚偽をばらまく朝日の偏向を許すな!>


“日本軍関与”は朝日が目論む第二の「慰安婦強制連行」


 朝日新聞は沖縄戦で起きた住民の集団自決を巡り、意図的なすり替え報道を行っている。9月29日、宜野湾市で開かれた集会決議の「集団自決に軍が関与したことはあきらか」の部分を、あたかも歴史の真実と言い張り、教科書検定の見直し諮るのが当然とのキャンペーンを繰り返している。



 朝日のねつ造報道をこのまま放置すれば、「日本軍の住民虐殺」というとんでもない歴史偽造が青少年の精神に注入される。朝日は「慰安婦強制連行」と同じ手法を駆使して、日本人の民族的自立を阻害すると共に、その誇りを根底から破壊している。



日時:平成19年10月23日(火)午前11時半から


場所:朝日新聞社本社前(地下鉄大江戸線・築地市場駅直通)


※雨天決行(各自プラカードを)

連絡:(西村090-2756-8794)


【呼び掛け】

主権回復を目指す会

電 話:03-5281-5502

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by sakura4987 | 2007-10-21 15:21
(資料12)

その月日は、十二月二十八日となっているが、その日、南京は「曇り午後小雪を交へた雨 夜雪になる」だったのです。

南京攻略戦に上海派遣軍参謀として従軍して、その後一九三八年二月から中支那派遣軍南京特務機関長になって一年間南京に居た大西一大尉が、一番詳細に南京の事を知る立場にあった。その大西氏は、強姦を一度見たと証言しているが、日本軍による暴行、略奪は「見た事がない。私は特務機関長として、その後一年間南京にいた。この間、南京はもちろん、蕪湖、太平、江寧、句容、鎮江、金壇、丹陽、揚州、除県を二回ずつ廻ったが虐殺を見た事も聞いたこともない」と証言している。また、四万三〇七一人を埋葬したという紅卍字会について「中国兵の死体は中国人が埋葬しました。埋葬するのに日本軍に連絡するように頼んだ事がある」とか「紅卍字会が中心にやっていた」と述べている。しかし、約十一万人を埋葬したという〝崇善堂〟については「当時、全然名前を聞いた事はなかったし、知らなかった。それが戦後、東京裁判で、すごい活動をしたと言っている。当時は全然知らない。」と証言している。(『「南京事件」日本人48人の証言』) 大西大尉の証言は、前述した阿羅健一氏のスクープ記事を裏付けている。

朝日新聞などは、『「南京事件」日本人48人の証言』で証言した自社の記者を含め前著証言者の誰にも取材しないで、自らかかわった日本人洗脳番組「真相箱」の南京の内容を正当化できる中国人の証言を中心に報道している。

中華民国軍政部長 何應欽の軍事報告書(『何上将抗戦期間軍事報告』上冊 文星書店(台湾)中華民国五一年六月)の南京攻略戦(上海から南京)での戦死者数(陣亡)は、三三〇〇〇名となっている。(資料13)

この軍事報告書には、南京攻略戦においての南京陥落前後から、それ以降のことを詳細に記載してあるが、南京に関した日本軍の「戦時国際法違反」としての「虐殺」は、一行も報告されていない。それは、大西一特務機関長の証言を裏付けている。また、一年目の死傷者数三十六万人は中国全土のものである。つまり北京や天津も含んでいた。

そして、南京陥落前の一九三七年十二月七日まで南京にいた蒋介石は、国民党の軍紀の乱れを「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。(中略)敗れたときの計画を先に立てるべきだった。撤兵時の略奪強姦など軍紀逸脱のすさまじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」と蒋介石の日記(十一月三十日の月間総括欄)に記載されていた事を二〇〇七年五月二十五日産経新聞が報道した。この国民党軍が南京城内に雪崩込んでいたのである。

世界紅卍字会南京分会長 陳漢森は、比良艦長、土井中佐へ礼状を出している。そこには「…閣下は民衆が飢えている状況を察され、小麦粉と食用油を賜り、大勢の民衆の命をお助けになりました。且つ自らご指導に当たられました。(略)近隣である日中両国の親善を祈願したいと存じております。(以下略)」と述べている。(資料14) 

ところが、紅卍字会の 陳会長が感謝状で述べた事と、まったく逆の証言を紅卍字会の 許伝音副会長は、東京裁判で陳述している。

南京攻略戦以前から敗戦まで陸軍将兵は、ポケットサイズの「陸軍刑法、陸軍懲罰令」を常時携行し、その第八十六條には「…婦女子ヲ強姦シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ處ス」、また、第八十八條には「…死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス」と第九章掠奪ノ罪で戦争犯罪に対して厳命されていた。(資料15)

また、松井大将は、南京攻略を前にして、国際法学者 齋藤良衛博士を招いて助言を受け、「南京攻略要項」を指令していた。その内容は、七項目からなり、「不法行為等絶対ニ無カラシムルヲ要ス」とか「中立地帯(安全区)ニハ必要ノ外立入ヲ禁シ所要ノ地点ニ歩哨ヲ配置ス」「外国権益ノ位置等ヲ徹底セシメ絶対ニ過誤ナキヲ期シ」「略奪行為ヲナシ又不注意ト雖モ火ヲ失スルモノハ厳罰ニ処ス」などと不法行為の厳禁を松井大将自らも厳命していた。

さらに松井大将は、南京城攻撃を前にして、上海派遣軍と第十軍の末端兵士に対しても訓戒を次のように述べている。

「南京ハ中国ノ首都テアル之カ攻略ハ世界的事件テアル故ニ慎重ニ研究シテ日本ノ名誉ヲ一層発揮シ中国民衆ノ信頼ヲ増ス様ニセヨ特ニ敵軍ト雖モ抗戦意志ヲ失ヒタル者及一般官民ニ対シテハ寛容慈悲ノ態度ヲ取リ之ヲ宣撫愛護セヨ」と発令していた。この松井大将が現在、中国側の主張によるとホロコーストに比肩する「南京大虐殺」の責任者としてA級(注・A・B・Cは罪の大小でなく訴因の項目)戦犯で処刑された事になっている。しかし、東京裁判の松井大将に対する訴因を詳細に分析すると、「南京大虐殺」がなかった事を東京裁判が証明している。それは、A項(A級)戦犯として処刑された七名の中で、松井大将以外の六名は、事後法の「平和に対する罪」(A項)の訴因三十六項目の中で、二~六が有罪になっている。ところが、松井大将は「平和に対する罪」の訴因三十六項目すべて無罪であった。

そして、松井大将は、「通例の戦争犯罪」の訴因五十五項(俘虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反)の一つだけが有罪で処刑されたのである。(資料16)

仮に中国側が主張するホロコーストに匹敵する「南京大虐殺」が国家による組織的「ホロコースト」であれば、人道上看過できない犯罪として松井大将は「平和に対する罪」と「人道に対する罪」がすべて無罪にはなりえない。

この事実は、東京裁判において、「南京大虐殺」が虚構であった事を証明している事になる。

《『偕行南京戦史』とは何か》

南京戦史は一九八〇年代の朝日新聞などの「南京大虐殺」大キャンペーンに対して、南京攻略戦に従軍した将兵が中心になって編集したと一般的に認知されているが、その実体は違う。その編集委員の中に戦場を知らない者が入っていた。

