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 (産経 2009/3/18)

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090318/plc0903181052005-n1.htm


 海上自衛隊で初の“空母型”ヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」(13、950トン)が完成し、18日、横浜市磯子区の造船所で海自に引き渡された。

 全長197メートル、乗組員約340人。これまで護衛艦で最大だったイージス艦「あしがら」(7、700トン)などを大きく上回る海自最大級の艦艇。空母のような広い甲板では、同時に3機の哨戒ヘリが発着可能。艦内には大きな格納庫を備え、最大で11機のヘリを搭載できる。

 護衛艦では初めて女性隊員の居室を設置、幹部2人を含む17人が乗り組む。これまでは女性隊員の勤務を補給艦など後方支援を行う艦に限定していた。

 ひゅうがは第1護衛隊群(神奈川県横須賀市)に配備。海上防衛の中枢艦として活動、大規模災害でも出動する。

 政府は憲法上「攻撃型空母の保有は許されない」との見解を表明している。空母に似た外観だが、海自は「ヘリ運用能力は向上した設計だが、攻撃機を搭載する能力がなく、空母ではない」と説明している。
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by sakura4987 | 2009-03-21 13:00


 (赤旗 2009/3/18)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-03-18/2009031801_02_0.html


 浜田靖一防衛相は十七日、参院外交防衛委員会で四月一日から始まる予定である自衛隊の統合幕僚学校の二〇〇九年度前期幹部高級課程で、「歴史観・国家観」の講座をおこなわないことを表明しました。日本共産党の井上哲士議員に対する答弁で明らかにしました。

 同講座は先の大戦について政府見解と異なる見解を発表したとして解任された田母神俊雄・前航空幕僚長が統幕学校長時代の〇三年に主導して設けたと明らかにしていたもの。昨年十一月の参考人質疑のさい井上氏の質問に対し、認めました。

 講座では、侵略戦争を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらを講師として招き「大東亜戦争史観」「東京裁判史観」などを「主要教育内容」にあげ、侵略戦争を肯定する教育が行われ、昨年までに約四百人の幹部自衛官が受講していたことが判明しています。浜田防衛相は「バランスを欠いていた」(昨年十二月十一日)などとして講座の廃止も含めた見直しをおこなうとしていました。

 外防委で答弁に立った浜田防衛相は、「見直しを検討中であり、現時点で内容や時期を示すことは困難」としたうえで、四月からの課程について「結論が出ていないので(歴史観・国家観)講座は実施しない」と述べました。

 井上氏は「講座内容や開設の経緯からみて廃止すべきだ」と述べました。



■浜田靖一防衛相への意見先

 〒100-8982

 東京都千代田区永田町2-1-2衆議院第二議員会館220号

 TEL:03-3508-7020

 FAX:03-3508-7644

 メール:info@office-hamada.jp
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by sakura4987 | 2009-03-21 12:59


 (searchina 2009/3/17)

 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0317&f=column_0317_010.shtml


  中国網(チャイナネット)はこのほど、日本旅行記を掲載した。日本人が清潔さを徹底的に追求していることに驚いたという。

  日本を訪れた中国人の多くが「どこに行っても清潔だ」と語る。筆者も同感だったという。道路は、ついさきほど水洗いしたように清潔。どの地方に行っても同じだ。にぎやかな場所に行っても空気から煙や排気ガスの臭いは感じられない。もちろん、どこにもごみなど落ちていない。

  高速道路のサービスエリアでも、名所旧跡でも、トイレの清潔さは高級ホテル並み。筆者は「日本の清潔さは、国土の63%が森林で、周囲が海だということも影響しているが、それだけではない。日本人が清潔さを厳しく追及してきたため、現在の姿ができあがったことを認めなければならない」、「日本の清潔さは、人を気持ちよくさせる」と論じた。

  また、日本式家屋では靴を脱いで入室することにも注目。「足が寒ければ、スリッパを使う。上履きを使うのは幼稚園や学校も同じだ。土ぼこりが室内に入るのを防止することが目的だ」と紹介した。

  また、魚市場を見学した際にも、通路は完全に清潔に保たれており、「汚水の1滴、ごみのひとつも見ることはできなかった」という。大きな魚市場の中に、「いやな臭いはまったくなく、海の香りがするだけだった」と紹介した。

  筆者は日本に来る際に利用した全日空機の客室乗務員にも言及。押し付けがましさをまったく感じさせない、乗客の心を暖かくする繊細な心配りのサービスに感じ入ったという。

  日本滞在経験がある中国人によると、海外旅行により自国の具体的な問題点と改善の必要を実感する中国人も多い。短期間の旅行では表面的な理解しかできないが、それでも自国を客観的に見る機会は貴重だという。