その実態は『ゼンボウ』平成三年九月号で同編集委員、鵜飼敏定氏が「南京事件を旧陸軍の罪業の一つと位置づけて旧軍の罪業を暴き、虐殺の数字を検証して日本軍は南京で何万あるいは何千人を虐殺したかを明らかにする事と南京戦史を書く目的とする委員と戦史を書く事によって戦争の本質と戦場の実相を明らかにして南京事件とは何かを問おうとする委員とに分かれたため、総括者が両者の極端を捨てて、ほど良いところをとる所謂折中方針によって編集を指導した。参戦した委員と戦争を知らない委員との史観は相反した。」と述べている。

このような、戦後のイデオロギーが混入した状況で編集された『偕行南京戦史』は、正式な戦史でない事が明らかで、参考資料の一つ以上のものではない。

二〇〇七年三月の「南京問題小委員会」に講師として参加された青山学院大学名誉教授で国際法が専門の佐藤和男博士は、『偕行南京戦史』に記載されている捕虜の処断を検証した。

① 第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便衣兵六六七〇名の処断。

② 第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉えた捕虜三〇九六人の処断。

③ 第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた敗残兵数千人の処断。

④ 第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜一六五七人の処断。

⑤ 山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。

以上、右列記した事例について佐藤博士は、いずれも戦時国際法違反でないと断定し、現在、南京問題研究者が素人判断で捕虜の処断を「虐殺」とする研究に対して苦言を呈していた.(資料17)

佐藤博士が問題ないと断定した右①~⑤の事例は、中国側も当時、戦時国際法違反があったと国際連盟に提訴していない。

《「南京大虐殺」の政治宣伝とは何か》

 一九三八年二月の国際連盟での顧維釣中国代表の演説「二万人の虐殺と数千人の暴行」が政治宣伝の最初であれば、文書による中国国民党政府の政治宣伝は、マンチェスター・ガーディアン記者ティンパーリーによる『戦争とは何か=中国における日本軍の暴虐』が原点になる。

郭沫若『抗日戦回顧録』によると、国民政府政治部は陳誠を部長に、周恩来を副部長とし、その下に四つの庁を置いて抗日宣伝、情報収集等を行っていた。

『戦争とは何か』は、一九三八年七月、中国語に訳され、郭沫若が序文を書き抗日宣伝の教材として頒布された。

ティンパーリーが中国国民党中央宣伝部の顧問だったことは、鈴木明氏が突き止めた。そして、前掲書が国民党の宣伝本だった事は、北村稔立命館大学教授が中国国民党中央宣伝部国際宣伝処長曾虚白の『自伝』に「我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いて貰い、印刷して発行する事に決定した・・・二つの書物は、売れ行きの良い書物となり、宣伝の目的を達した」と記載されている事を明らかにしている。

日本での「南京大虐殺」の政治宣伝は、東京裁判を原点とするが、活字による「政治宣伝」は、一九七一年の朝日新聞の連載「中国の旅」からであろう。それは、写真集としての中国の旅『中国の日本軍』(本多勝一著・一九七二年)の巻頭に郭沫若(中日友好協会名誉会長)の推薦文が掲載されている事が物語っている。

(資料18)

また、『中国の日本軍』の解説は、中国帰還者連絡会会長の藤田茂氏が寄稿している。藤田茂氏は、一九六五年周恩来首相に招待されて、中帰連会員とともに人民大会堂を訪れている。

《「南京大虐殺」の捏造写真について》

本来、報道写真は「誰が」「いつ」「どこで」撮影したものか明らかに出来ない写真などは無価値である。ところが、「誰が」「いつ」「どこで」撮ったものかわからない写真が「南京大虐殺」の証拠写真として一人歩きしているのが現状である。また、そのような写真を一つ一つ検証する事は、中国側の策略に踊らされている事になる。

日本側の立場としては、そのような写真をまとめて報道写真として無価値であると声を大にして訴えれば済むことである。

《「南京大虐殺」の政治宣伝にたいして》

「南京大虐殺」の政治宣伝は、一九三八年の国際連盟理事会において、顧維釣中国代表が「二万人の虐殺と数千の女性に対する暴行」があったとする政治宣伝が原点であると判断した。南京問題小委員会は、顧中国代表が国際連盟の「行動を要求」したにもかかわらず国際連盟は、決議案に「日本非難決議」として採択しなかった事を最重要と判断する。

また、東京裁判において、南京攻略戦総司令官松井石根大将の判決で、「平和に対する罪」「人道に対する罪」の訴因すべてが無罪だった事を重視するものである。

以上、人道に反する「南京大虐殺」は、国際連盟、東京裁判においても否定されていたものと判断する。

尚、南京攻略戦での犠牲者数に関しては、当時、世界最大の取材班を送り込んでいた朝日新聞約八十名、毎日新聞約七十名の両社とも、二〇〇七年二月「南京大虐殺」の犠牲者数は「特定しておりません」と公式見解を出している(資料19)。

南京攻略戦を一番詳細に取材していた両新聞社ですら、特定できない犠牲者数を国会議員が特定する事など不可能である。国家間で平和条約を締結後の歴史認識問題は、歴史の専門家の研究に委ねられる事と判断する。

同小委員会は、一次資料を中心にした検証の結果、南京攻略戦が通常の戦場以上でも以下でもないとの判断をするに至った。

《報道機関への要望》

南京攻略戦を取材した世界のメディアは、自社が報道した当時の記事と他社が報道した記事の真偽を再度検証して真相を明らかにして頂きたい。

《中国への要望》

一. 中国の温家宝首相が二〇〇七年四月に来日して国会で演説したように、「日中友好」は重要な事である。そこで、日中友好親善を推進する為にも、中国側歴史研究者も間違いを認めた「南京屠殺記念館」に表示してある犠牲者数三十万人を直ちに外して頂きたい。

一. 各戦争記念館及び「南京屠殺記念館」に展示してある写真のほとんどが「誰が」「いつ」「どこで」撮影した写真かを明らかにしていない。このような写真は、国際的に報道写真として無価値である。また、戦時中、日本人が撮影した写真の解説を変えて展示している写真もある。以上、報道写真の原理原則を満たしていない、日本に関係した写真は、中国が速やかに撤去することで、二十一世紀の真の日中友好親善が推進できるものと判断した。

      平成十九年六月十九日

「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」

             会  長 中山 成彬

             事務局長 西川 京子

 南京問題小委員会 

委員長 戸井田とおる 
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by sakura4987 | 2007-10-21 15:21


http://www.nikaidou.com/2007/06/post_308.html


自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の小委員会である「南京問題小委員会」が平成19年6月19日に牽制記念館で行なった南京問題の総括文書をここに掲示しておく。資料はまだないが、データにて到着次第アップすることとする。



目次

・《中国の「南京虐殺数」の動向》  

・《国際連盟議事録の資料としての価値》

・《「南京大虐殺」があったとする一九三七年十二月~一九三八年一月メディアはなにを報道していたか》

・《東京裁判で復活した「南京虐殺事件」》     

・《『偕行南京戦史』とは何か》          

・《「南京大虐殺」の政治宣伝とは何か》        

・《「南京大虐殺」の捏造写真について》       

・《「南京大虐殺」の政治宣伝にたいして》       

・《報道機関への要望》               

・《中国への要望》  

              
「南京問題小委員会の調査検証の総括」

 二〇〇六年から二〇〇七年にかけて、米国を巻き込んで「南京大虐殺」の宣伝映画が複数制作される事が明らかになった。

これは、過去の日本人の名誉を貶めるだけでなく、現在、未来にわたって、日本人が世界で最も残虐な民族と認識される危機的状況にあると判断せざるを得ない。

二〇〇七年一月三十日、東京財団の招きで来日した張連紅・南京師範大学教授(南京大虐殺研究センター主任)と程兆奇・上海社会科学院歴史研究所研究員は、「南京大虐殺」に関して「三十万から四十万人の虐殺数に疑問を呈し、八十年代の中国の研究は感情的で政治的な色彩を帯びていた」事を認めた。(産経新聞二月一日)。

「南京問題小委員会」は、これらの状況を的確にとらえて、二〇〇七年二月九日、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の中に発足した。

中国政府関係者が、これまで公式見解として来た南京での「虐殺数三十万人」を否定した事は、言論(歴史検証)の自由がない中国の歴史認識問題は、政治そのものと認めたのであり、日本の政治家も日中間の歴史認識問題に関して、客観的一次資料に基づく基本的知識が必要と判断した。

《中国の「南京虐殺数」の動向》

 「南京大虐殺」の枕詞「犠牲者三十万人」は二〇〇六年十二月二十六日に発足した「日中歴史共同研究会」以降、中国の有力サイトから〝三十万人〟との数字が消えている。

中国の公式見解の変更は、アイリス・チャン氏が「ザ・レイプ・オブ・南京」の中で主張する「二十六万から三十五万人が虐殺された」を否定した事になる。

今後、世界で多数製作される「南京攻略戦」の映画は、「ザ・レイプ・オブ・南京」を参考にしているものが含まれている事で、それらの映画が「政治宣伝映画」と中国が認めた事になる。

過去、「犠牲者三十万」は、一九九七年十二月、東京で開催された「南京大虐殺六十周年国際シンポジウム」で、笠原十九司氏(都留文化大学教授)が、「ラーベは五~六万と言っているが、彼の目の届かない郊外や、彼が去った後の犠牲者を足すと三十万人ぐらいになるはず」との見解を明らかにした。

すると中国側専門家 孫宅巍氏は、「三十万人は南京城内だけの数字である。地域や時期を勝手に広げてもらっては困る」と異議をとなえていた。

その一年後、日本の代表的「南京大虐殺」派の研究者である笠原十九司氏は、一九九八年十二月二十三日号の「SAPIO」(資料1)に掲載された論文の中で、前出の 孫宅巍氏の見解を否定する「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺はおこなわれていない」と断言している。

 現在、我が国では「南京大虐殺」派といえども、中国側の主張する南京で「三十万人の大虐殺」を認める研究者はほとんどいなくなっている。

《国際連盟議事録の資料としての価値》

検証するにあたって、「南京大虐殺」があったとする一九三七年十二月十三日から翌三八年二月までの公文書を重要な一次資料と判断して、第百会期国際連盟理事会(一九三八年一月二十六日~二月二日)の議事録を入手した。(資料2)

その中で、顧維鈞中国代表は「南京で二万人の虐殺と数千の女性への暴行」があったと演説し、国際連盟の「行動を要求」をしても、国際連盟は、一九三七年十月六日の南京・広東に対する「日本軍の空爆を非難する案」のように採択しなかった。この事実は、東京裁判での二十万人や中国側が昨年まで主張していた公式見解三十万人と桁が違う。

また、その国際連盟議事録の「二万人の虐殺」は、蒋介石軍からの報告ではなく、米国人ベイツ教授やフィッチ牧師の伝聞を記事にしたニューヨーク・タイムズなどの新聞報道に基づくものだった。ちなみに、ベイツ教授もフィッチ牧師も単なる「第三者」ではなかったのである。

フィッチ牧師は、反日活動をしていた朝鮮人の金九を自宅に匿った前歴のある人物であり、ベイツ教授は中華民国政府の顧問だった。

蒋介石軍の将兵は、一九三八年一月になると、南京城内安全区から脱出して、蒋介石に南京城陥落に関した軍事報告をしている。

その時点で「戦時国際法違反」を実証できる報告を蒋介石が受けていたならば、顧維鈞中国代表は、国際連盟での演説に取り入れていたであろう。

顧中国代表は、「戦時国際法違反」になる事実を確認できなかった事で、「デマ」に基づく新聞記事を援用せざるを得なかった。

「南京大虐殺」論争は、様々な資料に基づいておこなわれて来たが、中国としても一番正確に把握していた時に出した「二万人の虐殺」との数字と「行動を要求」していた事が記載されている国際連盟議事録が白眉の史料である。そして、南京陥落前後から国民党は、約三〇〇回もの記者会見をしていたが、その中で一度も「南京虐殺」があったと言っていない。それは、「南京虐殺」がなかった事の証明と主張している研究者がいるが、国際連盟議事録は、その状況証拠を裏付ける事のできる決定的資料である。国際連盟の会議の場で 顧中国代表が「南京虐殺」を訴えても無視された事を、中国は再度記者会見で訴えていなかった。

この議事録の問題は、二〇〇七年二月二十一日衆議院内閣委員会で取り上げられ、戸井田とおる衆議院議員の質問にたいして外務省は「中国代表の顧維鈞という人物が、南京における旧日本軍兵士による殺害や略奪行為について言及した(略)一方、決議においては、南京事件について明示的な言及はございません。」と明確に答弁している。(資料3)

この国際連盟の議事録は、『ドイツ外交官の見た南京事件』

(石田勇治・編集・翻訳 大月書店、二〇〇一年)でも要約され紹介されている。

しかし、「二万人の虐殺」と「何千人もの女性が辱めを受けた」事は記載されているが、顧維鈞中国代表が国際連盟に「行動を要求」した最重要部分を「以下、略」として削除している。

この議事録は、二〇〇一年に明らかになっていたので、資料価値を低く見る研究者もいるが、「行動を要求」していた事まで明らかになっていなかったのである。

また、南京問題小委員会は第百会期国際連盟理事会の議事録を翻訳した昭和十三年二月十八日付 外務省機密文書「第百会期国際連盟理事会の議事録に於ける日支問題討議の経緯」を発見した。(資料4)

その中の〈四国会談に於ける決議案作成事情〉(英、仏、蘇、支)の項で「…顧(中国代表)が第一に提出したる対日制裁の点は英仏の拒絶に依り(略)」との状況にもかかわらず、決議の採択を前にした演説で 顧維鈞は「日本の侵略の事実、日本軍の暴行、第三国の権益侵害、等を述べ連盟の行動を要求する趣旨の演説を為せり」とある。

その演説の要旨は、広田弘毅外務大臣に報告されていた。この機密文書を総覧すると、事前会議で日本非難決議の通らない事を承知していたにもかかわらず、顧中国代表が執拗に国際連盟の「行動を要求」していた実態が明らかになっている。

これは、中国の「南京大虐殺」の政治宣伝の原点が、 顧中国代表の国際連盟での演説にあり、ここからスタートしていたと見る事ができる。

中国の「南京大虐殺」の「政治宣伝における犠牲者数」は、八十年代が「三十万人~四十万人」と中国側が認めたが、南京の状況を一番把握していた当時の「政治的犠牲者数」は「二万人」だったのである。