  特に、中国国内でマイナスイメージで語られることが多い日本に対しては、旅行を通じて「自分たちより進んでいる点が数多くある」と改めて見直す人が多いという。
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by sakura4987 | 2009-03-21 12:58


        球場で韓国の愛唱歌「独島は我らの領土」を場内放送

 (スポーツ韓国-韓国語 2009/3/18)

 http://sports.hankooki.com/lpage/baseball/200903/sp2009031822412857390.htm


■ペトコパークに響き渡る「独島は我らの領土」

 韓国-日本の第2ラウンド1組の試合が行なわれた18日(韓国時間)のペトコパーク。試合開始3時間前から1時間30分間、韓国チームの公式練習が行なわれた。そして練習時間中ずっと、おなじみの韓国の歌がペトコパークに響き渡った。

 「鬱陵島の東南方向 海路200里 孤島一つ 鳥たちの故郷♪ 誰がいくら 自分の領土だと言い張ろうとも 独島は我らの領土♪」 国民歌謡とでも言うべき「独島は我らの領土(ドクトヌンウリタン)」だった。「独島は我らの領土」が終わると、元祖助国民歌謡「ああ大韓民国」が出た。

 韓国の練習が終わって日本の練習が行われる間は、「ワン・モア・タイム」「テル・ミー」「ノーバディー」などの最新歌謡が流れた。両チームの国歌演奏が終わった後の試合直前には、韓国の代表応援曲「おお必勝コリア」が出た。同胞たちは歌を歌いながら楽しみがわくように棒風船を叩いた。

 米国カリフォルニア州サンディエゴにあるペトコパークが韓国のソウル蚕室スタジアムのように感じられた理由は、単に「韓国型応援ツール」の棒風船だけではなかったのだ。大会関係者の中の一人が、韓国人だったからだ。

 主人公は、ラジオコリア「朝の広場」の進行者である李ヨンドンさん。李さんは韓国チームがペトコパークで試合を行なうと聞き、自らCDを準備した。本選1組の韓国戦で場内アナウンスを担当する李さんは、試合前にペトコパーク職員に、「韓国の選手たちが練習する時や試合中に、このCDを流してくれ」と頼んだ。

 李さんはCDに加えて、大きく力強い場内コメントでも韓国選手たちの善戦を祈った、「7番打者、サード李机浩!」 李さんが颯爽と選手たちを紹介するとき、球場内には「おお必勝コリア」が同時に鳴り響いた。
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by sakura4987 | 2009-03-21 12:58


 (産経 2009/3/21)


 支持率低迷中の麻生太郎首相だが、「どうしてこんなに時間がかかったか」との首相の言葉には、さすがに同意した国民も少なくないはずだ。

 アフリカ・ソマリア沖の海賊対策に海上自衛隊の護衛艦2隻が出発したが、政府が海自派遣の検討を表明してから5カ月もかかった。しかも海賊対処法案は未成立のまま。海自の護衛艦の保護対象となるのは、日本国籍の船、日本人が乗船する外国籍船、日本の事業者が運航する外国籍船など。つまり目前で「日本」とはなんら関係がない他の国籍の船や他国民が武装した海賊に襲われても、「(威嚇のために)艦載ヘリで近づくか、他国軍に通報する」だけだ。

 これって、要するに他国や他国民は見殺しにせよ、ということではないか。もし、これがフランスなら、刑法でいうなら「危機にある者を見殺しにした罪」で有罪となる、れっきとした犯罪行為だ。法的な犯罪うんぬん以前に、人間として、後味が悪くないのか。

 この海自派遣問題で思い起こされるのが、第一次大戦(1914~18年)中の日本海軍の逸話だ。日本は02年に締結した日英同盟にもとづき、17年3月に地中海に旗艦の巡洋艦「明石」と駆逐艦8隻からなる第二特務艦隊を派遣。ドイツの潜水艦Uボートの猛攻撃から勇敢に連合国(26カ国)の商船や、兵員、兵器の輸送船などを護衛した。約1年半で護衛した船舶は788隻に上り、「地中海の守り神」とたたえられた。

 実は派遣までには紆余(うよ)曲折があった。日英同盟には両国海軍の協力に関する規定はなかった。当時、欧米では「黄禍論」も盛んで、「日本は帝国主義と拡張主義の野心を持つとみられ、英国の覇権と米国の国益に対する脅威との考えが第一次大戦前と大戦中、つきまとって離れなかった」(ジオバンニ・ボネロ著『マルタと日本』)。英国は当初、日本の参戦の意思も野心を実現するためとみて拒否していた。

 当時のグレイ外相の参戦拒否の考えに対し、さすがにチャーチル海相(当時)は14年8月11日付のグレイ外相にあてた書簡で、「もし彼らが来たら、仲間として歓迎すべきだ。貴殿のこの(日本に送った)電報には敵意がある。この電報にはぞっとさせられる」などと忠告している。