《「南京大虐殺」があったとする一九三七年十二月と

一九三八年一月。メディアはなにを報道していたか》

 中国が主張して来た南京で「三十万人の虐殺」は、当時のニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズ、朝日新聞、東京日日新聞(毎日新聞)を調査することで荒唐無稽なことは一目瞭然となる。

新聞記事を検証する前に、基本的な事を説明すると、南京城内の広さは東京の世田谷区(58・81平方キロ)より狭く、城内は、(場外の下関を加えて)約40平方キロ。その約十分の一が安全区(3・8平方キロ)だった。そこには、日本軍将兵も勝手に入る事が禁じられていた。その城内では、外国の報道陣が自由に取材し、朝日新聞の取材班は約八十名、毎日新聞は約七十名の大取材班を投入していた。(昭和十三年一月号『文芸春秋』「南京へ!南京へ!」)

ちなみに、現在、全国紙の世田谷区を担当している記者は一名で、常駐している訳ではないとの事である。

世田谷よりも狭いところに、朝日新聞一社だけでも約八十名の取材班が出入りしていたとなると、電信柱一~二本倒れても気が付く取材精度を維持していたと推察される。

それは一九三七年十二月十七日付朝日新聞での南京戦従軍記者九名による紙上座談会で、守山記者が「皮肉な話を一つ(略)十三日(略)敵砲陣地を占領したが(略)大砲四門が何処製かと思ふか?『昭和二年大阪工廠というマークがついているではないか』(略)軍官学校の校庭に立つ(略)孫文の銅像の裏の銘を読むと民国十八年日本梅屋庄吉製造とある(以下略)」まさに中国側が言う「大虐殺」が行われていた十二月十五日頃、のんびり大砲や銅像を鑑賞できる時間があったのである。(資料5)

その朝日の記者の一人、山本治上海支局員は「事件というようなものはなかったと思います。朝日でも話題になっていません」と「『南京事件』日本人48人の証言」(阿羅健一著)の中ではっきり答えている。

また、陥落後、朝日は五回の南京写真特集を掲載している。

そのタイトルは、

① 昭和十二年十二月二十日「平和甦る南京《皇軍を迎へて歓喜沸く》」(河村特派員撮影)

② 昭和十二年十二月二十二日「きのふの敵に温情《南京城内の親善風景》」(河村特派員撮影)

③ 昭和十二年十二月二十五日「南京は微笑む《城内點描》」(林特派員撮影)

④ 昭和十二年十二月三十日「手を握り合って越年《日に深む南京の日支親善》」(林特派員撮影)

⑤ 昭和十三年二月十三日「五色旗の下に《南京復興の足どり》」(林特派員撮影)

などと、単発記事を交えて報道している。毎日新聞も朝日と同じような報道である。

戦後、戦時中は、検閲で報道の自由がなかったなどといわれているが、南京攻略戦で朝日新聞の取材班全体の指揮をとった上海支局次長 橋本登美三郎氏は当時の報道規制について「何も不自由には感じてない。思った事、見た事はしゃべれたし、書いていたよ」(前掲書)と証言している。(資料6)

南京攻略戦に同行取材した日本のメディアは、朝日、毎日以外にも報知新聞(現、読売新聞)、読売新聞、同盟通信(現、共同、時事)、新愛知新聞(現、中日)、福岡日々新聞(現、西日本)、都新聞(現、東京)、福島民報など全国の主要メディアも参加していた。その他、大宅壮一、西條八十、草野心平、林芙美子、石川達三、小磯良平など、作家、詩人、評論家、画家も多数、南京に入城しているが、戦後、新聞労連の活動を熱心にしていた朝日と毎日の数名以外、南京で「虐殺」があったと語ったものはいない。

南京攻略戦当時、日本は国際連盟を脱退していたので、南京城陥落を取材していた欧米の報道機関は、単なる「第三国」の報道機関でなく、よりきびしい目で旧日本軍の動向を取材していた事になる。そこで、ニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズなどが、一九三七年十二月~一九三八年一月までの二ヶ月間どのように報道していたかを精査して、朝日、毎日の記事とつき合わせると、南京陥落後の実態がより鮮明になってくる。(資料7)

ニューヨーク・タイムズとロンドン・タイムズの一九三七年十二月と一九三八年一月の記事を検証すると、一九三七年十二月は、両紙ともパネー号(米)の撃沈とレディーバード号(英)が攻撃された記事が最大のニュースである。ニューヨーク・タイムズでは、その関連記事を同十二月十三日から三十日まで連続十八日間報道している。また、ロンドン・タイムズでも同十二月十三日から三十一日まで四日間の休刊以外、連続十五日間報道していた。

連合国総司令部(GHQ)は、極東国際軍事裁判(東京裁判)を先導するように、占領下の日本人を自虐史観に洗脳する為にNHKのラジオで放送された「真相箱」(GHQ制作〉の中で、南京での出来事として、「我が軍(旧日本軍)が南京城壁に攻撃を集中したのは、昭和十二年十二月七日(実際は同十二月十日正午以降)でありました。これより早く上海の中国軍から手痛い抵抗を蒙った日本軍は、その一週間後その恨みを一時に破裂させ、怒涛の如く南京市内に殺到したのであります。この南京大虐殺こそ、近代史上稀に見る凄惨なもので、実に婦女子二万名が惨殺されたのであります。」(『「真相箱」の呪縛を解く』小学館文庫)

右文章の十二月七日から一週間後は十四日です。それは、ロンドン・タイムズ十二月十八日の記事で「十四日…通りには死体が散在したが女性の死体はなかった」となっている同日に「婦女子二万名が惨殺された」と「真相箱」の台本を制作した事は、GHQが歴史を捏造した事になる。ちなみに、日本人洗脳ラジオ番組「真相箱」の編集に加担した邦字紙は、朝日新聞一社だけであった。また、CIE(GHQ民間情報教育局)に管理されていたNHKが「真相箱」を翻訳して放送した。(資料8)

ここで重要な事は、一九三八年二月、国際連盟理事会で 顧維鈞中国代表が南京で「二万人の虐殺」との政治宣伝の演説をした後、中国国民党関連の宣伝本「戦争とは何か=中国における日本軍の暴虐」(ティンパーリー著)や、一部新聞報道で報道された以外、南京で「虐殺二万人」などと中国側が公式に提起した事などなかった。

それが、再度国際機関(GHQ)で問題提起されたのは、顧維鈞中国代表が国際連盟理事会で演説してから九年後、一九四六年のGHQ制作「真相箱」の台本の中であった。

第百会期国際連盟理事会が開催されていた一九三八年一月二十六日~二月二日までの間、ニューヨーク・タイムズとロンドン・タイムズの重大ニュースは、一月二十六日のアリソン米領事殴打事件である。この期間は、戦後「南京大虐殺」が実行されていたと喧伝されている時期と重複している。

アリソン殴打事件とは、事件調査に日本軍憲兵と同行してきたアリソン氏が、日本軍中隊長の制止を無視して、無理に家屋内に進入しようとしたため、同伍長にアリソン氏と同行の米国人一名が殴打された事件である。日本軍の陳謝に対して、アリソン氏も「検察官的不遜な態度と領事としての立場を幾分逸脱」していた事を詫びている。(資料9)

このアリソン事件は、ニューヨーク・タイムズが、一月二十八日~三十日まで三日間連続で、ロンドン・タイムズも一月二十八日、二十九日、(三十日休刊)、三十一日と同じく三日間報道していた。

現在、中国がホロコーストに比肩される「南京大虐殺」が実行されていたと喧伝している期間内に、大事件として報道されていたのは、「約一週間もの間、ロンドン、上海、マニラのラジオニュースで大々的に報道された(略)」のがアリソン殴打事件だった。(資料10)(『ドイツ外交官の見た南京事件』一四三頁)

この事実は、一九三八年一月二十六日以降一週間、アリソン殴打事件を上回る、強姦、殺人事件がなかった事を示している。

《東京裁判で復活した「南京虐殺事件」》

 一九四六年、東京裁判(偽証罪がない)が開廷しても、政治宣伝としての南京での「虐殺数」は「二万人」だった事は前述した通りである。

ここでは、事後法で裁いた東京裁判の管轄権など国際法上の問題点については触れないが、どのような状況で開廷したのか。それは、GHQ占領下の洗脳政策の責任者 民間情報教育局(CIE)局長 K・R・ダイク代将(大佐)が、一九四六年三月二十日に第四回極東委員会で報告した日本人に対する指令の趣旨が参考になる。

「指令を発する敏速さは、いわば戦争中の戦略にも譬えられようかと思います。現在なお、いくさなのです。日本では、一種の戦闘状態にあると私は言いたいのです。平時の作戦ではないのです。と申しますのは、戦闘中は相手のバランスを崩そうとします。右のジャブをうまく出し、相手が立ち直る前に左のジャブを出すということです。日本人の教育のため、一つの指令を日本人が十分理解してからさらに他の指令を出すという意志は私どもにはありません。」

(『資料・占領下の放送立法』東京大学出版会、「第四回極東委員会会議議事録」抜粋 六十ページ)

占領下の混乱期に何がどうなっているか分からない状況で、矢継ぎ早に一方的情報を出して、日本人が立ち直れないように強力な洗脳政策を実行すると断言していた。東京裁判も一種の戦闘状態で裁かれていたという事になる。

また、ダイク代将は、占領下を平時でなく、戦時と規定している事で、正確な意味での終戦は、主権を回復した一九五二年四月二十八日という事になる。

極東委員会とは、GHQを管理していた上部機関である。その極東委員会の中国代表は、一九三八年二月二日国際連盟理事会で公式に「虐殺の犠牲者二万人」との「南京虐殺宣伝」をした 顧維鈞であった。

一九四八年十一月の東京裁判の判決は、「南京虐殺」の犠牲者数に関して二通りの判決が出ている。それは、南京攻略戦の総司令官 松井石根大将個人の「十万人」と南京攻略戦の「二十万人」以上の異なった判決が出ていたのである。いずれにしても、南京での「虐殺数」は唐突に一桁増えたのである。

それは、「南京事件」後四ヶ月間に十一万二千二百六十六人の遺体を処理したという崇善堂の埋葬記録を検察側が加算した結果の犠牲者数である。「南京事件」後四ヶ月間、崇善堂が活動していなかった事は、昭和六十年八月十日付産経新聞が報道した阿羅健一氏のスクープ記事で証明されている。(資料11)この事実だけで、松井大将個人の判決から崇善堂の「約十一万二千人」を引くと犠牲者数は、約マイナス一万二千人になってしまう。

また、活動記録のあった紅卍字会の埋葬記録の中にも不自然な記述がある。それは、東京裁判に提出された埋葬記録一覧表によると、一ヶ所だけ「埋葬箇所と備考」が空白の日があり、ほとんどが三桁にもかかわらず、最大の埋葬数六四六六名となっている事だ。
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by sakura4987 | 2007-10-21 15:20


 (産経 07/10/10)


 ■「国益より言い訳の技術」


 2006年初夏、日米当局者による安保協議が米国で開かれ、北朝鮮の不穏な動きをめぐって対応を協議した。北朝鮮がミサイル連続発射に踏み切る少し前のことだ。



 万が一、北のミサイルが日本の領域内に落下したり、周辺海域の漁船などに被害が出たら、大変な事態になる。米政府、米軍はどう動くか。日本政府は真っ先に何をすべきか。さまざまな不測の事態に備えて、日米の緊急対応を入念に検討しておくことが協議の狙いだった。



 ところが、日本側は周辺事態法の適用について「あれはできない」「ここまでが限界」といった法律の解釈論を長々と始めた。すると、米側の一人があきれたような顔で言い放った。



 「いったん有事になれば、国民の被害を最小限にし、敵の損失を最大にして一刻も早く紛争を終わらせることが至高の目的のはずだ。それが国益というものでしょう」



 だが、日本側からは答えがなかった、と出席者の一人が証言する。「日本の当局者は国会で追及されないように、言い訳を重ねる技術にしか目がいかない。国民の安全や国益を政府として、どうとらえているかを深刻に考えさせられるやりとりだった」という。



 国益が定まらなければ国家戦略も決まらない。何が国家の利益になるのかを国会や国民に説明することもできないのではないか。官僚だけではない。



 ここ10年間、日本の政治は官主導から政治主導への転換が叫ばれてきた。



 国民の安全を守る、国土保全を図る、エネルギーを確保する、環境を浄化する-といった漠然とした「国益」なら、政治家の誰もが口にする。にもかかわらず、それらを総合して優先度を示し、いかに整合性を持たせるかの政策的展開が官僚も政治家もスッポリと抜け落ちているのだ。



 自衛隊のイラク派遣やテロ対策特別措置法の問題でもそうした一面があった、と外務省幹部が振り返る。



 当時の小泉純一郎首相は「日米同盟と国際協力の両立だ」と述べたが、イラクに出ていくことが具体的に日本のどんな国益になるのかを十分に説明できたとは言い切れない。



 テロ特措法にしても、(1)中東・湾岸の安定が日本の安全と平和に不可欠(2)石油などエネルギー安保(3)日米協力の具体化-などに日本の国益があるのは当時も明白だった。「だが、政治指導者がそれを明示して論理的に説得する努力が欠けていた」とその幹部は言う。



 「国益を誰がどう決めるのかが、戦後日本ではずっとあいまいにされてきた。土台となる国益をきちんと定義し、その上に政策や戦略を築いていかなければ21世紀の国家戦略も描けない」と、森本敏・拓殖大学大学院教授(65)も指摘する。



 その証拠に、日本には「国家戦略」にあたる文書がない。「国防の基本方針」とかエネルギー、環境戦略といったものはある。だが、より高次の観点から外交、軍事、エネルギー、環境など個別政策を定める指針ともなる国家戦略文書が、政府や国会の了解の下にまとめられたことはない。