 日本は結局、同8月23日に参戦。英国はそれならと、日本に14年に2度、戦局が芳しくない地中海とバルト海への派遣を要請したが、日本は国内の反対が強く、拒否した。第二特務艦隊の派遣は英国が同盟国として再三、地中海への派遣を要請した結果だ。

 マルタには、17年6月にドイツのUボートの魚雷を受けた駆逐艦「榊」(艦長・上原太一中佐)の59人の戦死者と、マルタでの治療もむなしく亡くなった日本海軍の戦没者の計71人をまつった立派な墓碑がある。「勇壮に戦いながらマルタに上陸したおりなど礼儀正しかった日本人は非常に尊敬されていた」とミフスッド・在マルタ日本名誉総領事は証言し、欧米人の「黄禍論」が的はずれだったことを言外ににじませた。

 確かに首都バレッタの国立図書館をはじめ町中に、日本海軍の歓迎ぶりを示す写真や、21年の「日本皇太子の来訪」を記念した碑などが多数残されており、いかに日本が感謝されていたかを示している。

 海自のソマリア派遣は日本帝国海軍の派遣とは異なり、国際社会から文句なく大歓迎されている。ただ、海自派遣が、「日本」だけが対象という国際社会の常識からは信じられないやり方であることを知ったら、マルタ市民の日本人への見方は変わるかもしれない。
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by sakura4987 | 2009-03-21 12:57


 (産経 2009/3/21)


 ふくろうよ

 面癖(つらぐせ)直せ

 春の雨

 小林一茶の名句の1つだが、これがソウル中心部の名所、光化門交差点の高層ビルの玄関に大きく掲げられ話題になっている。ビルは「教保(キョボ)ビル」といって韓国の有名保険会社「教保生命」の本社で、地下にある韓国最大の超大型書店「教保文庫」でも知られる。

 「教保」つまり「教育保険」で名を成した会社だけに知的事業に熱心だ。その一環として約20年前から、ビル玄関の壁面に「絵と詩」のあるしゃれた感じの大きなパネルが掲げられていて、人びとを楽しませてきた。パネルの中心は詩で年に4回、季節ごとに変わる。そのパネルに今年の春、新しい詩として一茶の俳句が登場したのだ。

 これまで内外の有名詩人の詩が使われてきたが、日本人の作品は初めて。しかも俳句からというのは憎い。もちろん韓国語に翻訳されていてハングルで横書き。韓国語では俳句の12文字が「顔をちょっとゆるめてはどうか/ふくろうよ/これは春雨じゃないか」と18文字に訳されているが意は十分に伝わっている。

 韓国も経済危機で大不況。春なのに街の人びとの表情はこわばって、さえない。そこで一茶の句を借りて「春が来たんだから、ふくろうみたいなしゃちこばった顔をしていないで、ちょっと表情でも変えてみてはどうなの」というわけだ。日本の官庁街やビジネス街にもこんなユーモアと余裕が欲しいですねえ。
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by sakura4987 | 2009-03-21 12:56


 (産経 2009/3/21)


 ■「境(きょう)(環境)、心(しん)に随(したが)つて変ず。心垢(けがらは)しければ境濁(にご)る。境、閑(しづか)なるときは心朗(ほがら)かなり」(空海『性霊集(しょうりょうしゅう)』)


 835年のきょう、真言宗の開祖、空海が高野山奥院で没した。彼自身は詩文・手紙文集である『性霊集』に「能書(のうしょ)(字の上手な人)は必ず好筆(よい筆)を用ゐる」と記した。が、それとは逆の意味のことわざで有名な「弘法大師」は死後に醍醐(だいご)天皇から贈られた諡(おくりな)だ。

 さて、驚くなかれ。空海は「日本最初の思想小説家」だったという。その作品とは、23歳のときにつづった『三教指帰(さんごうしいき)』である。

 「学問をすれば高給が約束される。きれいな妻に山海の珍味のごちそうも夢ではない。しかも親孝行にもなるのだ」

 儒学者の亀毛(きもう)先生は知人の甥(おい)にこう説教する。「何を欲深いことを」と割って入った道学者の虚亡隠士(きょむいんし)だが、諸欲を捨てているようでよく聞くと不老不死に執着する。そこに容貌(ようぼう)は見すぼらしいが仏の化身といえる仮名乞児(かめいこつじ)が現れ、仏教こそが我執(がしゅう)にとらわれた人の心を救う思想である、と説き、全員が深く帰依する-。

 『三教指帰』には現代にも十分通じる面白さと深さがあるが、それだけではない。「『文章は経国(国家経営)の大業』という当時の考え方の見本となる名文」。中国思想史家、福永光司と司馬遼太郎が対談したさいの結論である。
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by sakura4987 | 2009-03-21 12:55