 「国益を明示した国家の総合戦略がないだけでなく、たとえ戦略ができても、それを実現する制度もない。日本が国家の心棒を欠いているのはまさにそこだ」と森本氏は言う。



 ■国家戦略の優先順位付けを


 米国には「アメリカの国益に関する委員会」という風変わりな超党派組織がある。設立されたのは1995年だ。



 冷戦終結直後、米国民は外交への関心を急速に失い、政治指導者も内政や目先の経済利益に目を奪われがちだった。



 世界では旧ユーゴなどの地域紛争、大量破壊兵器拡散とテロ、中国の台頭など新たな脅威や課題が浮上し、米外交に場当たり的な対応が目立つようになった時期だ。



 こうした情勢に、「半世紀間の冷戦戦略に代わる目標を定めなければ、新たな平和秩序を築く機会が失われる。米外交を漂流させてはならない」と危機感を抱いたハーバード大学のグレアム・アリソン教授らが提案し、民主、共和党議員や国家安全保障専門家など十数人を集めて発足した。



 主なメンバーには、クルーグマン・スタンフォード大学教授、ナン民主党上院議員、スコウクロフト元大統領国家安全保障担当補佐官、ライス現国務長官、アーミテージ前国務副長官らの名前も見える。



 彼らが1996年と2000年に公表した報告書は、米国がめざすべき国益を(1)死活的国益(2)きわめて重要な国益(3)重要な国益(4)二義的な国益-の4レベルに分類し、明確な優先順位を示している点が特徴だ。



 「死活的国益」には大量破壊兵器の脅威、主要地域での覇権国家の台頭防止、国際通商・経済制度の維持などを挙げ、これに次ぐレベルの国益には米国の技術優位の堅持などを示している。



 地域別の国益も、例えば東アジアでは「敵対的覇権国の台頭阻止」「日韓の自由と繁栄、対米同盟を維持」などを最優先する。中国を国際システムに組み込んだり、朝鮮半島や台湾海峡の紛争防止などをその次に位置づけている。



 もちろんすべてが公式政策となったわけではない。



 だが、委員会の提言は議会や政府、世論に活発な国益論議を喚起し、その後の米外交や国家戦略立案に多くの建設的な刺激を与えてきた。



 森本氏は、政治と国民が共有できる具体的な国益を描くために「日本でも米国のような組織を設けて論議をすべきだ」と提案している。



 日本版国家安全保障会議(NSC)創設を目指し、昨年末から今春にかけて開かれた「官邸機能強化会議」で、東シナ海のガス油田開発問題が論じられたことがある。



 中国は国家戦略として軍も動員してガス田開発を推進する。日本側は開発は民間、警備は海上保安庁、対中協議は外務省任せという実情だ。



 「トータルな外交、資源、経済、防衛の問題なのに、国家戦略がないために効果的な対応が決められない」。安倍晋三首相(当時)もいる前で、こう指摘する声が相次いだという。



 集団的自衛権の行使論議、核保有論議、東シナ海のガス田開発などのエネルギー戦略、環境問題など、日本が直面している国家安全保障上の課題は数多い。個別の課題を活発に論議しても、いずれを最優先するかが決まらない。



 「国益とは何か」を具体的にわかりやすく定義づけてその実現に優先順位をつける。それを国民に提示して、理解を求める。そんな作業は官僚組織にはできない。政治指導者がやらなければならないことだ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:59


 (産経 07/10/08)


 もう声をはっきりと上げた方がよい。「王様は裸だ」と。6カ国協議のことである。



 北朝鮮を引き留めようと、みな「一歩前進」などと各国各様に辻褄(つじつま)合わせに懸命だが、例えば無能力化は一時停止も同然になってしまった。重油が欲しくなったら、停止を停止するのだろう。万事こんな調子では、6カ国協議は北朝鮮支援機構と改名が必要だ。



 続く南北首脳会談も、隣国の国家元首に非礼を承知で言えば、まさに裸の王様2人が握手するの図にしか見えなかった。



 7年前と違って韓国の世論がクールなのがせめてもの救いだ。造花の花飾りを打ち振り歓喜する北の人々には、大変ですね、ご苦労さまと言うほかない。6カ国協議も首脳会談も北の人々の幸せと無縁であるのは自明のことだ。



 核・ミサイル放棄と拉致問題の解決を求める日本の立ち位置はいよいよ難しい。しかし、だからこそ朝鮮半島の地理と歴史に足をすくわれた歴史の苦い教訓を、ここはいま一度思い起こしたい。



 朝鮮半島をめぐって日清戦争が、やがては日露戦争が起きた。いずれも幸い勝利はしたが、結局は中国大陸の泥沼にはまり込み破綻(はたん)した近現代史のことである。



 「後藤新平が満鉄などに行かないで、台湾にいて南進政策をやっていたら、満州に手を出さないで日本は海洋国家として違う日本になったと思う。大陸へ行ったがゆえに大変なことが起きた。日本は文化と海洋による国家を造らなくちゃいけないんだ…」



 先日、台北でお会いした李登輝前台湾総統の言葉が耳に残る。



 朝鮮半島と大陸とからの強い磁力をいかに賢明に振り切るか。たとえ迂遠(うえん)に思えても、日本は海洋国家に活路を見出(みいだ)す方途をもっともっと真剣に模索すべきだ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:59


 (北海道 07/10/5)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/53274.html


 道議会は定例会最終日の五日、「先住民族の権利に関する国連宣言」の採択を受けて、アイヌ民族の権利などについて検討する審議機関を設置するよう国に要望する意見書案を、全会一致で可決する見通しになった。与野党の関係筋が明らかにした。



 高橋はるみ知事も先に同様の考えを表明しており、アイヌ民族をめぐって、道と道議会が共同歩調をとるのは、一九八八年の「アイヌ新法」制定要請以来十九年ぶり。



 意見書案は、アイヌ文化振興法の施行(九七年)によって、文化、伝統への理解は進んだが、「アイヌの人たちの人権、教育、生活などについて、多くの課題が残されている」と指摘。国連宣言の採択を機に「宣言におけるアイヌ民族の位置づけや(宣言に)盛り込まれた権利を審議する機関の設置」を求めている。



 アイヌ民族の先住民族としての認知に関しても、知事と同じく、この審議機関での議論を想定している。



 国連宣言には、政治的自決権、特別議席、土地権といった、実現には時間がかかる権利のほかに、宗教的、文化的な場所を維持・保護する権利や遺骨の返還を求める権利など、現行制度でも認められるものも多い。



 道ウタリ協会は今後、どの権利を優先的に求め、それらを行使して、どんな活動を行っていくかについて、内部で協議する考えだ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:58



人権重視から選別へ


 フランス国民議会(下院)は九月二十日、同国に在住する移民が、家族呼び寄せに際して、血縁関係を証明するDNA鑑定を導入することなどを規定した法案を可決、上院に送った。人権への配慮の欠如などの批判が起きる中、サルコジ新政権は、同国に流入する移民の選別やフランスの価値観教育などの同化政策や新たな移民政策を打ち出している。



≪■国家の価値教育を強化≫


 移民改正法は、ブリス・オルトフー仏移民・国家アイデンティティー相が提出した原案に、幾つかの修正が加えられた。理由は野党が反対しただけでなく、クシュネル仏外相はじめ、政府与党内にも慎重論が存在したからだった。



 下院の争点となったのは、フランス国内に仕事を得て定着した移民が、出身国から家族を呼び寄せる際、DNA鑑定で血縁関係を証明できる制度についてだった。原案ではビザ申請者にDNA鑑定が義務付けられ、その諸費用も本人負担とされていたが、鑑定は本人の希望で、血縁関係が証明された場合、費用をフランス政府が負担するように修正された。



 今回の移民法改正案の背景には、出生届や戸籍管理が整備されていないアフリカ諸国で血縁関係を証明することが困難な現状が存在することや、セネガルなどアフリカの数カ国で家族呼び寄せのビザ申請の三-八割が虚偽の申請で血縁関係にない者が家族として流入している現状があることなどが挙げられている。



 この法案には、DNA鑑定のほかに、フランス語の習得義務や「共和国の価値観」への理解を求めることが盛り込まれた。この背景には、イスラム教徒移民が、フランス社会とは距離を置いた生活を続け、同化を困難にしている問題がある。政教分離を共和国の価値として掲げるフランス政府は、移民にもその考えの受け入れを迫っている。



 フランスは他の欧州連合(EU)の大国同様、これまで多くの移民を域外から受け入れてきた。だが、フランスは他のEU諸国とは異なった特殊事情を抱えている。それは職を求めてフランスに移住した人々は、移民全体の5%にすぎず、全体の77%が、本国から呼び寄せられた家族という現状があることだ。



 その呼び寄せられた家族も、出身国で一夫多妻制であったり、子供が十人以上いたりするケースも珍しくなく、社会保障財源を圧迫している現状がある。そのため、サルコジ大統領が内相時代の数年前から、移民受け入れ規制強化を進めており、今回は同大統領の公約の一つにも挙げられていた。



 政府は、人権問題への配慮の欠如に対する批判に対して、血縁関係を証明できないために審査期間が長引き、移民申請当事者が長期に待機させられる現状も多いため、審査を迅速に行える利点があると説明している。また、血縁関係を確認できなかったために、家族の一部を呼び寄せられず、離散状態にある家族を救うことにもつながるとしている。



 DNA鑑定自体は、他のEU諸国十一カ国で、同様な鑑定が実施されており、一般化していることも政府は強調している。結局、二〇一〇年十二月までの二年間を実施試験期間とし、その後再審議するよう修正が加えられ、改正案は上院に送られた。



 移民問題には、受け入れ政策、受け入れ後の同化政策、不法移民の処理問題が大きな柱になっている。受け入れ政策では最近、EU欧州委員会のフラティニ副委員長(司法・自由・治安担当)が、移民を対象とするEU域内共通の労働許可証「通称、欧州ブルーカード」の導入を加盟各国に提案する方針を表明した。



 これは米国の永住許可証であるグリーンカードに習ったもので、加盟各国で独自に基準を設けている移民の選別方法のほかに、熟練した高度な専門知識を持つ労働者に限りEUとして選別基準を共通化する試みと説明している。同案の背景として世界の移民のうち専門性の高い熟練労働者の55%が米国に移動し、EUには5%しか来ていない現状を挙げている。



 EUは現在、二十七カ国に拡大し、総人口では米国を超え、五億人に近づく勢いだが、経済成長の視点から、多くの専門家は移民のさらなる受け入れの必要性を指摘している。事実、アイルランドやスペインなど移民労働者を積極的に受け入れている国の経済発展は目覚ましい。



 その一方で、質の高い労働力確保が課題で、ブルーカード案もそこから出ている。フランスではサルコジ大統領が内相時代、同問題で、専門性の高い熟練労働者を優先的に受け入れ、単純労働者の受け入れのハードルを高くする政策に転換している。留学生も成績優秀者を優先する方向にある。



 一方、フランスにとって、移民問題の長年の課題は同化政策で、特に北アフリカ・マグレブ諸国出身のアラブ系移民が、フランス社会に同化しない問題だ。一昨年の移民の若者による大規模な暴動も同化政策がうまくいっていないことから起きた問題だ。多文化共生主義を採用していないフランスでは、出身国の慣習や価値観、宗教よりは共和国の価値観を優先しているが、信教の自由との関係などで難しい側面もある。



 一方、不法移民に関しては、サルコジ大統領が内相時代に年内に二万五千人の不法滞在者を国外追放するよう要請していたにもかかわらず、今年は九月までに一万一千人しか目標を達成できていないことが報告された。このため、年内の目標達成が困難になっており、政府は関係警察署長に対して、努力を促した。



 移民問題は、人道問題や経済効果にとどまらず、テロの問題とも深く関係している。アルジェリアでは九月、フランス国籍を持つアルジェリア系男性が自爆テロに失敗する事件が起きた。フランスの国家警察のペシュナール長官は九月末、フランスでは「テロの脅威が高まっている」との認識を示している。



 サルコジ政権は、移民の受け入れのハードルを上げる一方、移民のフランスへの同化政策を強化し、国内で移民がフランス人化することを促進する構えだ。かつて政治不安定な地域からの政治移民、貧しい国からの経済難民を積極的に受け入れていた時代とは、大きく様変わりしようとしている。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:58



 アダム・スミスは、学生の頃、グラスゴー大学で哲学者フランシス・アチソンの下で道徳哲学(=モラール・フィロソフィー)を学び、非常に優秀な成績でグラスゴー大学を出て、ケンブリッジ大学に留学しています。



 その後、帰国して、若くしてグラスゴー大学で論理学教授、次に道徳哲学の教授になっています。



 この、アダム・スミスが師事した哲学者フランシス・アチソンは、当時のイギリスで、リベラルな考え方を展開して哲学者の代表とされていました。



 「リベラル」という言葉は様々に使われているため、元の意味がよく分からなくなっていますので、整理します。



 「リベラル」の直接の淵源は、14世紀のダンテに遡ります。当時のヨーロッパ社会はキリスト教の教会の抑圧的な戒律で人間社会生活がコントロールされていました。それを、ダンテは教会と政治を批判し国を追われ、放浪しつつ神曲を構想したわけです。



 つまり、ダンテのリベラルは、「人間が人間らしく自由に生き、人間的な尊厳を守りながら胸を張って生きていけるような社会をつくるためにはどうしたらよいのか」という考え方でした。



 これが、14-16世紀のヨーロッパのルネッサンスとして花開いていきます。



 日本では、ルネッサンス=文芸復興と訳していますが、イマイチ、ピンときませんし、その意図がひと言でポンと伝わらないような気がしますね。



 つまりは、ルネッサンスは、「それぞれ各人が持てる能力を活かして人間らしく生きていくことを求めて展開された」動きでした。



リベラル=人間が人間らしく生きる自由、その自由に生きられる社会



 アダム・スミスは、人間を「幸福を追求する存在である」と定義しています。人間とは何ですか? と問われて、「幸福を追求する存在である」と答えているわけです。



 これが、「経済学」の大大大前提なのです。



 「幸福を追求する存在としての人びとが集合した姿、これが、社会です。」



 では、社会の中でどうしたら人間は幸福になれるのかを考えるわけです。この問いは、つまり、どのようにしてお互いの幸福を調整して生きていけるかということです。



そして、「人間は幸福を追求するときに2つの欲求を満たす存在である」と考えます。


 ・物的欲求


 ・精神的欲求



 「この2つを満たして、ホントウの幸福になる」と、いうのが、近代経済学の父、アダム・スミスの考察したことなのです。



 ですから、経済学では、最初から、「物的欲求」と「精神的欲求」を満たして、人間は幸福になると見ています。



 昨今のように、利益至上主義、数字のみが一人歩きする営業成績などなどは、極端な考え方であり、決して長く続けられるものではないのです。



 アダム・スミスは、モラール・フィロソフィーの教授ですから、こうした「物的欲求」と「精神的欲求」を満たしてこそ人間の幸福は得られることを分っていました。



 彼は、この2つの欲求のうち、まず、世の中に足りていない物的欲求をいかにして満たして豊かになっていくかについて、考察して理論化したわけです。



 つまり、東洋で言えば「衣食足りて礼節を知る」に近いですね。



 人間が、その人間的な感情を自由に表現できるような社会を求めるが、人間が人間らしく生きるためにはある程度経済的に豊かになっていなければならない。



そこで、経済という側面から、まずは、世の中を物的に豊かにしていく方法を考えたわけです。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:57