 (スポニチ 2009/3/19)

 http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20090319008.html


 キューバ革命指導者、フィデル・カストロ前国家評議会議長(82)がWBC代表に「日本は時計のように精密だが、倒せる」と激励した。

 国営サイト「キューバ・ディベート」で長文の論評を発表。「投手が制球難なら早く交代させるべき」、「第1ストライクを待つ妙な癖がある。最初から激しくいくべき」と具体的に指示した。また同時に「キューバ、日本、韓国が同組で1チームが除外される。大リーグの国アメリカらしい」と大会運営を批判した。
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by sakura4987 | 2009-03-21 12:54


 (産経 2009/3/16)


 奨学金を借りても返さない滞納者の増加が深刻な問題となっている。制度見直しが急務だ。

 大学生などを対象に奨学金事業を行う独立行政法人「日本学生支援機構」によると、3カ月以上滞納し回収不能の可能性がある延滞債権は平成19年度で約20万人、2200億円超だ。

 国の奨学金制度は貸与制で、卒業後に返還される金は次の奨学金原資として活用されるものだ。

 滞納が増えれば原資を国費から補填(ほてん)せねばならず、政府の財政制度等審議会などでも厳しく批判されている。回収強化や制度見直しが求められているのは当然だ。

 奨学金予算は年々拡充され、大学生約300万人の3割にあたる約100万人が奨学金を受けている。貸与条件は無利子貸与で親の年収が998万円以下、有利子で1344万円以下などだ。成績条件は有利子の場合、「平均以上」などそれほど厳しくない。

 サラリーマンの平均年収を超える年収1000万円以上の家庭でも奨学金を受けられるのが現状だ。奨学金をもらうのは苦学生ばかりではなくなっている。

 文部科学省や学生支援機構は23年度までに延滞債権の半減を目指している。具体策として同機構は滞納者を金融機関などが加盟する個人信用情報機関に通報することや滞納率の高い大学名を公表する方針だ。

 こうした滞納抑止策に「脅迫的」「大学のイメージダウンになる」などと反対がでているのは疑問だ。急速な景気悪化で卒業後に就職できないなど不安はあるだろう。だが病気や経済的理由があれば申請して返還が猶予される制度もある。

 理由のない滞納は許されない。卒業シーズンを迎える中、後輩らのためにも借りたものは返す責任を自覚してほしい。

 国の奨学金は在学する大学などを通じて申し込まれるが、卒業後の住所が不明で督促できなくなるケースも相当数ある。

 奨学金は優秀な学生が勉学を続けるため大学にとっても欠かせない制度だ。学生を追跡調査し返還させる大学の責任も重い。学生が払えないなら大学が保証する制度も必要だろう。

 景気悪化の中、奨学金の重要性は高まっている。大学などが独自に行う奨学金などと合わせ、本当に困っている学生を支援する奨学金制度にせねばならない。
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by sakura4987 | 2009-03-18 12:37


 (山陰 2009/3/16)

 http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=510745006


 現在の竹島を表す「松島」と韓国・鬱陵島を示す「竹島」の間に、北前船の航路を描いた江戸時代後期の絵図「日本針図(しんず)」の原図が、鳥取市内で見つかった。新たに同航路を裏付ける記述も確認され、北前船の船頭が、竹島を日本領と認識していたことを示す史料として注目される。

 日本針図は、海岸警備や船舶の管理に携わった鳥取藩米子の役所「船手組」が保管していた「日本夷国之針図」を、一八三六年に書き写し、海路の里数などを加えている。

 二〇〇七年に島根県の竹島資料室の担当者が、新修米子市史第十二巻(一九九七年刊)に収録されているのを発見。両島の間の海上に、航路を示す赤い線が描かれているのを確認した。

 同資料室は原図の行方を探していたが、鳥取市戎町の一行寺で保管されているのが分かった。調査の結果、航路の線に沿って「松前エカヘル船冬分多ハ竹嶋松嶋ノ間ヲヒラク」という記述を確認。冬は下関(山口県)から松前(北海道)へ帰る船の多くが、竹島(現鬱陵島)と松島(現竹島)の間を通っていたことが判明した。

 島根県の杉原隆・竹島研究顧問は「新修米子市史では分からなかった記述が見つかったのは収穫。鎖国時代に他国の領海を航行することはなく、これで北前船の船頭が竹島を日本領と認識していたことが裏付けられた」と述べた。

 北前船 江戸時代後期から明治時代にかけ、大阪を起点に瀬戸内海、関門海峡を経て、山陰、北陸などの日本海側の諸港を結び、後に北海道まで延長された回船。大阪などで仕入れた物資を途中で販売しながら北上し、北海道ではニシン、昆布など海産物を買い込み、瀬戸内海、大阪へと向かった。
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by sakura4987 | 2009-03-18 12:37

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987