 (産経 07/10/2)

 http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20071002k0000m070174000c.html


 BSE(牛海綿状脳症)問題で01年10月に牛の全頭検査が始まって6年がたった。国が来年7月末で生後20カ月以下の牛については検査を一斉にやめるよう求めているのに対し、自治体からは検査の継続を望む声が強い。なぜ、こんなねじれが生じているのか。



 世界中で日本だけがいまも「検査すれば安全」という神話に取りつかれている。私は5年前にも、この欄で「全頭検査の意味と限界が正しく国民に伝わっていない」と訴えたが、いまの状況は当時と変わっていない。



 なぜ、検査が安全性を確保する手段にならないかを説明したい。図を見てほしい。4頭とも、BSEの原因となる異常プリオンたんぱくを体内にもつ感染牛だ。異なるのは異常プリオンの存在する部位だ。



 現在、食肉処理場で行っている検査法は、牛の脳みその一部(延髄)を取って、そこに異常プリオンが見つかるかを調べている。この検査法では、異常プリオンが脊髄(せきずい)や腸、舌扁桃(ぜつへんとう)にあったり、脳内蓄積量が少ない場合には、感染は発見できない。このため、全頭を検査しても、4頭のうち3頭(B~D)は市場に出荷されている。



 特に若い牛だと発見できる可能性がゼロに近いため、厚生労働省は2年前「20カ月以下の牛は検査対象から外す」とした。しかし、自治体から全頭検査の継続要望が強く出され、結局、検査費用に補助金を出し、全頭検査が続いている。



 感染牛が計100万頭以上も発生した西欧諸国でさえ、全頭検査は実施していない。検査をしても感染牛の一部しか見つからないからだ。



 これに対し、日本では当時の農林水産相らが「全頭検査は世界一厳しい検査だ。これで安全」と説明したため、国民は「全頭検査で安全が確保される」と信じてしまった。



 では、何が安全性の対策かといえば、主に危険部位の除去と飼料規制だ。日本の食肉処理場でも危険部位を除去しているが、気がかりなのがピッシングと危険部位の舌扁桃だ。



 ピッシングは牛が暴れないよう頭部にワイヤ状の器具を差し込み、脳組織を破壊する作業だ。もし感染牛にワイヤを差し込むと異常プリオンが血液に流れ、肉を汚染する可能性があるため、欧米では絶対禁止となっているが、日本ではいまだに半分近い処理場が実施している。



 舌の奥にある扁桃は、欧米では切除法を決めて大幅に切除しているが、牛舌を食べる習慣のある日本では統一した切除法がなく、どこまできっちりと除去されているかは不明だ。危険部位の背骨とその神経組織も食肉処理場の外まで流通しているが、どこでどう廃棄されているかの実態報告はない。こういう肝心な点の議論がおろそかにされてきたのは、全頭検査への過信があったからだ。



 現在、国内では年間約125万頭の牛が検査され、うち20カ月以下の牛は約16万頭だ。検査費用の補助金として推定で年間約2億円を支出してきた厚労省もついに「もはや貴重な税金を効果のない対策に使うわけにはいかない」と補助打ち切りを決めた。



 ところが、自治体からは補助継続の大合唱だ。ある自治体が独自に全頭検査を続けた場合、検査済みと検査なしの牛肉が店に並び混乱が起きるといわれるが、検査で合格したからといって感染していないという証明にはならないわけだから、どちらを買っても同じだ。むしろ私にとっては、検査済みの肉は無駄な税金を使ったとの表示に映る。



 検査の有無よりもピッシングの有無、舌扁桃の切除法の表示こそが知りたいが、肝心なことは全く知らされない。



 ある自治体担当者は「全頭検査の無意味さは分かっているが、国民が全頭検査を信じ込んでいるのでどうしようもない。国がはっきりと全頭検査の限界を説明しないと事態は動かない」と話す。全く同感だ。



 01年の発生当初、私たち記者に厚労省の担当者は、「30カ月以上の検査で十分だ」と答えていたが、その後、政治的な論議の中で「国民の不安解消に全頭検査をする」という具合に変わった。当時はやむを得なかったにせよ、6年もたってまだ国民が信じているのは、政府の説明があいまいで不十分だからだ。



 国民が全頭検査を信じているなら、無駄な税金投入も安心料としてやむを得ないという見方もあるが、それではあまりにも悲しい。検査をすることでBSEの発生頻度を知りたいなら、西欧並みの30カ月以上で十分だ。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:56


 (産経 07/10/1)


 ■3年で3倍超


 警視庁に寄せられる相談のうち、家族や近隣、職場など身近な対人関係に関する相談が昨年は9307件に上り、3年間で3倍超に急増していたことが、同庁生活安全総務課のまとめで分かった。全相談に占める割合も平成14年は7%だったが、18年には13%に。人間関係の希薄化や権利意識の高まりなどが背景にあるとみられ、同庁幹部は「“よろず相談”が増えるのは時代の流れで、きめ細かく対応したい」と話している。



 「車を買いたいので、兄に金を貸してくれるよう口添えしてほしい」



 今年3月、男性から池袋署にこんな電話がかかってきた。「貸してもらえないなら死ぬ」と男性。署は「弁護士に相談したり、2人でじっくり話し合ってみては」とアドバイスし、何とか納得してもらったという。



 昨年1年間に、警視庁本部の相談センターや各署に寄せられた相談は計7万1605件。16年の8万6495件をピークに2年連続で減少した。



 しかし、身近な対人関係についての相談は、15年の2820件から3年連続で増加した。特に16年から17年にかけては、3818件から7761件へと一気に倍増している。



 警視庁幹部は「人と人との付き合いが薄くなり、対話で折り合いがつけられなくなっている。自分の権利や考えだけを主張したり、行動に移すため、トラブルになりやすい」と分析する。



 ストーカー規制法が12年、ドメスティックバイオレンス(DV)防止法が13年に相次いで施行されたことも、相談受理件数を引き上げた一因のようだ。



 ある警察署幹部は「警察が身近な相談に気を使うようになった。事件に発展する可能性も視野に入れ、聴取内容を書類に残すよう徹底している」と指摘している。



 「隣家の木の枝が敷地にはみ出してきている」などといった直接、犯罪に結びつきそうもない相談でも、警察官が現場に赴いているという。



 松坂規生・生活安全総務課長は「『警察だ』と名乗って間に入っただけでは、解決できない難しい相談も増えることが予想される。裁判所や医療施設、自治体など他の機関との連携を強化し、解決に導けるようにしていきたい」と話している。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:56

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